34. マハイズムから少し離れて
お笑いの賞レースはネタを披露する順番によって、笑いの量も質も変わってしまう。それは、多くの視聴者が感じていることだと思うし、ぼくも部屋で背もたれに身体をあずけながら、「このあとにネタをするのは、やりづらいだろうな」などという感想を抱いていたこともある。
だけど実際に舞台に立つようになってからは、このひとの後にネタをするのは絶対にイヤだという切実さというか、逃げ帰りたくなるような気持ちを、何度もリアルに味わってきた。
とくにいま、目の前でたくさんの笑いを一身に受けているもっちゃんを見てしまうと、舞台袖から一歩も出られないような気になってしまう。
「ここから僕が、どのような幸せを手に入れることができたか、いままでのお話を聞いて下さった方は、気になっていることでしょう……ねえ? ねっ? では、次のお話を聞いてください。第3話、
高嶺と高値の違いを、文字ならばすんなりと理解してもらえる。これは、フリップ芸の強みともいえる。もっちゃんが「高値の花」を買わされたいきさつは、誇張なしに抱腹絶倒で、しかも最後には「高嶺の花」の女の子とのラブストーリーへと接続されていく。脱帽するばかりだ。
そしてこのネタもまた、マハイズムを継承している。典拠となっているのは、芥川龍之介の『きりしとほろ上人伝』だ。
「れぷろぼす」という主人公が殉教するまでの軌跡を描いたお話で、物語はいくつかのパートに分けられており、それぞれの最後に、前の話を知っているひとは次のお話を読みなさい……みたいな一文が挿入されている。もっちゃんは、その構造に目をつけたわけだ。ネタをパートごとに区切ることで、抑揚とリズムが生まれている。
語られていく「もっちゃんの架空の半生」は、典拠とはかけ離れたポップさをそなえていて、自虐に陥りがちな失敗談を、「でもぼくは、そのことで学んだんですよ!」と声を張り上げて、肯定的にとらえ返している。
いまも、もっちゃんは、お客さんたちの笑い声が聞こえていないのだろうか。嘲笑されていると思い込みながらネタをしているのだろうか。すっかりもっちゃんの空気に様変わりした会場は、ぼくにとってはアウェー以外のなにものでもないのに。
拍手笑いが何度もあったネタを終えて、舞台袖にはけてきたもっちゃんは、ため息を
「なんで、ため息を吐いているんですか?」
もっちゃんは足を止めて振り返り、口角を柔らかくあげながら、こう言った。
「もうちょっと、ウケるかと思ったんだけど」
舞台裏へと去っていくその後ろ姿を見て、苦笑してしまう。
なんだ、ネタ終わりのもっちゃんは、自分のことを分かりに分かっているじゃないか。少なくともいまは、ウケていたという自覚を、ちゃんと持っている。
* * *
ボケの羅列は、ご臨終になったひとの心電図だ――と、絶叫さんは言っていた。
「ずっと同じようなボケが、一貫したテーマもなく続いていくと、ネタをみているという気がしない。おもしろいようなことを、思いついたままに言っている……みたいに見えてしまう。テンポもリズムもなく、緩急もなく、一本の線がスッと引かれている感じというと分かりやすいかな」
このことを、絶叫さんは身をもって知っているのだという。
「俺も若いときは、そんなネタをしていたけど、舞台の上で息を引き取ってしまったかのようにスベったよ。お客さんから看取られている気分だった」
その教えを忠実に守ろうと試行錯誤したけれど、直線を引いたネタばかりができていき、なんの成果も得られないでいた。
だけれどぼくは、耳学問をしているうちに、文学や哲学の――どちらも広く浅くだけれど――知識を蓄えていき、自分のフォームが定まってきた。自分なりのお笑いへの「角度」を見つけた。
「行こう」
ぼくは、舞台袖から、勢いよく飛びだした。お客さんが、拍手でぼくを迎え入れてくれる。トリなのだから、さぞかしおもしろいのだろうという期待の目が、ぼくを射貫いてくる。舞台の中央へと、ゆっくりと歩を進めていく。
怖れなくていい、楽しもう。自信を持ってネタをすれば、きっと大丈夫だ。笑い声が、響いてくるはずだ――たとえ、あのウケたネタではなくても。
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