第三章 人間はじめました。
第11話 お前は誰だ?
「――おお、和博! 久しぶりだなぁ。おまえ、大丈夫だったのか?」
僕が登校してきただって!? そんなバカな……。
少女マンガに乗り移った僕が、谷川さんの机の中で長い一夜を明かしたと思ったらとんでもないことになった。
信じられないけれど、ざわつく教室の話題はやっぱり僕のことばかりだ。
「久山、一週間ぶりぐらいか?」
「あんた、サボってたんじゃないの?」
僕がクラスメイトたちから話題にされるなんて、どうしても信じられない。
だけど、一週間ぶりに登校した僕が、みんなからチヤホヤされてるのは事実。
くそっ、僕のくせに羨ましい……ニセモノのくせに……。
気になって仕方がないけど、少女マンガ第3巻の僕には確かめようがない。
『おーい、その僕は本当に本物か? 中身の僕は今ここにいるんだぞ?』
僕が焦れていると、目の前を塞いでいた椅子の背がガタリと音を立てて動いた。
ん? 谷川さんが登校してきたのか?
引いた椅子に着席した制服姿の女子が、今日使う教科書を机の中にしまい始める。
すると、女の子の手が僕の体に触れた……。
「ん? なにかしら?」
机の中を覗き込んだのは、やっぱり谷川さんだった。涼しい表情の彼女が目の前に迫って、僕は思わず息を呑む。
僕を机から取り出した谷川さんは、本のタイトルを見て表情が少し緩んだ。
「続きを持ってきてくれたのね、大崎さん」
表紙を谷川さんが眺め始めたから、背表紙にある僕の顔が横を向く。
そしてその視界が、ちょうど僕の席を捉えた。
『お前は…………誰だ?』
あれは紛れもない、冴えない僕の顔。奴は何食わぬ顔で、僕の席に座っている。
これって、一体どういうことだよ……。
僕の意識はこうして抜け出たままなんだから、体も眠り続けているはずだろ?
体が意識を取り戻したなんて、そんなのおかしいじゃないか。
それじゃぁ、少女マンガに乗り移ってる、今の僕の存在って一体……。
『くそっ……こうなったら、みんなの会話から少しでも情報を得て……』
だけどみんなの興味はとっくに他に移って、僕はポツンと一人で席に座っていた。
そりゃそうか……僕だもの。
やがて担任が教室に入ってきて、校則違反品の僕は机の中にしまわれる。
そしてホームルームが始まった……。
「芦沢くぅん、安藤くぅん……」
出席を取り始める、石黒先生の甘ったるい声。
順番が来れば、当然僕の名前も読み上げられる。
「久山くーん」
「はい」
「もう体は大丈夫なのね? でも、無理しちゃダメよぉ? 先生との約束ねっ?」
「わかってまーすっ! 大丈夫でーっす!」
僕の声を聞いた僕は、体がムズムズとこそばゆくなる。録音した自分の声を聞く、羞恥心に似たあの感覚。
だけど僕って、こんなにハキハキしてたっけ? それもなんだか違和感しかない。
先生が男子全員の名前を呼び終えると、続けて女子の出席確認に移った。
「秋田さぁん」
「はい」
「大崎さぁん……は、休みだったわねぇ」
へぇ、珍しいこともあるもんだ……。
元気が取り得の博美が、学校を休んだ記憶なんて僕にはない。
でも一昨日の夜は繊細な一面も見せていたから、精神的に脆かったりするのかも。
原因の一端が僕にあるんだとしたら、ちょっと申し訳ない……。
「それじゃぁ……今から持ち物検査をしまぁす!」
出席を取り終えた石黒先生が、緊張感のある声を教室に響かせた。
その直後、当然のように教室内が騒然となる。
「ちょ、ちょっと待てよ。持ち物検査とかふざけんな」
「またやるの? 信じらんない……」
生徒たちが不満を漏らすのも当然、持ち物検査はつい先日やったばっかりだから。
詰め寄る生徒たちに、今日も石黒先生は泣き出しそうな声で謝る。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ。私はやりたくないんだけど、前回の検査結果があまりにもひどくってぇ……職員会議で、再検査しようってことになってぇ……」
「だからって、こないだやったばっかだろ!」
「やったばっかりだから、逆に油断してるだろうってぇ……ごめんね、ごめんねっ」
「ちっ、仕方ねーな……」
「石黒先生が決めたわけじゃないもんね……」
またしても、か弱いお嬢様の雰囲気で乗り切った石黒先生。
だけど、本性を知っている僕はもう騙されないからな!
「はい、机の上にカバンと、机の中の物を全部出してねぇ」
これはまずい……。僕が見つかれば、また取り上げられてしまう。そうなったら、また先生の家に逆戻りだ。
それはそれで、また先生の凄い場面が見られるかもしれないけど、ようやく苦労の末に谷川さんの元に戻れたばっかりなのに……。
「こんなもの持ってきちゃダメじゃない。没収するわね」
「うぅぅ……」
「はい、あなたはオッケー」
徐々に迫って来る先生の靴音。谷川さんはどうするつもりだろう。
そう思った途端のことだった……。
――花柄のパンティ!
谷川さんがスカートをヒラリとめくって、パンティが一瞬丸見えになる。
そのまま谷川さんは僕を太ももの上に乗せると、スカートで覆い隠した。
「えーっと、谷川さんは問題なし。さすが生徒会長ね」
確かに『さすが』だ、先生が言った『さすが』とは意味が違いそうだけど。
スカートの中に隠して、持ち物検査の目をかいくぐるなんて見事な行動力。博美もこれぐらい機転が利けば、検査に引っ掛からずに済んだのに。
でも、そのドジのお陰で今があるんだから、博美には感謝するべきか……。
「外池先生、お待たせしました」
検査を終えた石黒先生が、長引いたホームルームを終えて教室から出て行く。
そこへ入れ替わるように教科担当の先生が来て、一時間目の授業が始まった。
一時間目は、僕の一番嫌いな地理の授業。
地域ごとの特産品や産業の構成なんて、必要があれば検索すれば済むのに、なんで暗記なんてしなくちゃいけないんだろうといつも思う。
そんな退屈な授業のせいか、物思いに耽ってしまう僕。
『僕はもう、自分の体には戻れないのかな……』
色んなものに転々と乗り移ってきた僕だけど、いずれ自分の体に触れられれば元に戻れるはずだと楽観的に考えてた。
だけど、今の僕の体には意思がある。となると、元に戻るのはきっと不可能。
ああ……僕は未来永劫、誰にも気付かれることなく朽ち果てていくのか……。
『ネガティブなことを考えるのは、やめやめ。今の幸せを満喫しよう……』
今の僕は谷川さんの太ももの上。まるで膝枕をしてもらっているみたい。
スベスベの肌、谷川さんの温もり、そして目の前にはパンティ……。
こんな経験は、自分の体じゃ絶対にできないこと。
悩めば元に戻れるわけじゃないし、今が良ければいいじゃないか。
「もう隠しておく必要はないわね……」
えーっ、そんなぁ……今の幸せはもうお終い?
無情にも、机の中に押し込まれてしまった僕。
ああ、花柄パンティよ、さようなら……。
良い思いができてるときは天国だけど、それ以外は退屈で死にそう。
机の中に放り込まれたままで、半日ずっとほったらかし。しかも寝てしまったら、学校の机になってしまうかもしれないなんて、これはもう拷問レベルの地獄だ。
『ダメだ、寝ちゃダメだ。今寝たら、谷川さんから遠退いちゃう……』
今の僕の使命は、自分の身体を取り戻すこと。そして僕のことを想ってくれている谷川さんに告白して、二人の距離を縮めること。
やっと谷川さんの手元に戻れたんだから、このチャンスを逃すわけにはいかない。
僕は今までの幸せな出来事ばかりを思い浮かべながら、睡魔と必死に戦った……。
――キーン、コーン、カーン、コーン……。
長かった今日の授業が終了。あとは、放課後の生徒会活動を残すだけ。
でも今日の谷川さんは様子がおかしい。やけに慌ただしく帰り支度をしているし、チラッと見えた彼女の表情にはなんだか悲壮感が漂っている。
そして、僕もろとも机の中身をカバンに詰め込んだ谷川さんは、駆け足で教室から飛び出したみたいだ……。
「ごめんなさい。今日は急用ができてしまったので、すぐに帰るわね」
「あ、はい。わかりました、会長。お疲れ様です」
生徒会の仕事も放り出して、真っ直ぐに下校?
僕を入れたカバンをカゴに放り込んで、谷川さんの自転車が走り出す。
こんな早い時間に帰途に就く谷川さんなんて見たことがない。
やがて、甲高くブレーキを響かせて自転車が止まった……。
「こんにちはー」
「はーい、どなた?」
「クラスメイトの谷川と申します。博美さんの具合はいかがですか?」
「あー、今そっちに行くわね」
インターホンを鳴らして、家の人に呼びかけている谷川さん。急用っていうのは、博美のお見舞いだったのか。
やがて玄関が開く音がして、博美の母親の声が聞こえてくる。
「わざわざお見舞いに来てくれたなんて、ありがとうね。でも、ごめんなさい……。うちの子、今入院してるのよ」
「えっ!? 本当ですか? 大丈夫なんですか?」
『えぇっっ!?』
谷川さんがビックリした声をあげたけど、僕だってビックリした。病気とは無縁の博美が入院なんて……。
すると谷川さんは泣き出しそうな声を絞り出して、博美の母親に質問を続けた。
「そ、それで病院は……病院はどちらですか? お見舞いに伺ってもいいですか?」
「私も身の周りの物を取りにきたところで、また面会に戻るから一緒に来る?」
「は、はい、ぜひ」
尋常じゃないほど心配していることが、谷川さんの声から伝わってくる。
なにしろ谷川さんはいつも沈着冷静。人前で感情を表に出すタイプじゃないので、僕は意外に感じた。
そもそも博美と谷川さんって、こんなに親しい間柄だったっけ……?
カツカツと響く靴音が、長そうな廊下を感じさせる。
ここは博美が入院したっていう病院。受付でのやり取りや聞こえてくる館内放送のお陰で、カバンの中にいる僕にも状況が感じ取れる。
「さぁ、ここよ」
「はい」
ガラガラと、引き戸が開く音。
そして次の瞬間、激しくカバンが揺れた。
「ねぇ、大丈夫なの!? 大崎さん」
感極まる谷川さんの声。たぶんベッドに駆け寄ったんだろう。
そんな谷川さんに、博美の母親も不安そうに声を掛ける。
「身体に異常はないらしいんだけど、意識だけが戻らないのよ」
「そんな……」
「先生も、首を傾げていらっしゃって……」
「どうして急に、そんなことに……?」
「それが……入院しているお友達のお見舞いに行ったら、病室で倒れてたらしくて。見舞った子の方は、元気になったらしいんだけど……」
入院しているお友達……? それって僕のことじゃ……。
怪しんだのは僕だけじゃなかった。
僕が尋ねたかった質問を、代弁するように谷川さんが言葉にした。
「そのお友達って、ひょっとして久山君っていう人じゃないですか?」
「ええ、その子よ。博美と同じクラスの」
「そうですか……」
そこから続く沈黙……。見舞い相手の博美が眠り続けてるんじゃ、谷川さんだって掛ける言葉が見つからないだろう。
でも僕は、博美に感謝の言葉を掛けずにいられなかった。声は出ないけど……。
『僕のことをお見舞いしてくれたなんて。ありがとうな、博美……』
やがて、静まり返った病室に、館内放送が響き渡る。
「間もなく面会終了のお時間となります。お忘れ物のないよう、ご注意ください」
「私たちもそろそろ行きましょう。谷川さん……でしたっけ?」
「はい……」
憔悴したような、力のない谷川さんの返事。
そこへガサゴソと、紙袋を探るような音が割り込んでくる。
「そうそう……目を覚ました時に退屈しないようにって、この子の一番お気に入りのマンガを持ってきたんだけど……なぜか、3巻だけなかったのよね……」
んっ? お気に入りのマンガ? 第3巻? それってまさか……。
そこまで明確な条件に当てはまる存在なんて、いくつもあるわけがない。
そして僕の嫌な予感はあっさり的中した。
「そのマンガの第3巻でしたら、今持ってます。彼女に借りたところだったので」
『ああ…………やっぱりか……』
カバンが開いて光が射す。そして谷川さんは、迷いなく僕を取り上げた。
さらにゴソゴソとカバンを漁っている谷川さん。取り出したノートを破くと手紙を書き始めた、僕の体を下敷きにして。
書いた手紙を僕の体に挟んだ谷川さんは、そのまま博美の手に握り締めさせる。
「また来るからね、大崎さん」
そういい残すと、博美の母親と一緒に谷川さんは病室から出て行った。
博美の手に、僕を残したまま……。
『ああ……谷川さんが遠退いていく……』
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