25. もっちゃん軍団

 軍団――お笑い芸人の世界でいう「軍団」は、先輩芸人とその人を慕う後輩たちで形成される集まりのことを指すのがほとんどだ。


 先輩芸人の名前を取って、「△△軍団」と呼んだりする。定期的に飲み会や旅行を開き、バラエティー番組では、そんな「軍団」をテーマにした企画が組まれることもある。


「もっちゃん、お前、『もっちゃん軍団』とか作ってみんか? お前のことを慕っとる後輩なんてたくさんおるやろ。そないして、ちょっとずつ、前向きな気持ちを取り戻していきいや」


 と、天才さんが、焼き鳥の串をもっちゃんに突き付けながら言った。あぶねえよ。もっちゃんは両手で顔を塞ぎ、壁の方に頭を向ける。


「……僕は、そんな器じゃないですから……天才さんが作ればいいじゃないですか」

「俺が軍団を作るんなら『天才軍団』になるんやけど、お前、入れるか?」


 天才軍団――ぼくは、絶対に名乗りたくない。というより、天才さんとは、そんなに繋がりが強いわけではないし、軍団に入りたいとは思わない。


 というと失礼な気もするけれど、バラエティーを見ているかぎり、軍団に入るというのは、イコール、さかずきを交わすような関係になるのと同じくらいのことだ。ぼくは、天才さんがピンチのときに、なんでもしてあげられる自信なんてない。


 もしぼくが、それくらいの関係になりたいと思えるとしたら、絶叫さんだけだ。だけどいまは療養中の身体で、「フィロソフィING」に姿を見せなくなった。その分、お客さんの数も少し減ってしまった。


「やから、『もっちゃん軍団』の方がええやろ。俺以外のやつともつるまんと、ずっと、そんなうじうじした性格のままやで」

「……いいんですよ。僕は、こういう人間なんです」

「いまのもっちゃんが悪いっちゅうわけやないんやけど、お前のマイナス思考は、芸人をやってく上で、ちょいと邪魔になっとる気がするんでな。ちっとでも前向きになれるように、いろんな奴と飲んだり食ったりしてみいや」


 天才さんは、僕の手からするりとねぎまを抜き取ると、からの串をぼくの皿に捨てて、清涼飲料水を飲んでいるかのように、ジョッキを傾けた。


 おごってもらっているから文句は言えないのだけれど、このあと天才さんをタクシーに押し込むまでのくらいは食べさせてほしい。


「……だれも、ぼくの作った軍団なんて入りませんよ。こんな人間ですから」

「大丈夫やて。ここにおるやん。こいつ、ジョー」


 天才さんは、今日からぼくのことを「ジョー」と呼ぶと宣言した。「四条」という名字は言いにくいらしく、「ゆうり」という名前は、むかし天才さんの彼女を寝取った男の名前だから死んでも言いたくないとのことだ。


「四条君も……いやでしょ?」


 そういう聞き方をされると、とても困ってしまう。

 もっちゃんのネタは大好きだし、尊敬しているし、こうして一緒に食事をするくらいにはいているのだけれど、「軍団」に入るまでの親しさとはいえない。


「ほら! 四条くんも、死んでも嫌だって!」

「そこまで言ってないですよ!」

「名は体を表しているから!」

「よく分からないですけれど、失礼な感じがしますね!」

「……ごめん」

「ちょっと、急にトーンダウンをされると困りますって」

「ごめんね……どうせ僕なんて、ネタもおもしろくないし、しゃべりが下手だし、童貞だし」

「おもしろいですって! しゃべりも上手ですし。最後は知ったことじゃないですけど……」


 ぼくたちのやりとりを見ながら、「ほら、息ぴったりやないかい」と天才さんは呟いた。火の手が上がるのではないかと思うほどの赤い顔で。


     *     *     *


 芽依の家のインターフォンを押したとき、夏鈴さんからオススメしてもらって買った、芥川龍之介の短篇集に収録されていた『悠々荘』のことを思い出した。


 芥川が友人たちと散歩をしていたときのことを書いた小説だ。人のいない別荘に勝手に入って、あれこれ詮索せんさくしたあとに、インターフォンを押したらどうなるのだろうと誰かが提案をする(そのが思い出せない)。そんな小説だった……と思う。


 あまりにも短いから、ぼくでもすぐに読むことができた。出てくる単語が難しくて、注釈を読んでも分からないものもあったけれど。


 しかしいま、ぼくの目の前に現れたのは、これから外へデートに行くのかと見まがうほどのおめかしをした、芽依の姿だった。普段の凛とした雰囲気を、紺と藍が織りなす涼し気なコーデが、強く引き立てている。


 そんな芽依は、ぼくを見ると、優しく笑いかけてくれた。

「今日は暑いでしょう? 早く入って。熱中症になっちゃうから」


 ドキっとした。あらためて、こんな美少女となんで付き合えているのだろうと、不思議に思ってしまう。

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