第25話 私の家

 久山の体に乗り移った私は、さっそく出掛ける準備を始める。

 そんな私に向かって、久山が忠告をしてきた。


『ひょっとして、今から博美の所へ行くつもり? もう夜だよ?』


 言われてみれば、窓の外はもう真っ暗。体の入れ替え方を探っている間に、時計の針はもう夜の九時を指していた。


「だけど、博美が……」

『明日でいいじゃない。今はメッセージだけ入れておいてさ』


 この男の言う通りかもしれない。

 博美のことを一刻も早く慰めてあげたいけれど、悲しませてしまったのは私自身。しかもさっき別れたばっかりだから、まだちょっと気まずいのも確か……。

 ここは、久山のアドバイスに従っておくことにした。


「メッセージは、なんて打ったら?」

『そうだな……。【さっきはごめん。ちゃんと謝りたいから、明日会ってくれる?】で、どうだろう』

「わかった」


 久山の言う通りにメッセージを送ったら、すぐに博美から返信があった。

 『わかった、待ってる』という短い言葉だったけど、私は少し救われた気になる。

 それにしても、こんなにあっさりと仲直りのきっかけを作ってくれるなんて……。

 いくら幼なじみだからって、久山が博美のことを熟知しているように感じられて、私は激しく嫉妬した。

 そんな行き場のない感情に打ち震える私の頭に、久山の声が響く。


『博美の件が落ち着いたんなら、ちょっとお願いがあるんだけど……』

「なに? まさか、変なことじゃないでしょうね?」

『どこまで僕は信用されてないんだよ……。今日のところは、僕の代わりに僕の家に帰って欲しいだけだよ』

「どうしてよ」

『そりゃぁ家族が心配するからに決まってるだろ。その後は友達のところに泊まりに行くとか、旅行に行ってくるとかいくらでも言い訳すればいいからさ』


 あまりにも真っ当な要求で私はビックリした。

 確かに今は、私の身勝手な計画で身柄を拘束してるんだから、それぐらいの義理は果たしてあげないと可哀そうかも……。

 だけどそれは、久山の家族に会わないといけないということ。不安しかない私は、鳥かご持参で久山の家を訪ねることにした。

 意識のない私の体を置いていくのは心配だけど、大丈夫よね……?




『その角を曲がって二軒目だよ』


 文鳥に道案内されて、辿り着いた久山の家。

 緊張で身震いした私は、深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせる。

 ああ……今から私はこの男の家族たちの前で、【久山和博】として振舞わなくちゃいけないなんて……。不審に思われるんじゃないかと、不安しかない。

 とりあえず、私はインターホンを押して応答を待った。


『って、なにチャイム鳴らしてんの!』

「えっ? えっ?」

『ポケットに鍵が入ってるから、直接開けて――』

「はーい、どなたー? って和博、あんた何やってんよ。子供みたいないたずらしてないで、早く中に入んなさい」


 そうか、今の私にとっては、ここは自分の家だった……。

 靴を脱いで家に上がると、久山の母親が振り返って私に尋ねてきた。


「遅かったわね、和博。晩御飯出来てるわよ。ま、さ、か、外で食べてきたなんて、言わないわよねぇ?」

「た、食べます、食べます。お腹ペコペコです」

「よろしい、なら早く食べちゃいなさい」


 怖かった……。食べてきたって答えてたら、どんな目に遭ったんだろう……。

 私が食卓のテーブルに鳥かごを置くと、当然母親が質問をしてくる。


「あんた、それどうしたの?」

「えっと……。友達に預かってくれって、頼まれちゃって……」

「へぇ、あんた、友達いたんだ」

「は、ははは……」


 冗談か本気か、判断に困る母親の言葉。私は愛想笑いでその場をごまかす。

 すぐにでも部屋に籠りたかった私は、さっそく「いただきます」と両手を合わせて晩ご飯を食べ始めた。


「あら、あんた、そんなお行儀のいい挨拶、どこで覚えたのよ」

「え……?」

『美和はお嬢様だからなー』


 私の常識は、久山の家庭では非常識。こんなときのために連れてきた久山までも、私の常識を嘲笑っているように聞こえてくる。

 私の振舞いの、いったいどこがおかしいっていうのよ……。

 食事を済ませて、食べ終わった食器を持って台所へ向かう私。

 するとまた、久山の短い言葉が頭に響いた。


『あ……』

「ちょっと……この子ったら、熱でもあるんじゃない? 今日は本当にどうしたの? あんた、本当にうちの子?」

「え……?」

『食器なんて片付けないよ、普段の僕は』

『そういうことは、先に言いなさいよ!』


 なんで私は、ここまで言われなくちゃいけないの……? ちょっと泣きたい。

 だけどそれも、部屋に引き籠もるまでの辛抱。私は鳥かごを持って、居間を出る。

 すると玄関の方から、幼い感じの女の子の声が聞こえてきた……。


「ただいまー」


 居間の外でバッタリ鉢合わせしたのは、中学生ぐらいの女の子。

 私は反射的に挨拶を返す。


「おかえりなさい」

「……ぷっ。なに? おかえりなさいって。兄貴、どうしちゃったわけ?」


 私の顔を見て、いきなり噴き出したのは妹らしい。

 そしてその目は、どう見ても蔑んだような冷ややかさだった。


『ねぇ、なんで? どうして私は、こんな目に遭わなきゃいけないの?』

『僕の扱いなんて、いつもこんなもんだよ』


 久山と心の声でやり取りをしていたら、鳥かごに興味を示した妹。

 そして中の文鳥を、私に向けたのとは真逆のキラキラと輝いた目で見つめる。


「かっわいいー。兄貴、どうしたのこれ。あたしにくれんの?」

「と、友達から預かっただけ、だよ」

「へぇー、兄貴にもいたんだ、友達」


 私は久山に少し同情した……。



『階段上って手前のドアが僕の部屋だよ。妹の部屋はその奥ね』


 鳥かごの中の久山に案内されて、私は久山の部屋へ入る。

 男の子の部屋に入るのは初めてだったのに……それが久山の部屋なんて……。


「お世辞にも綺麗とは言えないわね……」

『すいませんね。男の部屋なんてこんなもんだよ。これでも多分マシな方だよ』

「これでマシって……」


 床にはマンガや雑誌が散乱したまま。脱ぎっぱなしの服もある。

 テーブルの上はジュースの空き缶や、食べ終わったお菓子の袋。

 机の上は学校のプリントや教科書やノートが積み重なっていて、これでどうやって勉強をしているのか疑問しか湧かない。

 そして私は、その横にあった写真立てに興味を惹かれて手に取った。


『あ、あ、それは……』

「ふーん」


 バタバタと羽を羽ばたかせながら、慌てふためいている文鳥の久山。

 それもそのはず、その写真立てに入っていたのは私の写真だったから。

 まったく……いつの間に、こんな写真を撮ったのよ……。


「ねぇ、久山君。ひょっとして、私のことが好きだったりするの?」

『いや、それは、その……』

「ハッキリして。その言葉によっては、私だって……ねぇ、か・ず・ひ・ろ・くん」

『は、はい! 一年の時からずっと好きでした!』

「ごめんなさいね。私、文鳥とお付き合いする気はないの」

『ひどい。告白させておいて、あんまりだ』


 博美だと思ってこの男に告白してしまった屈辱を、少し晴らせてスッキリした。

 そして私は制服から私服に着替えると、改めて部屋を見渡してみる。


「はぁ、ベッドはホコリまみれだし変な臭いがするし、ここで寝るのは拷問ね……」


 だからって、夜も遅いこの時間から大掃除をするわけにもいかない。

 せめて寝る場所だけでも綺麗にしようと、私はベッドの周辺を片付けていく。


『部屋のものには、あんまり触らないで欲しいんだけど』

「このゴミの中で私に寝ろっていうの? それとも和博もやっぱり隠してたりするのかしら? エッチな本とか」

『あれ? 今、和博って……』

「深い意味はないわよ。呼びにくいの、久山って苗字」


 エッチな本を探してみるのも面白そうだけど、やっぱりそれはやめておこう……。見たくない黒い虫が出てきそうで怖い。

 片付けが一息ついたところで、下の階から母親の声が聞こえてきた。


「いい加減お風呂入っちゃいなさーい、二人とも」


 ナイスタイミング。掃除で汚れたところだったから、早くお風呂に入りたかった。

 私は返事をしながら部屋のドアを開ける。するとまた和博の声が……。


「はーい」

『あぁ……』


 私が部屋を出ると、同じタイミングで隣の部屋から出てきた妹が、可愛い顔を醜く歪ませて睨みつけてきた。

 妹はその冷たい視線と共に、私に冷酷な言葉もグサリと突き刺してくる。


「お風呂はあたしが先に入るって、いっつも言ってるでしょ! 兄貴の後になんて、死んでも入りたくないから!」

「そ、そんな……」

「本当はあたしの後にも入って欲しくないんだけどね。残り湯とか飲んでそうだし」

「きょ、今日はやめときます……」


 私はすごすごと部屋に戻って、静かにドアを閉める。

 そして和博に向かって、私は思わず泣きついた。まだ泣いてないけど……。


「ちょっとぉ、怖かったわよ。あなたの妹さん」

『いつものことだよ』

「ねぇ、なに? なんなの? あなた、妹さんに恨まれるようなことでもしたの? それとも、本当にお風呂の残り湯を飲んでるとか?」

『飲まないよ!』


 もう無理。これ以上、この家には居られない……。

 和博に聞きながら、外泊に必要なものをスポーツバッグに詰めていく。

 準備が整った私はバッグを肩から掛けて鳥かごを持ち、和博の部屋を後にした。


「写真立ても持ってきた方が良かった?」

『あんまりいじめないでください。それに大丈夫です、実物がここにいるので……』


 階段を降りて、私は居間へと向かう。

 勝手に出て行くわけにはいかないから、母親に声を掛けておかないと……。

 

「私……僕は外泊しますので、しばらく戻らないと思います。お世話になりました」

「…………ぶはっっはっはっは、なーにそれ。あんた、家出でもすんの? あんまり笑かさないでよぉ」

「あ、いえ、友達のところに泊まるんで、家出じゃないです」

「……だから、あんたにいるの? 友達なんて。笑いすぎてお腹が痛いわ」


 母親の笑い声があまりに大きかったからか、妹も居間にやってきた。

 風呂上りの妹はバスタオル一枚だけ。

 私は思わず、そのみずみずしい体に目を奪われる。


「なに? お母さん、どうしたの? こら! こっち見んな、エロ兄貴!」

「だって、この子が家出するなんて言い出したから、おっかしくて……」

「あ、だから家出じゃなくて、友達の家に外泊を――」

「あははははっ……嘘ばっかり。兄貴を泊めてくれる友達なんているはずないのに、見栄張っちゃって。どうせネカフェでしょ? マジうけるんだけど」


 大爆笑する母と妹。真面目に話したのに、どうしてこんなに笑われるの……?

 だけどこの様子なら、家を出ても問題なさそう。

 夜ももう遅いけど、私は構わずに久山家を飛び出した。


『和博……私で良かったら、慰めてあげてもいいよ』

『なんだか僕がミジメみたいじゃないですか、やめてくださいよ!』

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