第4話 闇に光る二つの目ですよ。

 眠りから覚めた僕の前にそびえ立つ、真っ白なスティック型の掃除機。

 昨日、一昨日と僕は掃除機をやってたはずなのに、いったいどうして……?

 まだ寝ぼけてるのか? いや、そもそも掃除機になったのが夢だったんだろう。

 長かったし、めちゃくちゃ実感があった気もするけれど、僕は気を取り直して体を起こ……せなかった。

 それになんだか、やっぱりおかしい。体はまたしても、ピクリとも動かない。


『また金縛り?』


 自分の置かれた状況が確認できずに、困惑を続ける僕。

 すると背後から、すっかり聞き慣れた谷川さんの声が聞こえてきた。


「そんなところで何をしているの? ハクちゃんったら……」


 ハクちゃん……? 誰? 後ろを振り返れない僕に、確認する術はない。

 すると覆い被さるように、僕の視界にパジャマ姿の谷川さんがヌッと割り込んだ。そして僕は彼女に拾い上げられたと思ったら、そのまま小脇に抱えられる。

 体の大きさや雰囲気から推察すれば、今の状況は想像に難しくない。


『ひょっとして、ハクちゃんって僕のこと? そして、今の僕はぬいぐるみ?』


 やっぱり僕の言葉は、今回も声にならなかった。そりゃそうか、繊維のかたまりに音が出せるわけがない。

 ベッドに腰掛けた谷川さんは、僕を力いっぱいギューッと抱きしめた。

 谷川さんの胸に顔が埋まる、夢心地の極楽。スポンジのように柔らかいこの感触はノーブラに違いない、そうに決まってる!

 ああ、パジャマ一枚隔てただけの、谷川さんのおっぱいの感触……。

 今の僕はぬいぐるみだから、体の異変で恥ずかしい思いをすることもない。

 そんなウキウキとドキドキが同時にやってきた僕とは対照的に、谷川さんは長くて深いため息をつく。


「はぁ…………ハクちゃん……」


 谷川さんは顔の真正面に僕の体を抱え上げて、何も言わずにじっと見つめ始めた。恥ずかしくて顔を背けたいけど、僕は動けないから目を合わせ続けるしかない。

 たぶん寝起きで、すっぴんの谷川さん。その証拠にいつも整っている長い黒髪が、ところどころ無造作に跳ねている。

 そんなレアな谷川さんを拝んで、みるみるとテンションが上昇していく僕。

 けれどすぐに、僕は違う理由で顔を背けたくなった。それは彼女が目を潤ませて、物悲しそうにしていたから。その沈痛な面持ちは、見ている僕まで辛くなる。

 でも僕は動けないから、目を合わせ続けるしかない。

 大きな悩みを抱えているのは明らかだけど、彼女は黙りこくったまま。

 せめて愚痴でもこぼしてくれれば、悩みをわかってあげられるのに……。

 そんな彼女を現実に引き戻したのは、廊下から聞こえてきた母親の声だった。


「起きてるのー? 遅れますよー?」

「起きてますよー。遅れませんよー」


 寝起きで不機嫌なのか、頬を膨らませながらぶっきらぼうに返事をする谷川さん。人前で喜怒哀楽をあまり出さない彼女には珍しい態度だ。

 そんな風に彼女の新しい一面を見つけると、僕の想いはさらに募る……。


「はぁ……」


 ため息をつきながら立ち上がった彼女は、スタスタと本棚に向かって歩いていく。そしてその最上段へ、抱きしめていた僕をそっと座らせるように置いた。

 少し高い位置から、部屋全体を見渡せるような特等席。

 ああ、谷川さんのおっぱいとはここでお別れか……。

 谷川さんはニッコリと僕に微笑みかけると、鼻の頭辺りをチョンと指で突く。


「ハクちゃんの席はここでしょ」


 ここが定位置なのに、どうして朝は床に……? 昨夜、転げ落ちたのか?

 しかも、僕がそのぬいぐるみになってるっていうのは、いったいどういうことだ?

 昨日まで掃除機だったのも、今こうしてぬいぐるみになっているのも現実。それを受け入れないと先には進めない。

 状況を整理して、元に戻る方法はないかと僕は考察を始める。

 その時だった……。


 ――バフッ。


 谷川さんがクローゼットを開く。そして中から高校の制服を取り出した。


『ああ、今日は月曜だもんね……って、おいおい』


 僕が見ているにもかかわらず、黄色いパジャマのボタンを外し始めた谷川さん。

 うおお、マジか……。こっちを向いて着替えてくれるなんて……。いや、今の僕はぬいぐるみだから、気にもかけてないか……。

 ゆっくりと一つ目のボタンが外されると、彼女の鎖骨が顔をのぞかせた。骨を浮き上がらせてるくせに、柔らかみは損なっていない程良い肉付き。

 その姿に目を奪われていると、彼女の手は早くも二つ目のボタンへとかかる。


『ゴクリ……』


 ボタンの二つ目が外されると、胸の谷間が露わになった。

 谷川さんはいつもしっかりと制服を着ているから、胸の様子なんて夏服のブラウス越しに薄っすらと透けているところしか見たことがない。

 それだって、キャミソールを着こんでいるから谷間なんてとんでもない。

 たぶん谷川さんのこんな姿は、着替え中の女子ぐらいしか拝めないはずだ。


『おお、おほぉっ……』


 そして三つ目。谷川さんは、引っ掛かるボタンに苦戦している。でもそれは逆に、僕を焦らしてるんじゃないかとすら思えてくる。

 ほつれかかった糸が絡んでいるらしくて、少し苛立っている彼女。

 たまりかねた彼女が強引にボタンを外すと、その勢いで胸がプルッと少し揺れた。

 その動きを見て思い出す、さっき味わった谷川さんのおっぱいの柔らかさ。

 ああ、やっぱりおっぱいには夢が詰まっている……。


『むふぅっ、んむふぅっ……』


 けれどそれももう終わりだ、いよいよ四つ目。これでパジャマのボタンは最後。

 ついにその全貌が明らかになるときが迫る。

 僕の興奮も最高潮。ぬいぐるみなのに、股間が膨らんでないかと心配になるほど。

 そしてその瞬間が訪れた……。


 ――プチッ。


 谷川さんが最後のボタンを外した途端に、ダラリと垂れ下がるパジャマの前立て。首の幅の肌色の道が、谷川さんの身体の中央に出来上がる。

 柔らかそうなお腹には少し縦長のヘソが、かわいらしい窪みを作っていた。

 やっぱりブラジャーは着けていない。なのに、片手じゃ覆いきれない大きな乳房は垂れ下がることなく、軽く上を向いた釣り鐘型で存在感を放っている。

 それにしたって、いい加減に先端の色が違う部分が見えてもいいのに……。

 それなのに見えない。

 もう少しのところで見えない。

 狙ってやってるなら、彼女はとんだテクニシャンだ。


「んっ、んんぅぅ……」


 谷川さんが体の正面で両手を組んだと思ったら、すぐ裏返して頭上に持っていく。そして軽く上体を反らしながら、気持ち良さそうに伸びを始めた……。


 ――見えた! 薄茶色の乳首!!!!


 勝手に想像してたピンクじゃなくて、谷川さんの乳首は薄茶色。しかもポッチリと突き出たその形は思った以上に大人びていて、僕を激しく興奮させた。

 おおおっ、神様ありがとう。この光景は一生もののオカズです……。

 両手を下ろすと同時に隠れたけど、今の光景はいつでも完璧に頭に浮かべられる。自信を持ってそう言い切れるほど、彼女の乳首の色や形は僕の脳裏に焼き付いた。

 それに着替えはまだ終わってない。この後もまだ焼き付けなきゃならない光景が、次から次へと押し寄せてくるはず。

 その証拠に谷川さんは前立てを掴んで、パジャマの上を脱ぎ去ろうとしている。


『おっ、おっ、おおっほぉっ……』


 左右に分かれる前立て、スルリと滑り出る肩、露わになっていく胸の膨らみ……。

 僕が目を見開いてその光景を見守っていると、谷川さんの手がピタリと止まった。

 そしてニッコリ微笑みながら歩み寄ってきた谷川さんが、僕の体を持ち上げる。

 もしかして、素肌で直接抱きしめてくれるのか……?


「うーん……なんだか、今日は視線を感じるのよね……」


 僕は本棚の最上段に戻された。後ろ向きで……。


「着替え終わるまで後ろ向いててね、ハクちゃん」

『マジか……』


 そのまま谷川さんの足音は遠ざかって、スルスルと衣擦れの音が聞こえてくる。

 ああ、僕の背後で、谷川さんがまた着替え始めたのか……。

 聞こえてくるのは音だけだけど、神経を研ぎ澄ませば何が起こっているのか、結構推測できるものだ。

 パジャマの上を脱いだ音。今度は下を脱いだ音。

 すると今の谷川さんは、パンティ1枚だけってことか!?


「うーん、今日はやっぱり、こっちのピンクのパンツにしようかしら」


 えっ……? えぇっ……!?

 さらに聞こえてくる、布の擦れる音。これって、まさか……。

 ああ……僕の後ろで今、谷川さんが素っ裸に……。

 しかも、聞こえてくる声の感じだと、こっちを向いているはずだ……ってことは、もしも今振り向けたら、あ、あ、アソコも丸見えってことか!?

 勝手に妄想を膨らませては、僕は怒涛のような後悔の波に襲われる。


『ああ……おっぱいに目を血走らせたばっかりに……。もっと冷静でいられたなら、谷川さんの大事な部分だって堂々と拝めたかもしれないのに……』


 久山和博、一生の不覚。

 こんなチャンスは、僕の人生にはもう二度と訪れないかもしれない。そう考えたら今の出来事は、悔やんでも悔やみきれない……。

 深く強く反省していると、突然持ち上げられる僕の身体。くるりと向きを変えて、すぐさま同じ場所に着地する。

 目の前には見慣れた制服を着た谷川さんの姿。着替えは完全に終わっていた……。


「じゃぁね、ハクちゃん。行ってまいります」


 僕に向かって挨拶を済ませると、カバンを持って谷川さんが部屋を出て行った。

 壁の時計はまだ七時。でもきっと彼女はこのまま学校に行くだろう。彼女が部屋に戻ってくるとすれば、学校が終わる夕方以降になりそうだ。

 僕は谷川さんの部屋に一人ポツンと取り残された……。

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