36. 舞台への誘い

「――どうもありがとうございました!」


 このネタをするのも三度目だ。合同ライブのトリ、夕方の公園――そしていま、「フィロソフィING」の舞台で。


「着眼点はおもしろいんだけど、難しいというか、分かりにくいというか、どこからがネタで、どこまでが説明なのかとか……うん、ひとことでいえば、つまらない」

 つまらない――お笑いをしているひとを打ちのめす、強烈な一言だ。夏鈴さんは、容赦がない。


「絶叫さんも、同じことを言っていましたね……」


 ライブの帰り道、夕焼けの下、公園のベンチにスマホを立てかけて、絶叫さんにこのネタを見せた。弱っているひととは思えないほどの、厳しい批評をくれた。


 へこんでしまったけれど、お笑いのことになると、いつも通りの「熱さ」を取り戻すことができるのならば、いつか舞台に立ってくれることだろう――という気持ちになり、少しだけ安心した。


「でも、ブラッシュアップをする余地はありそう。というか、このネタを磨いていくしかないでしょう? 予選まであと少しなんだから。この前の、けっこうおもしろかったやつは、封印するっていうし」


 そうだ。ぼくはもう、あのウケたネタをしないと決めたのだ。もしかしたら〈オンワン〉の2回戦に進むことができる、あのネタを。


 むかし夏鈴さんから教わったように、長期的な眼で自分の「お笑い」を考えていくと、哲学をベースにしたネタをするというスタンスを、一貫して追及していきたいと思った。


「予選まで、とにかく舞台に立ちなさい。夏休みに入ったことだし、いつもより時間はあるでしょう」


 場数をこなすしかない――それは、その通りなのだけれど、ぼくにはひとつ、大きな予定が入っている。


     *     *     *


琥珀紋学院こはくもんがくいんのオープンキャンパスに行こうと思うんだけど」


 夕食が終わったあと、母さんにそう切り出すと、意外にも賛成してくれた。


「それがいいわ。一度目で見て確認してきなさい。ね? お父さん」

「……うん、そうしたらいい」

 相変わらず、父さんは、こちらに目を向けず、じっと新聞に視線を落としている。


「それでいつなの? オープンキャンパスは」

 母さんが、ぼくにたずねてくる。


「今月の28日だよ」

「ひとりで行くんでしょう?」

「うん、ひとりで行ってくる」


 ――というわけで、冬は厳しい寒さと雪にさらされるという、日本海側にある琥珀紋学院大学まで、電車を乗り継いで行くことに決まったのだけれど、そういえば、芽依と人前で漫才をしたのも、この大学の文化祭だった。


 朝早く起きれば通学できる距離ではあるけれど、もしかしたら、ひとり暮らしをすることになるかもしれない――などと思いながら、当日のプログラムをネットで再確認する。


 大学の概要の全体説明のあとに、図書館や食堂などの施設の紹介があり、そのあと、希望者だけが「特別授業」を受けることができる。


 そしてこの「特別授業」を担当するのが、新進気鋭の哲学者(と言われている)藍染兎花あいぞめうか先生だ。


〈ウィトゲンシュタイン入門「の入門」-ソール・A・クリプキによる『哲学探究』の解釈からのアプローチ-〉


 ――と題された「特別授業」は、必ず受けたいと思った。事前に予約をしなければならないため、申し込みが開始される時刻まで、部屋でそわそわしていたくらいだ。


 しかし、ひとつ懸念がある。7月30日に〈オンワン〉の一回戦があるのだ。


 すでにエントリーは済ませてある。しかし予選会場まで距離があるため、前日に「前乗り」をする予定だ。


 ものすごくタイトな日程だけれど、お笑いはもちろん、自分の進路のことも大事だ。とくに進路の方は、ぼくだけではなく、家族みんなの問題でもあるのだから。


 合同ライブが終わってから、一週間も経たずに、オープンキャンパスと〈オンワン〉の予選。舞台に立てるのも、多くてもあと2回だろうか。


 ――などと思っていると、朗報が舞い込んできた。「フィロソフィING」ではない別の劇場にも立たせてもらえることになったのだ。つまり、1日に2回ネタをすることができる。


 ぼくを誘ってくれたのは、合同ライブで初めて知り合った、パラシュートさんだった。


   ――――――


 ××町にある『無噤-TSUMUGU-』という劇場でネタをしてくれませんか。

 7月から8月にかけて、平日もライブをすることになったのですが、ひとが集まらなくて困っています。しっかりとギャラは払います。

 聞いたところ、「オンワン」に出るとのことなので、ネタを磨く機会になるかと思います。

 四条くんにしてみれば、知らない芸人ばかりのところかもしれませんが、わたしもいるので少しくらい安心できるかと思います。ご検討いただけると幸いです。


 卯月里歩うづきりほ(パラシュート・アンダー・ザ・シー)より

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