37. 思わぬ助け船

 電車で三十分、用がなければ足を向けることはないであろう町に降り立った。


 駅から離れていくと、狭い通りがいくつも網の目に引かれているところに入り、まるで迷路を歩いているかのようだった。スマホのマップ機能を見ても、なかなか目的地に辿たどりつかない。助けを求めて、パラシュートさんに電話をかける。


『そっちは反対方向だよ。一度駅に戻って、バス停のある方へと進んでいくと、大通りが見えるから、そこを右折して踏切を渡れば、あとは道なり』


 まさか、ずっと反対側を歩いていたとは思わなかった。


「ごめんなさい! いますぐ向かいます!」


 自分が方向音痴であることは自覚していたから、かなり早く家を出てきたのだけれど、待ち合わせの時間までに着くには、ちょっと危ういかもしれない。


 早足で元来た道を戻っていくものの、夏の日差しに当てられて、すぐにバテてしまう。日陰に入って、ミネラルウォーターをごくごくと飲む。手提げのひもが肩に食い込んで、ひりひりとする。身体中から汗が噴き出して、Tシャツを濡らしている。


 しかし、思わぬ助け船がぼくを見つけてくれた。


「おっ、また会うとはな」

 振り向くとそこには、車から顔を出したムスコさんがいた。もっちゃんが主催の合同ライブで一緒になった、ぼくと同じくフリップ芸をするピン芸人の方だ。


「しんどそうだけど……乗ってく?」

 ぼくの体力は限界に近いし、このままだと熱中症になりかねなかった。

「お言葉に甘えてもいいですか? できれば、駅まで送ってくださると助かるのですが……」

「きっと、俺と行き先が一緒だろ。〈無噤つむぐ-TSUMUGU-〉でネタをするんじゃないの?」


 左肩にかけ直した手提げを見て、ぼくがここへネタをしにきたのだと察してくれたらしい。


「ムスコさんも、〈無噤つむぐ〉に行くんですか?」

「いいから乗れ。話はそれからだよ」


 助手席に乗せてもらうと、ムスコさんは、冷房の吹き出し口をぼくの方へと向けてくれた。身体中の汗がひんやりとした雫となって、ぶるぶると震えそうなくらい寒くなった。


「物思いに耽りながら運転をしていたから、事故をする前に、四条くんを拾うことができてよかったわ。俺が夢現ゆめうつつになっていると思ったら、注意してね」

「運転に集中してくださいよ!」


 交通事故のとき、助手席に座っていると云々……というのを聞いたことがある。ムスコさんの車に乗ったことを少しだけ後悔した。


「俺さ、ひとりだとエロいことばかり考えてしまうんだよね。標識とか見てても、そこからいろいろ連想しちゃって……」

「あっ、思っていたよりヤバいひとなんですね」


 だけどもう、周りになひとがたくさんいるから、慣れてしまったけれど。


 絶叫さん、デリートさん、天才さん、もっちゃん……色々な形の「ヤバさ」を持ち合わせた人たちのいる、とんでもなくディープな世界に入り浸っているぼく。一年前まではクラスの隅っこで大人しくしていた、なんの変哲もない(?)高校生だったのだけれど。


「俺がエロいことを考えるのは、ネタを作るためなんだけどね」

 そういえば、ムスコさんのネタは(あえて)どぎつい下ネタの漫談から入るんだった。

「天才さんから聞きましたけど、すごいですよね。あえて、場を冷やしてからネタをするって」

「えっ? お客さんの冷ややかな目って、ゾクゾクするじゃん?」

「あっ、やっぱりヤバいひとだ。降ろしてもらっていいですか?」

「ズボンを?」

「そんなわけないでしょ!」

「えっ、パンツまで?」

「もう! ちますよ! 高校生に下ネタをかましてこないでください!」


 といいつつ、こういう下ネタは、絶叫さんのおかげで慣れてしまっている――いや、慣れたらダメなんだけど。


「ちょっとまって、四条くんって高校生なの?」

 あれ? 言ってなかったけ?


「高校生であんなネタを作れんの? すごいね」

 えっ、急に褒められると、さっきまでのゆるせそう。


「高度なことやってます、センスで勝負してます、笑われなくてもいいんですっていう、天才肌をひけらかした、でもその実、虚勢をはっただけの、シュールなネタを作れるなんてさ」

「…………」


 実際、まったくウケなかったから、反論なんてできない。芸人は、だと、ぼくは思っているから。

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