第24話 私の部屋

 久山を入れた鳥かごを手にして、暗くなった道をトボトボと自宅へ帰る私。

 自宅といっても久山家じゃなくて、谷川家の方へ。私はこれ見よがしにチャイムを鳴らしてから、門を開いて敷地内へと入る。

 なにしろ、今の私は【久山和博】。堂々と谷川家に踏み入ったら怪しまれちゃう。


「準備しておいた通りになったわね……」


 庭に隠しておいた合鍵で玄関を開けて、難なく家の中へと侵入成功。

 まるで、泥棒にでもなった気分……。

 自室に戻った私は、窓際のベッドの枕元に掛かっている銀の鳥かごの扉を開くと、そこへ文鳥を移し替えた。


「はぁ……無事で良かった……」


 ベッドで眠り続けている自分の体を見て、私は安堵の溜息を漏らす。

 自分の体をほったらかしにしている間は、気が気じゃなかった。玄関の鍵は閉めたけれど、窓は開けっぱなし。誰かに押し入られたら抵抗も出来ないのだから……。

 まずは自分の体に戻るために、眠り続ける私の唇にキスをすることに。

 自分にキスをするなんて、不思議な気分。

 せっかくだし、ちょっとムードを作って楽しんでみようかな……。


「とっても綺麗だよ、美和」

「そんな、恥ずかしい……。でも、嬉しいわ」

「その唇、とっても柔らかそうだね。味わわせてもらうよ、いいだろ?」

「はい……。でもお願い、優しくしてね……」


 一人二役で雰囲気を盛り上げた私は、横たわったままの【谷川美和】の首に右手を滑り込ませて抱き上げる。

 左手は腰へ。自分の体を優しく抱き寄せて、軽く首を傾げながら唇を重ねた……。


 ――ガツッ!


 仰向けにベッドに着地した私の鼻を目掛けて、久山の頭が降ってきた。

 しこたま鼻を打ち付けた私は、ツーンとした衝撃で目に涙が溜まる。

 ああ、そうか。キスをしてる最中に、体が入れ替わっちゃったから……。


『あははっ、なにやってんの? 美和』


 頭に響いた久山の声。ああ、しまった。今は一人じゃなかった……。

 今の一部始終を文鳥になった久山に目撃されたことに気付いて、私は恥ずかしさのあまりに両手で顔を覆う。


「お願い、忘れて」

『なに言ってんの、忘れられるわけないでしょ。あんな面白いもの』

「忘れなさい。忘れないとその首へし折るわよ!」

『わかった、わかった、忘れた、もう忘れたよ』


 まずは姿見に体を映して、自分の姿を確認する。

 うん、大丈夫。今の私は【谷川美和】、間違いなく元通り。

 そしてベッドに転がっているのは、眠ったままの【久山和博】。キスをすることで自分の意識を移せるという私の推論は、やっぱり正しかった。

 私が小さくガッツポーズをすると、頭の中に久山の声が響いた。


『ありがとう、美和』


 振り返った鳥かごの中で、久山が私を見つめる。

 こんな状況でお礼を言うなんて、理由がわからない……。

 私は皮肉っぽく、久山に尋ねてみた。


「鳥かごに閉じ込められてお礼を言うなんて、おかしな人ね。あなたって」

『でも思い止まってくれたからね、博美のこと』

「それは……あのまま続けたら、私があなたと同じ卑怯者になるって思っただけよ」

『卑怯者はひどいな』

「だって、卑怯者じゃないの! 博美に成りすまして、私の裸を見たり、触ったり、舐め回したり……」

『待って、待って、舐めてない、舐め回してはいないでしょ』


 ちょっと盛ったけど、大体事実だ。久山には、私の恥ずかしい部分を嫌というほど見られてしまった……身も心も。

 一時は復讐することも考えたけど、同じ過ちを犯した私にその資格はない。だけど代わりに、その分の代償は払ってもらうことにした。


「でも、私の恥ずかしいところを騙し見た償いは、絶対にしてもらいますからね」

『えー、僕はいったい何をすれば……』

「今までのことを洗いざらい全部話しなさい。そうしたら水に流してあげるから」


 ――私は勉強会から始まった一連の話を、延々と聞かされることになった……。




「聞くんじゃなかった……」


 最初に乗り移ったのは掃除機だったところから始まった、久山の身の上話。淡々と事実だけを話せばいいのに、情感たっぷりに語りだしたから手が付けられない。

 ――私が掃除機にアソコを押し付けて、感じてしまったところ……。

 ――自転車のサドルになって、私の股間を顔で受け止めた話……。

 ――お風呂に一緒に入った時の、私の裸体への賛美……。

 ――そして博美だと思って気を許した時の、私の乳房の感触……。

 久山が語る打ち明け話に、当時の恥ずかしい記憶がよみがえってくる。

 その度に私の羞恥心がこれでもかと煽り立てられて、全身がジーンと痺れるようにむず痒くなっていく。この感覚は、ちょっとした快感かもしれない。

 ああ、私は恥ずかしさを通り越して、何かいけない性癖に目覚めちゃいそう……。


「もうやめて……そんなに生々しく語らないで!」

『だって、美和が洗いざらい話せっていうから……』


 久山に自白させて、知らなかった情報も得られた。知らない方が良かったことまで知ってしまったけど……。

 あとはこの状況を利用して、博美との仲を深めるだけ。

 でもその前にやることは、悲しませてしまった博美を慰めてあげること。それには嫌われてしまった私じゃなくて、【久山和博】の体の方が都合が良さそう。

 どうやって博美を慰めようかと考えていると、久山の声が頭に響く。


『それにしても、今日の博美にはビックリしたなぁ……』

「あなた幼馴染でしょ? 今までに色々な博美を見てきたんじゃないの?」

『いやぁ、付き合いの長い僕でも、あんな博美を見たのは初めてだよ』


 普段は堂々として、いつも元気いっぱいの博美。その博美があんなにうろたえて、涙をこぼすなんて……。

 しかも幼馴染の久山でさえそんな姿を見たことがないと聞いて、私はとんでもないことをしてしまったと後悔した。


「あなたにも見せたことなかったのね、あんな姿は……」

『当たり前だろ? ものすごく興奮したよ!』

「そっちなの!?」


 久山が考えてたのは博美のエッチな姿だった。これだから男って……。


「どうやったら博美を慰めてあげられる? 幼馴染ならわかるでしょ?」

『別に放っておいても、明日にはケロッとしてるんじゃないかな』


 やっぱりこの男は信用できない。自分でなんとかしなきゃ。

 まず私は、再び久山の体に乗り移ることにした。


 ベッドに横たわる久山に覆い被さって、唇を寄せる私。

 あっ、危ない、危ない……。さっきはこれで、痛い思いをしたんだっけ。

 久山の体を横に向けた私は並ぶように寝そべって、横向きで唇を近づけ直す。


「うっ、うぅっ……こんなやつにキスするなんて……」


 さっきは、自分の顔に向かってキスをしたから気にならなかった。

 でも目の前にあるのは久山の顔。気持ち悪いとは言わないけど、憎らしいこの男に自分の方からキスをするなんて、私のプライドが許さない。


『いいなぁ、僕の体。羨ましいよ』

「ちょっと、冷やかさないでくれる?」

『体が入れ替わったら困るから、僕はキスできなかったんだよね、美和と』

「うるさい、うるさい、落ち着いたらいくらでもしてあげるから黙ってなさい」

『ほんとに!?』

「嘘よ!」


 気持ちを落ち着けて、私は覚悟を決める。

 これは博美のためなんだから……。悔しいけど我慢しなきゃ。

 私は久山の両肩に手を乗せると、ゆっくりと引き付けるように顔を近づけていく。視界に顔を映さないように、固く目を瞑って。

 やがて私の唇に、少しざらついた久山の唇の感触が伝わった。


「んんっ?」

『早くしちゃいなよ』

「したわよ。確かに口をつけたわ」

『気のせいじゃないの? もっとガバっと行ってみなよ』


 久山にけしかけられて、私はもう一度キスを試みる。

 一度しちゃったら二回目も同じ。プライドなんて言ってられない……。

 私は狙いを定めるために久山の両頬に手を添えると、鼻がぶつからないように少し顔を傾けて、グッと自分の顔を押し付けた。

 だけど、目の前にあるのはやっぱり久山の顔。全然入れ替わらない。

 キスの仕方が不十分なのかと、久山の口内に舌を捻じ込んで絡めてみたり、歯茎を舌でなぞってみたりしたけど、やっぱり体は入れ替わらなかった……。


『おぉふ……ごちそうさま』

「あなたにキスしたわけじゃないから!!!」

『いや、明らかに僕の体にキスしてくれたじゃない。それも濃厚なやつを』

「だって、全然入れ替わらないんだもの。どうして? 何がいけないの?」

『僕も体を取り戻してからは、何回キスしても入れ替わらなかったからね。体が元に戻ったら、そこで入れ替わり体質は終了なんじゃないかな?』


 体勢を変えたり時間をおいてみたりと、色々試してもやっぱりダメだった。

 久山の言う通り、元の体に戻ったらもうおしまいなの?

 だとしたら、もう一度体を入れ替えるには文鳥のヒロミを経由するしかない。

 だけどそうすると、最初に文鳥とキスした時点で久山が私に乗り移っちゃうから、その手は使えない。

 私はさっき久山から聞いた話を、改めて思い出してみる。

 何かない? どうにかして、久山に乗り移る方法は……。


 ――これだ!


 私は久山が逃げ出さないように、鳥かごの扉を少しだけ開いて手を差し入れる。


「おとなしくしてねー、久山くーん。優しくしてあげるからねー」


 そして文鳥の久山をそっと捕まえると、申し訳ないと思いつつもその羽根を一枚、プチリと引っこ抜いた。


『痛てぇ!』

「ごめん、ごめん」


 せめてもの罪滅ぼしに、羽根を引き抜いた部分をさすってやる。

 そして逃げられないように再び扉を閉めると、私はその羽根を握りしめたままで、横たわる【久山和博】の体を抱き上げてその唇にキスをした。


 ――ゴツン。


 仰向けにベッドに着地した私の鼻を目掛けて、私の頭が降ってきた。

 しこたま鼻を打ち付けた私は、ツーンとした衝撃で目に涙が溜まる。

 それは、再び私が【久山和博】の体を獲得した瞬間だった……。

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