第12話 ファーストキス? セカンドキス?

 翌朝目覚めると、僕の目に映ったのは真っ白な天井だった。

 左側にあるのは、大きなガラス窓……。


 ――首が動く!


 右手に見えるのは、取っ手の大きな引き戸。

 僕は体を起こすと、殺風景な室内を見渡した。

 ああ……久しぶり過ぎるこの感覚。体が自由に動かせる……。


「よし、期待通り!」


 やっぱりここは病院のベッドの上。個室らしくて他には誰もいなかった。

 僕はすかさず下を向いてみる。着ているのは胸元ゆるゆるの寝巻き。

 続けて両手を胸に当ててみるのは、当然の流れだ。


「おぉぉぉおおお……」


 その手が捉えた感触は、乏しいながらも明らかな膨らみ。

 僕は寝間着の衿を掴んで、左右にガバっと開いてみる。


「紛れもなく、女の子のおっぱい!」


 なだらかな膨らみの頂点は少し濃いめの肌色で、男のときの自分よりもハッキリと突き出た突起物。かといって、大きいっていうほどじゃない可愛らしい乳首。

 間違いない、これはこの間拝ませてもらった博美のおっぱいだ!

 枕元に転がっていたのは、少女マンガの第3巻。谷川さんが昨日、博美の手に僕を握らせてくれたお陰で乗り移ることができた。

 ということは、やっぱり博美の意識は体から抜け出してたってことか……。


「そういえば、谷川さんが手紙を挟んでたっけ……」


 マンガ本を開いてみると、やっぱり手紙が挟まっていた。

 でもこれは、谷川さんが博美に宛てたもの。さすがにそれを見るのはマナー違反だと判断した僕は、手紙を挟んだままマンガ本を閉じた……。


「そんなことよりも、だ。女の体になったなら、やることは一つ!」


 女性の体を手に入れた男なら、ほぼ全員が真っ先に試みるはず。

 それは……。


 ――女性の快感を味わってみること!


 僕は手に入れた柔らかい膨らみに両手を当てて、ゆっくりとまさぐってみる。

 あれ? おかしいな……全然気持ち良くない。

 だったら、もっと強く揉んでみるか……。


「痛たたたた……。どうしてだ? そんなはずは……」


 こうなったら、本気出す!

 僕は乳首に人差し指を当てて、クリクリと転がしてみた。

 うーん、そんなはずは……。女子って、こうすると気持ちいいんじゃないのか?

 乳首は少し硬くなったけど、くすぐったいぐらいで気持ちいいってほどじゃない。


「こうなったら、やってやる……博美、許してくれ!」


 僕は決心して下半身に手を伸ばす。

 すると、硬いものに手が触れた。


「痛い、痛い……なんだこれ……」


 どうやらこれは尿管カテーテル。意識がなかったからつけられてたらしい。

 それなら、そこを避ければ……。

 僕は寝巻きの帯を解いて前を開く。すると突然、病室のドアが開いた。


「大丈夫ですか!? 大崎さん、目が覚めたんですか? あ……」


 検温の時間らしくて、ワゴンを押しながら入ってきた看護師さんから声が掛かる。

 僕は寝間着の前を全開にしたまま、看護師さんと目が合った……。




 意識が戻って退院してきた博美の身体の僕は、すぐに学校に行くことにした。今の僕には、真っ先に確かめなくちゃいけないことがあるから。

 それは、女子の体で得る快感……は、ひとまず置いておいて、僕の身体の中の人。その正体を確認せずにはいられない。

 だけどそんな僕を、博美の母親が引き止める。


「えっ? あんた、学校にいくつもり? もう少し休んだ方がいいんじゃない?」

「大丈夫ですよ。なんともないですから……」

「やっぱりあんた変よ。なんでそんな、よそよそしい言葉遣いになってるのよ」

「あぁぁ、平気、平気。なんともない、なんともない。それより学校行ってきます」


 危ない危ない、今は博美のお母さんじゃなくて、自分の母親なんだった。

 でも他人の母親なのに、馴れ馴れしく接するなんて無理。なるべく距離を置いて、中身が別人だってことを悟られないようにしないと……。

 ひとまず今の僕は、博美の母親から逃げるように学校へ駆け出した……。



 学校に到着したらもうお昼。僕は昼休みのタイミングで教室に顔を出す。

 すると、クラスメイトの女子たちが駆け寄ってきて、僕の周りにはあっという間に人垣が出来上がってしまった。


「博美ちん、もう大丈夫なの? 入院したって聞いたよ?」

「ひろみ~ん、無理しないでね。何かあったら言ってね」

「博美~。寂しかったぞなー」


 代わる代わる抱きつかれたり、頭を撫でられたり、頬を擦り寄せられたり。博美が同性から人気があることは知っていたけど、ここまでだったなんて……。

 柔らかい女子たちの感触に、僕の表情が思わず緩む。

 そんな人垣の中には、目を潤ませた谷川さんの姿もあった。


「大崎さん、心配したわよ」

「あ、ははは……。み、みんなごめんね、心配かけちゃって……」


 博美の口調はどんなだっけと思い出しながら、みんなに返事をする僕。

 中身が別人だなんて、知られるわけにはいかない。

 ましてや、それが【久山和博】だなんてことは……。


「ひーろみーん、お昼食べよ?」

「あー、ごめんね。家で食べて来ちゃった」

「お菓子もあるぞなー」

「ああ、今はいいかな」


 ひっきりなしに誘ってくる、博美の友人たち。今はそれどころじゃないのに……。

 僕がひたすら誘いを断っていると僕がやって来て、僕の前に僕が立ちはだかった。うーん、自分の姿を客観的に見ると、なんだか混乱する……。

 目の前にやってきた僕の身体は、僕の耳元に口を寄せてコッソリ囁いた。


「ねぇ、あんた、和博なんでしょ?」


 声はもちろん僕だけど、その口調、雰囲気……中身は博美だと確信した。


「やっぱりお前、博美だったか」

「しーっ!」


 思わず僕が声に出すと、博美は唇に人差し指を立てて睨みつけた。

 キョロキョロと周囲を見回す、僕の身体の博美。そして強引に僕に腕を絡ませて、教室の外へ連れ出そうとする。


「ちょっと来て」

「来てって、どこへ」

「いいから!」


 グイグイと僕の腕を手繰り寄せる博美。

 するとその周囲を、博美の友達が取り囲んだ。


「ちょっとあんた、博美をどうするつもりよ」

「ひろみん、嫌がってるじゃない。この痴漢!」

「久山のスケベ! 変態!」


 うわー、僕ってば完全に犯罪者扱いかよ……。

 迫って来るクラスメイトに威圧されて、博美の目に涙が溜まる。でもこんなことで泣かないでくれよな、それ僕の身体なんだから……。

 ここは【久山和博】の名誉を守るために、僕がフォローしないと……。


「心配ないから大丈夫。ちょっと話があるらしいから行ってくるね」

「ホントに大丈夫?」

「気をつけてね、ひろみん」


 はぁ…………【久山和博】って人物は、どんだけ信用ないんだよ……。



 博美に連れてこられたのは体育館の裏。ここは休み時間でも人気ひとけがない。

 そしてさっそく、博美は強い口調で僕に質問を浴びせる。


「ねぇ、どういうこと? 説明してよ」

「いや、説明しろと言われても、何を説明したらいいんだよ」

「決まってるでしょ! なんで身体が入れ替わったのよ」

「それを言うなら、博美が僕の身体になった方が先だろ。どうして博美が僕の身体で動き回ってるんだよ」

「それは、あんたのお見舞いに行った時に、病室でキ……突然乗り移ったの!」


 なるほど状況は察した。

 博美が僕の見舞いをしてくれたって聞いたときから、そんな気はしてたけど。

 それにしても『突然乗り移った』なんて、嘘をつくの下手すぎだろ……。


「ふーん、突然ねぇ」

「な、なによ。あんたこそ、あたしの身体に、その……どうやって乗り移ったのよ」

「僕はただ寝て、目が覚めたらこの身体になってたんだよ」


 嘘は言ってない。大事なことの大部分も言ってないけど……。

 なにしろ、掃除機から始まった一部始終を話したら、大変なことになってしまう。

 でも『寝て起きた』なんて言葉だけで、博美が納得するはずがない。博美は僕に、グイっと顔を近づけて声を荒げた。


「はぁ? そんなはずないでしょ。あんたもあたしにキスしたんじゃないの?」

「あんた『も?』。どういうことかな? 博美はしちゃったの? キス」

「それは…………」


 博美は耳まで真っ赤にして、恥ずかしそうにうつむいて黙り込んでしまった。

 ああ、これが博美の姿だったら、きっと可愛いく見えるんだろうな……。

 だけど、モジモジと恥ずかしがっている今の姿は僕!

 そんな自分の姿を見せつけられたら、こっちの方が気恥ずかしい。

 僕が意地悪く、黙って様子をうかがっていると、博美がおずおずと口を開いた。


「…………ごめんね。したの……キス」


 下を向いたまま、申し訳なさそうに謝る博美。僕はさらに意地悪く追及する。


「なんでまた、そんなことを」

「それは……病室で全然目を覚まさない和博を見てたら……ずっとこのままだったらどうしようって……うぅっ……」


 そこまで言うと、深刻な表情で涙をこぼし始めた博美。

 軽い意地悪のつもりだったのに、まさか博美が泣き出すなんて……。

 自分の泣き顔なんて見ていたくはないけれど、どうすることもできない僕は黙って話を聞き続けることにした。


「それでね……よく童話とかにあるじゃない? キスをしたら目が覚めるってやつ。だから、ひょっとしたら……って」

「それは王子様の役目だろ」

「でも、キスしたら身体が乗り移ったんだよ? だから、もう一回キスしたら身体が入れ替わってもおかしくないでしょ? ねぇ……してみよう? キス」


 博美は急にスイッチが入ったように、僕にキスをせがみ始めた。

 女子にキスを迫られたら、当然喜んで応じる。でも今迫ってるのは【久山和博】。中身が博美だとわかっていても、男の体に迫られる僕は嬉しくない。

 それに、ここでキスをしたら体が戻ってしまう。

 僕はまだ、女の子の体で快感を味わうっていう使命を果たしてないんだ!

 あれ……僕の使命って、別にあったような……。


「いやいや、待てって。こんなところでキスとかダメだろ、落ち着けよ」

「いいじゃない、ちょっと唇を合わせるだけだよ。すぐ終わるから」


 僕の背中に手を回し、強引に顔を近づけてくる博美。

 力尽くで唇を奪いに来る博美を、僕は両手をつっかえ棒のようにして押し留める。

 まだ僕は、女の子の体を手放したくないんだ!

 だけど相手は、非力とはいえ男の体。この博美の体じゃ抗いきれない。


「んぐっ……」


 顔を傾けて、強引に唇を重ねてきた博美。

 ああ……唇を奪われてしまった。

 なんてこった、僕のファーストキスの相手は僕かよ……。



「――やっと見つけたと思ったら、何やってるのよ!」


 悲鳴のような叫び声が、僕の耳に突き刺さった。

 突然現れた谷川さんは、僕と博美を引き離すように二人の間に体を滑り込ませる。


 ――パーン!!


 首が一回転するんじゃないかと思うほどの、強烈な平手打ち。

 それを食らったのは、もちろん僕…………の体の博美だった。

 あれ? 確かにキスをしたはずなのに、体はそのまま?

 ああ……僕が拒んだから、入れ替わらずに済んだのか。

 左側の頬を押さえて、ポロポロと涙をこぼしている博美。気の毒だとは思うけど、みっともないから僕の身体で泣かないでくれよ……。


「最低!」


 谷川さんは博美に向かって、世界が凍りそうなほどの冷酷な眼差しで一瞥すると、そのまま僕の腕を掴んで連れ去った……。

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