第四章 日常始めました。
第17話 四面楚歌
博美はここ数日元気がない。いや、もう少し前からかもしれない。
今日も頬杖を突きながら、ため息ばかりついている僕の体の博美。
元々の僕はそんな感じだったから、クラスメイトは誰も異変に気付かないだろう。だけど今の中身は元気が取り柄の博美だから、ちょっと心配だ。
その理由は見当がついている。クラス内に妙な噂が流れだしたせいだ。
「久山のやつ、博美ちんのこと襲ったって本当? 大丈夫だったの?」
「強引にキスされそうになったって聞いたよ? あいつ、許さない」
「キモい、キモい、キモーい! ひろみんが可哀そう」
代わる代わる僕のところへやって来て、身に覚えのない心配をしてくれる女友達。さすが、同性から大人気の博美だ。
一方、そんな噂が膨らむにつれて、博美の元気は日に日に
でも膨らみすぎた噂は、もはや既成事実。僕が否定したところで、誰もその言葉に耳を貸さない。
「和博って、確かに暗く見えるかもだけど、みんなが言うほど悪い奴じゃないよ」
「幼馴染だからって、博美ちんがかばってあげることないんだよ」
「久山は乙女の敵ぞなー。許すまじ」
こんな調子で、当事者が否定しても効果がないんじゃどうしようもない。
そんな噂は、尾ひれを付けながらクラスの男子にも広まっていく……。
「久山って、谷川さんが着替えてるところを覗いたらしいぞ」
「許せねぇな。俺たちの谷川さんの着替えを覗くとか、うらやま……けしからん」
「他にもあいつに襲われた子がいるって聞いたよ。見境のないレイプ魔だな」
「でも非力すぎて、返り討ちにあったらしいな。いい気味だぜ、まったく」
「最近、言葉遣いもナヨナヨして気色悪いんだよ、あいつ」
クラス内の【久山和博】は孤立していく一方。
本来は、しゃべらないと窒息するような博美なのに、毎日毎日黙り込んだまま。
塞ぎ込んでいる姿が見ていられなくて、僕は博美に声を掛ける。
「ちょっと、博……じゃなかった、和博。大丈――」
「いいから、近寄らないで!」
何度声を掛けてみても、毎回こんな調子で追い払われる。
心配で仕方がないけど、博美に突き放されたら僕には打つ手がない。
「あんな奴は放っておきなさいよ、博美。それより今日は生徒会のお仕事がないの。一緒に帰りましょう」
「う、うん、そうだね」
「……ねぇ、今日も一緒にDVD見ない……?」
「ごめんね、美和。今日はちょっと、家でお手伝いを頼まれてて……」
さすがの僕も、今日ばかりは美和の誘いに乗る気が起きなかった……。
日を追うごとに、クラス内での【久山和博】の孤立はエスカレートする一方。
暴力も振るわれ始めたみたいで、制服が汚れたり綻びたりしていることがある。
そして博美はとうとう学校を休み始めた、それも今日で三日目。
メッセージを送れば、『風邪引いた』とか『まだ熱がある』なんていう素っ気ない返事はくるものの、心配でたまらない僕は家を訪ねることにした……。
――ピン……ポーン。
久しぶりの自宅。チャイムを鳴らしても応答なし。でも僕の両親は共働きだから、この時間はいなくて当たり前。
僕は応答のないインターホンに向かって、大声で叫んだ。
「博美ー! 出てこーい。声を聞かせてくれー」
玄関のドア越しに耳を澄ますと、トントントンと足音が聞こえてきた。
しばらく間があって、そっと玄関のドアが開く。僕はそのドアが開き切る前に手を掛けて、強引にこじ開けた。
風邪で学校を休んだはずの僕の体は、どこをどう見ても健康そうだ。
「博美が仮病で学校を休むなんて、やっぱり普通じゃないだろ? どうして相談してくれないんだよ。話しかけても、いっつも逃げちゃうし」
「だって、あたしが女の子に近づくと、それだけで、その……色々言われるから」
「言われてるだけか? いじめられてるんじゃないのか?」
博美はなにも悪くない。そんなことはわかってる。
だけど心配で仕方がない僕は、博美のはっきりしない態度にイラついてしまって、責め立てるようについつい声が大きくなる。
そして僕がさらに詰め寄ろうとすると、博美はポロポロと涙をこぼし始めた。
「うっ、うぅっっ……ごめんね、ごめんね! なんだか、あたしのせいで……みんなから嫌われちゃったみたいで……。うぅぅっ……この体は和博のものなのに……」
「気にすんなよ、そんなこと」
「気にするよ! あたしのせいで無視されて……和博がひどい目に遭ってるんだよ? あたしのせいなんだよ?」
「でも、実際に嫌な思いをしてるのは博美だろ?」
「だって…………」
みるみるうちに顔をクシャクシャにして、博美が泣き崩れる。
鼻水まで垂らして、大粒の涙を雨のように地面に滴らせる博美。だけど、その顔は僕の顔。さすがに見ていられなくなった僕は、そっと顔を背けた。
とりあえず、見るに堪えないこの泣き顔をなんとかしようと、僕は博美の肩に手を掛けて引き続き励ます。
「僕が誰からも相手にされないのは、いつものことだから気にするなよ」
「うぅっ……そんなこと言わないでよ……。だったら以前のあたしは、そんな和博に何もしてあげられなかった薄情者みたいじゃんか……」
博美はどうやっても泣き止んでくれない。
これ以上励ます言葉が浮かばない僕は、玄関でしゃがみ込んで肩を震わせる博美を見下ろしながら、呆然と立ち尽くす。
こんな博美に、なんて声を掛ければ立ち直ってくれるんだよ……。
どうしたらいいか途方に暮れていると、背後から聞き慣れた声が掛かった。
「あ、こんな所にいた」
僕が振り返ると、そこにいたのは自転車に跨ったままの美和だった。
美和は自転車を降りると、僕の手を握りしめて連れ去ろうとする。
「電話は出ないし、家を訪ねても居ないから心配したわよ。こんな人は放っといて、私のおうちにいらっしゃいよ」
「いや、でも……」
「ほら、早く!」
強引に腕を絡めて、いつものようにその大きな胸を押しつけてくる美和。
そこまでされると、フラフラっと美和の誘いに乗ってしまいたくなる。だけど今の博美を、このままにしておくわけにはいかないよな……。
その、僕が葛藤した一瞬の隙に、博美は背を向けて家の中に入ってしまった。
これ以上ここにいても、きっともう僕の声は届かない。後ろ髪を引かれながらも、僕は美和のいい匂いと柔らかな感触のお誘いに乗ることにした……。
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