第16話 貞操危機一髪

 ――もにゅっ……。


 美和の手が、僕の左手をその大きな膨らみに押し付けた。

 これって……触ってもいいってことだよ……な?

 でも、僕が迷う必要なんてなかった。美和は自分でシャツの第三ボタンを外すと、掴んでいる僕の左手を服の中へと導いたから……。

 僕の手に触れる、少し硬いブラジャーのカップ。

 そこから溢れ出しているのは、プリンのように柔らかい胸。

 言葉を失った僕は、もうDVDどころじゃない……。


「み……美和?」

「……………………」


 美和はしばらく僕の左手を掴んでいたけど、その手を放して背中へと回す。

 プチッと弾けるブラジャーのホック。服の中でフッとブラジャーが緩む。

 今の主導権は完全に美和。もはや僕は美和の操り人形。きっとここから先の僕は、美和の思惑通りに動かされてしまうに違いない。

 多少の誘惑は覚悟してきたけど、まさかこんな展開になるなんて……。

 理性が抑えきれなくなった僕はゴクリと唾を呑み込んで、片手で覆いきれないほど大きな美和の胸を鷲掴みにした。


「痛っ」

「ご、ごめん」

「でも、博美になら、乱暴にされてもいいかも……」


 こんなことなら、自分の胸で練習しておくんだった。でも大きさが全然違うから、参考にならないか……。

 失敗を反省した僕は、今度は力を加減して美和の滑らかな曲線に手を沿わせる。

 そのまま包み込むように美和の敏感な膨らみを優しく捕らえると、聞いた僕の方がゾクゾクするほどの艶っぽい声を彼女が漏らした。


「……んっ……んはぁっん……博美……」


 下から支えるように持ち上げた美和のおっぱいは、感動するほどの柔らかさ。

 だけど、頭の中がグチャグチャになるほどの興奮と、痛みを与えないようにという必死さで、その感触を楽しむ余裕なんて僕にはない。

 次は乳房の輪郭を確認するように、膨らみの一番外側を指でなぞってみる。

 指の腹や爪の先を滑らせてやると、小刻みにピクピクと震え出す美和の体。調子に乗った僕は、いよいよ指を柔らかい丘に這わせて、膨らみの頂点を目指す。

 すると指先が頂点に迫るにつれて美和の息遣いが荒々しくなり、僕を見つめる目もトロリととろけていくのがハッキリわかる……。



「――美和、玄関にお友達が見えたけど、お上がりいただいてもいい?」

「あっ、はっ、はい。ゆ、ゆっくりでいいので、ご案内してください」


 ドアの外から突然聞こえてきた、美和の母親の声。

 これはマズい……友達が上がってくる前に、大急ぎで体裁を繕わないと……。

 カーテンを開いて、探し当てたリモコンでDVDを止める僕。

 大急ぎでシャツのボタンを留めて、手櫛で髪を整える美和。

 友人を連れた美和の母親がドアを開く前に、なんとか日常を取り戻せた……。


「お邪魔しまーっす」

「ひ……和博」

「ひさやまぁ……くん……」


 開いたドアの向こうに立っていたのは、まさかの僕……の姿の博美。

 だけど美和にとっては、またしても和博に邪魔をされた図。高まっていたムードをぶち壊されたせいか、美和は彼女らしからぬ乱暴な言葉を叩きつける。


「何しにきたのよ! 私、あんたなんて招待してないわよ、とっとと帰ってよ!」

「クラスメイトとして訪問したら、あんたのお母様がここへ案内してくれたんだよ。それよりも、二人で何してたの?」


 飄々と美和の怒りを受け流しながら、博美は僕に軽蔑の眼差しを向ける。

 窓から差し込む光、何も映っていない大きなテレビ。証拠隠滅は間に合ったはず。だけど息が乱れたままの二人は、やっぱり少し不自然かもしれない。

 それでも美和は涼しい顔を取り戻すと、博美の質問に堂々と答える。


「二人でお茶を飲みながら、他愛のない雑談に花を咲かせていただけよ」

「ふーん、ずいぶんと雑談は盛り上がってたみたいね……」

「当然よ――」

「ブラのホックが外れちゃうほど?」

「!!」


 美和は一瞬で顔を真っ赤に染めて、慌てて両腕で胸を覆い隠す。

 でもそれは博美の言葉を認めたようなもの。そのことに美和自身も気付いたのか、気まずさを誤魔化すように博美に怒りをぶつけだした。


「帰って、帰って、帰って、いつまでもなに見てるのよ。とにかく帰ってよ!」


 博美の背中を両手で押して、部屋から追い出そうとする美和。

 そんな悔しそうな美和を見る博美の目は、勝ち誇ったように嬉しそう。

 そしてその目はすぐに冷ややかになって、今度は僕に向けられる。


「はい、はい。博美もそろそろ帰った方がいいよ。もう遅いしね」

「あ、うん……もうこんな時間か……」


 こうなってしまったら、居残ったところで美和とも気まずいだけ。

 僕は促されるままに、博美と一緒に部屋を後にした……。



 とても気まずい帰り道。続いていた沈黙を打ち破ったのは博美の方だった。


「ねぇ、あんたって……谷川さんのことが好きなの?」

「えっ? な、なに言ってんだよ。んなわけないだろ。どうしてそう思うのさ」

「いやいや、バレバレだから。あんたの態度見てたら一目瞭然だよ」


 そんなに態度に出てたのかな……?

 みんなの前では仲のいい女友達を演じてたつもりだけど、中身が【久山和博】だと知っている博美の目はごまかせなかったらしい。

 そこまでバレているのにしらを切るのも見苦しいので、僕は観念することにした。


「そうだよ。悪いか?」

「悪いよ。この身の程知らず!」

「そんなことわかってるよ。だけど仕方ないだろ……好きになっちゃったんだから」

「そっか…………そうだよね。あんな美人、好きにならない男子はいないよね」


 もっと馬鹿にされるのかと思ったら、意外とすんなり納得した博美。

 体が僕になったせいで、男の気持ちが理解できるようになったとか……?

 そんな博美は、僕が悩んでいる痛いところを突いてきた。


「でも、その体で谷川さんと仲良くなっても仕方ないでしょ? まさか……あんた、ずっとこのままでもいいって思ってる?」


 本音を言うと、それも悪くないかな……と、ちょっと思ってた。

 でもやっぱりそれじゃダメだ! 僕は【久山和博】として、美和とさっきみたいなことをしたい!


「思ってない、思ってない! 美和とは、自分の体に戻った上でお付き合いしたいと思ってるよ」

「だよね。だけど、キスしてもダメだったし、どうすれば元に戻れるんだろ……」


 ごめん、博美。僕があの時拒まなければ、とっくに戻ってたんだよ。

 でも、もう少しだけ。美和の誤解を解くまで、もう少しだけ待ってくれよな……。

 今自分の体に戻っても、【久山和博】に対して嫌悪感たっぷりの今の美和とじゃ、仲良くなれるイメージが全然湧かないから……。


「ねぇ、和博。キスでダメなら、もう少し先まで進めてみるのはどうかな?」

「もう少し先までってどういうことだよ」

「そりゃぁもちろん、セックスでしょ」


 ――ブフーッ!


 僕は思わず噴き出す。人通りもある道の真ん中で、真顔の博美が恥ずかしい単語を口走ったから。

 そして今の発言は博美の言葉だと思うと、ちょっと興奮した。

 だけど、その言葉を発したのは僕の体だ……。


「お、お、お前……こんな場所で、普通の声でなんてこと言うんだよ」

「ふふん、だって今は和博の体だから、あたしは恥ずかしくないもんね」

「この野郎……」

「あたしの体で谷川さんとエッチなことしてたから、お仕置きだよーだ!」


 そう言って、いたずらな笑顔で舌をベーッと出してみせる博美。

 だから……僕の容姿でそんなことされても、気色悪いだけだっての……。


「だけどお前、本気か? それなら……やってみる?」

「やるって何を? セックス?」

「だからお前は! ハッキリ言うなっての」

「するわけないじゃない。冗談よ」

「ちょ、お前……」


 からかわれた……。童貞を捨てられるかもって思った自分が少し悔しい。あれ? 今のままだと処女を捨てることになるのか?

 どっちにしてもやられっぱなしじゃ収まらないので、僕は反撃に出ることにした。


「くそっ、じゃぁ、こっちはここで裸になってやる!」

「えっ? あっ、ちょっとやめて! こんなところで脱がないで!」


 僕が軽くブラウスのボタンに手を掛けただけで、博美のこの慌てぶり。

 なんとか反撃に成功して、僕の溜飲は少し下がった。

 だけど今はこの調子で、お互いに弱みを握り合っている状態。だから下手なことをすれば、僕の体を使って何をされるかわからない。気をつけないと……。

 ふざけ合いも落ち着いて、再び歩き出すと博美がつぶやいた。


「だけど、そっかー……よりにもよって、谷川さんを好きになっちゃったかー」

「どういう意味だよ?」

「まぁ、実らないと思うけど、頑張んなさいよ」

「えっ? 笑わないの?」

「恋する気持ちを笑い飛ばすほど、あたしは人間腐ってないよ。あんたが本気なら、あたしもこの体で谷川さんの気を引けるように、少しは頑張ってみるよ」


 これは願ってもない、強力な助っ人が味方に付いた。

 僕の体である博美も協力してくれるなら、きっと美和の誤解が解ける日も近い。


「そっか、それは助かる。ありがとう、博美」

「何言ってんの、博美はあんたでしょ! た・だ・し……貞操だけは守ってよね! さっきみたいなことになったら承知しないよ?」

「はいっ、貞操は守ります! 絶対に」

「じゃぁ、あたしこっちだから。谷川さんのこと、頑張るんだよー」

「もちろん! お前も頼むな、僕の体でフォローよろしく」


 夕焼けを背負った博美の表情は、逆光で良く見えなかった。

 だけど、保護者のような優しい笑顔を僕に向けていた……と思う。

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