26. いけ!
女の子の部屋に入るのは、はじめてではない。妹をそこにカウントしていいのなら。しかし、彼女の――世界で一番好きな
まっさらなうすいクリーム色のカーペット。本棚にはびっしりと本が並んでいて、几帳面にレーベルごとに
磨き上げられた窓は開け放たれて、白色のレースカーテンが涼やかにひるがえっている。上質な木で作られたのであろう勉強机の上には、赤本や参考書が整然と置かれている。この日のために、どこかから運んできたのであろう目の前の机も、すっかりこの部屋になじみ切っている。傷ひとつないし、電灯の明かりに
丸い白色のクッションに正座をして、芽依が来るのを待つ――と、お盆のうえに、美しい模様を
芽依はドアと窓を閉めると、最新型(たぶん)のエアコンの電源を入れた。吹きだされる冷気さえ、天使の息吹のように感じられる。
「紅茶で大丈夫だった?」
「うん、久しぶりに見たけど」
「優理は、ふだんなにを飲んでるの?
「えっと、生唾を飲むってこと?」
「なんだか身の危険を感じはじめた。えっちなことを考えてるでしょ。そう顔に
「考えてないよ!」
「……それって、わたしが魅力的じゃないってこと?」
ずるいよ! その聞き方!――でも、答えはこの言葉しかない。
「すっごく魅力的だよ。だからいま、ものすごく緊張してる」
「……ばか」
もう、芽依の顔を見ることができなくなってしまった。ぼくの顔は、蜂に刺されたように真っ赤になっていることだろう。
「ちょっと待ってね」
芽依は急に立ち上がった。そして足音がしないようにドアの前まで行くと、勢いよく開けた。すると、「いったっ!」という声が聞こえてきた。
「聞き耳立てないで」
「なんでバレたのかしら。息をひそめていたのに」
「そんな気がしたから。いいからあっちに行ってて。もう来ないで」
「四条くん、いちゃいちゃするのも、ほどほどにねー」
ドアの向こうからひょっこりと顔を出して、小さく手を振っている美月さん。
芽依は、美月さんを両手で押して追い出そうとしている。美月さんは抵抗することなく、「もう来ないよ。勉強がんばって」と言って、廊下を向こうへと歩いていく――前に、こんな言葉をかけてきた。
「芽依は、はじめてだから、優しくしてあげてねー!」
もういい加減にしてくれ。
そう思いながらも、プライベートでの芽依と美月さんのやりとりを見ることができて、どこか温かい気持ちになった。
* * *
芽依は、本当に教え方がうまかった。こんなぼくでも、すんなりと理解することができた。
事前に分からないところをリストアップしてくるように言われていたので、ルーズリーフいっぱいに箇条書きしてきたのだけれど、少しは遠慮した方がよかったのかもしれない。余白の少ないルーズリーフを見た芽依は、大きなため息をついた。そして後ろをめくり、片手で頭を抱えてしまった。
「なんで国語だけ分からないところが少ないのか気になるけど、触れない方がいいのかしらと思ったけど、なんだかオンナのにおいがするから
そう、今回の試験範囲を見ても、国語だけは、分からないところが少ないのだ。さっぱり分からないのは、少量の古文の問題だけだ。
「バイトをしているから。本屋さんで」
「聞いてない」
「あれ? バイトをしてるって言ってなかったけ?」
「本屋さんだとは聞いてない」
バイトをしていることは、それとなく伝えていたけれど、本屋さんであることは言ってなかったかもしれない。それに、しばらく(一方的な)冷戦状態で、言えるような状況でもなかったし。
「優理が本に囲まれるなんて、酸素ボンベなしで深海にいるくらい息苦しいはずなのに」
「そもそも、水圧でつぶれちゃうと思うんだけど」
「びっくりした……優理にそんなことが分かるなんて」
「それにいまは、本を読むようになったし」
「……やっぱり、オンナのにおいがする」
ここまで詰められると、ある程度のことは白状しなくてはいけない。
芸人仲間のひとと同じ書店で働いていて、本の話を聞いたり、オススメの本を教えてもらったりしているということだけは伝えた。だけど、ぼくたちの喧嘩のもととなった事件のときに、芽依が居合わせたひとだということは伏せておいた。
しかし、芽依の疑心は晴れないらしかった。まだ隠していることがあるんじゃないの?――という顔をしている。
「ぼくが好きなのは、芽依だけだよ」
「…………」
「だから、信じてほしいな。芽依と離ればなれになっているときも、芽依のことばかり考えてた。そしていまは、芽依のことしか見えてない」
「わたしも、優理のことが好き……だけど」
ぼくたちは見つめ合う。そして、少しずつ顔を近づけていく――と、芽依の後ろのドアからこちらを
「いけ!」とその目でメッセージを送ってくる。芽依は目をつむり、ぼくが来るのを待ち構えている。
ええと……いったいぼくは、どうすればいいんだ?
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