33. 師匠から弟子へ
パラシュート・アンダー・ザ・シーさんのネタは、紙芝居というものの、シュールな絵と奇天烈な物語が織り成されて、芸術作品のように仕上がっていた。
おもしろかったのは、むかしの紙芝居屋さんのように――もちろん、テレビで見ただけの知識だけれど――お客さんがお菓子を食べながら見ていることだ。
紙芝居が一段落したあと、《第2部までもう少々お待ち下さい》という音声が流れて、ステージの幕が閉じてしまう。すると、スタッフの芸人さんたちが、お客さんにお菓子を配りはじめた。
幕が閉じてから5分くらい経ったころ、《間もなく第2部が始まります》というアナウンスがあり、彼女は、何事もなかったかのように、三脚にセットした新しいスケッチブックを開き、紙芝居を――ネタを再開した。
楽屋裏の、舞台が映るモニターの前で、芸人たちが一堂に会して、パラシュートさんのネタに見入っていた。
天才さんから聞いた話だと、パラシュートさんは元美大生で、就職先が見つからず途方に暮れていたときに、テレビでフリップ芸を見て「これだ!」と思い、芸人の世界に飛びこんだらしい。
事務所に所属しておらず、フリーで活動をしている。赤と緑の線が走ったショートボブとパンクな服装は、純朴な学生だったときの自分を、「いま」から切り離したいという想いが込められているとのことだ。
芸術は、
――という風に思っていたのだけれど、パラシュートさんのネタは、シュールで「なに言ってるの?」とハテナが浮かんでしまうものの、温もりや優しさ、柔らかい手ざわりのようなものが感じられる。
うまく言えないけれど、ほんとうに、夕暮れどきの公園で、割り箸で
『……おしまい、めでたし、めでたし』
サイケデリックな音楽が流れ出したかと思うと、合同ライブのコンセプト――ピン芸人のフリップ芸というものを、具象化したようなイメージビデオが映し出された。
ひとりの男性がこちらへと向かってきたかと思うと、カメラは切り替わり彼の後ろ姿を追っていく。その先には夕陽に染まった石段があり、そこを駆け抜けると、橙色に煌めく川があり…………その間に、次の芸人が舞台袖に向かい、音楽と映像が消えるのを待つ。
ネタを終えて舞台裏に戻ってきたパラシュートさんは、机の上にスケッチブックを置き、炭酸水をごくごくと飲んだ。だれも拍手で迎え入れなかったのは、観客席にその音が聞こえないようにするためだ。
だけどみんな、小声で「お疲れ」と言って、彼女を
ふたり目の芸人――エピキュリアン・ムスコさんは、画用紙の束を三脚にセットしたまま、漫談をはじめた。
そのどぎつい下ネタは、まったく笑いを生んでいなかった。エピキュリアンとは「快楽主義」のことだ(と、夏鈴さんが言っていたのを思いだした)。そしてムスコというのは――うん、考えないでおこう。
しかし天才さんが言うには、ムスコさんは、あえて場を沈黙させてからネタをするのだという。
実は、ムスコさんは、かなりストイックな性格で、場を沈黙させてから笑いを生んでいくというハードモードを、自分に課しているのだという。そして彼のフリップ芸は、下ネタなしの
大喜利のお題をだして、それに答えていくというネタの形式は、決して珍しいものではない。だけれどその回答――ボケは、絶妙なセンスを発揮していて、ぼくには到底、思いつくことができるものではなかった。
あの漫談がなければ、正統派のフリップ芸だし、ぼくが実感している地下芸人の混沌とした世界からは、外れたところにあるように思える。
「私のネタがかすんじゃったな」
振り返るとパラシュートさんがいて、チョコレートをつまみながら、ぼくたちから少し離れたところで、モニターを見つめていた。
ぼくたちは協力して、このライブを成功させようとしている。と同時に、ネタを競い合ってもいる。
最初、ぼくの視界には、もっちゃんしか映っていなかった。
だけどぼくは、ここにいる芸人全員に
ぼくの肩をぽんぽんと叩くひとがいた。天才さんだった。
「あるやつからの伝言や。よう聞け。『スベり倒したら、破門にするからな』……やてさ。師匠をがっかりさせるんやないで」
いつの間にか、ぼくの足は震えてきていたし、手汗もでていたし、水を飲んでもすぐにのどが渇いた。
でも、ぼくは逃げずに、爆笑をかっさらってきますよ。安心してください、師匠。
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