第27話 私のピンチ

――すっちゃららっか、ちゃっちゃっちゃ~ん♪


 なに? このふざけた音……。

 昨夜は色々あったせいか、昼過ぎまで爆睡してしまった。

 そんな私を目覚めさせたのは、和博の携帯電話の着信音。和博の体のまま寝ていた私は、そのまま携帯電話に出る。

 すると、怒鳴り声が私の耳をつんざいた。


「コラ、バカ和博! 何時だと思ってるのよ。今日どうしても会いたいって言うから待ってたのに、いつまで経っても連絡してこないなんて!」

「あ、博美……」


 どうしよう、完全に頭から抜け落ちてた……。

 寝起きで頭が全然回らない私は、とりあえず携帯電話をスピーカーモードにして、和博に救いを求める目を向ける。


「あ、博美、じゃないでしょ。仕方がないから和博の家に行ってみたら、おばさんに家出したって言われたんだよ? あんた、今どこで何してんの!?」

「それは……えっと……」


 答えに困っている私の頭に、和博から救いの声が響く。


『保坂の家にいるって言って。中学校で一緒だったって』

「そ、それは……ほ、保坂君の家だよ。中学の時同じクラスだった……」

「保坂君? そんな人いたっけ……。まあいいわ、じゃぁ、すぐに来てよね」


 用件を伝え終えると、電話はすぐに切れた。

 やれやれ、感謝するのはしゃくだけど、和博のお陰でなんとかこの場はしのげた……。

 だけど、この後はどうしよう。飼い主に返却したことになってるから、もう和博は連れて行けない。

 とはいえ、モタモタしていられない私は、部屋着を脱ぎ捨てて着替え始める。

 するとパンツ一枚になったところで、緊迫感のある声が私の脳内にこだました。


『美和、博美がこの家に向かって来てる!』


 窓の外を見ていた文鳥の和博が気付いたらしい。

 そしてその報告から間髪を入れずに、玄関のチャイムが鳴らされた……。


「どどど、どうしよう……」

『どうしようって、居留守して無視するしかないでしょ』

「そうね、そうよね」


 こんな当たり前の対処法が思いつかないなんて、今の私はどうかしてる。

 息を潜める私の耳に、二度、三度と繰り返し届くチャイム音。

 ああ、せっかく博美が家を訪ねてくれたのに、お出迎えできないなんて……。

 引き続き無視を決め込んでいると、とち狂ったようにチャイムが鳴りだした。


 ――ピポピポピポピポピポーン……。


 連打されるチャイム。ひょっとして怒ってる……?

 永遠に思える時間を耐えていると、耳障りなチャイム音はやっと鳴り止んだ。

 だけど今度は、階下から重厚なドアの開く音が聞こえてくる……。


「ごめんくださーい。大崎と申しまーす、お留守ですかー?」


 ああ、なんてこと……。きっと昨夜、玄関の鍵をかけ忘れたんだ……。

 普段の戸締りは両親がしているから、私は気に留めたことなんてなかった。それでなくても、昨日は慣れない体でバタバタしてたし。

 博美の呼び掛ける声は、私の部屋まで繰り返し響く。


「ごめんくださーい、誰かいませんかー?」

『このままじゃ上がってくるかもだから、玄関で応対して追い返すしかないね』

「わかったわ」


 私は大急ぎでベッドに横たわる自分の唇にキスをして、体を元に戻した。

 するとその瞬間、私の体にとんでもない災厄が降り掛かる。


「はーい、今行きます……って、あっ、あぁぁぁ……」


 災厄。それは怒涛のように押し寄せる尿意。

 私の体は昨日の夜からほったらかしにされてたから、膀胱がパンパンなのも当然。だけど今は、すぐに博美の応対に向かわないと……。

 和博の体が見つかったら、私は身の破滅だ。

 私は漏らさないように体をよじりながら、慎重に壁を伝って階段を降りていく。

 そしてすでに限界に達している尿意を悟られないように、静かに応対を始める。


「あ、あら、大崎さん。なにかご用かしら?」

「んーと、和博の家に行ったら留守だったから、ここに来てるんじゃないかと思って寄ってみたんだけど……」

「く、来るわけなんて、ないじゃない、久山君なんて」

「顔色が悪いみたいだけど、大丈夫? 谷川さん」

「え、ええ。ど、どこも……変わりないわよ……」


 大好きな博美が訪ねてきてくれて、とっても嬉しい。でも今はダメ……。

 普段だったら一秒でも長く一緒にいたいのに、今は一秒でも早く帰って欲しい。


「申し訳ないけど、谷川さんの部屋を見せてもらえないかな?」

「えーっ。またの機会にしてもらえないかしら、今はちょっと……」

「ごめん、今じゃなきゃダメなの。和博がいないことを確認したら帰るから」

「だから、だから、い、い、い、いないわよ、久山君なんて……あぁぁ」


 ちょっと、ちびってしまったかも……。

 事情を話しておトイレに行くことも考えたけど、今私がこの場を離れたら、きっと博美は部屋に行ってしまう。

 ああぁ、オシッコ漏れちゃう……。

 オシッコを我慢するのに必死で、落ち着いてなんていられない私。

 そんな挙動不審っぷりが、博美の猜疑心をさらに強めたのかもしれない。


「ひょっとして、匿ってるんじゃない? 和博を」

「そ、そんなはずない! でも、部屋はダメ! ほら、散らかってるし、見られると恥ずかしいものも出しっぱなしになってるから」

「お願い、ちょっとだけだから。お邪魔します!」


 いくら断っても食い下がる博美が、とうとう強硬手段に出た。

 靴を脱いで家に上がると、そのまま二階へ向かう博美。私は背後から縋りついて、尿意と戦いながら必死にそれを阻止する。

 私の部屋では、着替えの途中でパンツ一枚の和博が意識を失くして転がったまま。しかもベッドの脇には、昨日持ち帰った文鳥もいるんだから完全にアウト。

 そんな状況を見られたら、博美が怒り狂うのは間違いない。


「お願いだから、今日だけは帰って」

「なんでそんなに必死なの? やっぱり和博がいるんじゃないの?」


 いる。確かにいる。だけどそれは、意識を失った状態で……。

 体の入れ替わりを体験している博美にはきっとバレてしまう、昨日の和博の中身が私だったことも。

 そうしたら、今度こそ博美から見捨てられてしまう。

 そしてきっと、もう二度と挽回のチャンスはない。

 ああ、オシッコが漏れてしまいそう……。でもこの手は絶対離せない。

 その時、さらに強い尿意が私を襲った。


『あぁぁ、今度こそお漏らししちゃうぅ……』


 尿意に気を取られて緩んだ私の手を振り解いて、博美が階段を上っていく。

 そんな博美を、尿意が限界の私には追いかけることができなかった……。


『ああ、これでもうおしまい……。さようなら、私の大好きな博美……』


 ――チャラチャンチャンチャンチャ、チャッチャッチャチャン……♪


 突然、流行中のメロディが流れ出す。その出所は博美の携帯電話だった。

 足を止めた博美は着信相手も確認せずに、携帯電話を耳に当てて会話を始めた。


「え、あ、ほんとに?」

「…………」

「ごめん、わかった、すぐに行く。ごめんね、ほんとにごめんなさい」


 そう言って博美は電話を切ると、踵を返してこちらへ向かってきた。

 そして玄関で靴を履きながら、私に謝る。


「ごめんね、谷川さん。あたし急ぐから、さよなら」


 さっきまでの険しい顔がまるで嘘のように、博美は満面の笑みを浮かべて玄関から駆け出して行った。私、助かったの……?


 ――ショ……ショショショショーッ…………。


 あっ、あぁっ……あふぁぁぁ……脱力感と共に、オシッコが止まらない……。

 私ったら高校生にもなって、お漏らししちゃうなんて……。


「だけど、良かった。博美の前じゃなくて……」


 快感を伴うほどスッキリした私は、玄関の鍵を掛け直して拭き掃除を始める。

 それにしても、どうして急に博美は引き返してきたんだろう……。

 床や下着の後始末を済ませた私は、不思議に思いながら部屋へと舞い戻る。


「さっきのままよね……」


 部屋の中は私が博美の応対に出た時のまま。和博の体はパンツ一枚で床に仰向けで転がっている。

 そしてベッド脇の鳥かごの中では、文鳥の和博が私のことをジッと見ているだけ。

 そんな和博がくちばしを開く。


『美和、すぐに僕の体で博美に会いにいかないとまずいんじゃないの?』

「そうだったわ。こうしちゃいられない」


 私は文鳥の羽根を握りしめると、和博の唇にキスをして体を入れ替える。

 なんだか今じゃ、挨拶でもするぐらいの日常的な行為になってしまった感じ。

 そしてスポーツバッグから着替えを取り出して、私は身支度を整えていく。


『博美に会いに行くのは駅前のコーヒーショップだから、間違えないようにね』

「え? どうして? 博美の家じゃないの?」

『やっぱり寝ぼけて聞き逃したんだな。さっき、そう言ってたじゃないか』

「そうだったかしら。ありがとう、教えてくれて」


 和博の体なのが残念だけど、今は博美とお話ができるだけでもありがたい。

 これをきっかけにして、自分の体でも仲直り。そしてゆくゆくは……。

 そんな妄想を膨らませながら、私はウキウキとコーヒーショップに向かった……。

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