22. 合同ライブのお誘い
「父さん、帰ったよ」
「うん、わかった」
「あの……そうだ。今日はいろいろあって、漫才を2本することになってね、それで……」
「わかったよ」
リビングから出てきた父さんに話しかけてみたものの、こちらをちらりと見て、「わかった」と言うだけで、ぼくから逃げるように奥へと行ってしまった。
仲が悪いわけではない。
あの日から――ぼくが人生ではじめて人を殴り、停学になってから、父さんは生気が抜けたようになってしまった。もう、笑ってくれない。笑わそうとしても、笑ってくれない。むりに、少しだけ唇を動かすだけだ。
「お兄ちゃん、今日はどうだった?」
ソファーの上でファッション誌を読んでいた妹は、父さんとは対称的に、はきはきと弾んだ調子で、
「すっごく疲れた」
シャワーを浴びて着替えをすませると、よりいっそう疲労の色が強まった。やりきったという満足感が、大きな岩のようなものへと変わって、ずどんとぼくの上へ落ちてきたようだった。
「ねえねえ、もしかして、
「えっ?」
あれだけ念を押して、納得してくれたはずなのに――と思ったが、妹に見せてもらうと、
《今日は、漫才を観てきました! たくさん笑ったわー!》
という、固有名が出ていない投稿だったので、一安心した。
その「たくさん笑った」という言葉を、額面通りに受け取っていいのかは分からない。漫才中に、美月さんの方を見る余裕なんてなかったから。
* * *
なんてことを思っていたら、寝る前になって、美月さんから電話がかかってきた。
「May I help you?」
「いまは大丈夫です。もうくたくたで、寝ようとしていたところなので」
「うそ……優理に、英語が理解できるなんて」
「芽依の真似はいいですから!」
くすくすと笑う美月さん。
「で、なんの用なんです?」
「んーとね、芽依のこと。芽依から伝言を預かっているので、それを黙読するわね」
「音読してください! 古典的なボケをしてないで!」
えっ? 待って、芽依からの伝言?
疲労や眠気なんて、一息にどこかへと吹き飛んでしまった。居住まいを正して、美月さんの言葉を待った。
「はじめてだから……その、優しくしてね?」
「切りますね。おやすみなさい」
「待って、待って! 冗談だから!」
この調子だと、あまり重たい話ではないのだろう――と、思うのだけれど、どうだろう。はやく、芽依からの伝言を聞かせてほしい。
美月さんは、わざとらしく「ごほん」と咳払いをした。
「あのね、芽依がね……」
* * *
大阪から上京し、いまだ地下芸人の世界でくすぶっている、超天才文学少年予選落ちさん――通称、予選落ちさんに、こんな誘いを持ちかけられた。
「今度、俺の知り合いが合同ライブをするんやけど、お前もこうへんか?」
ぼくは「フィロソフィING」の舞台にしか上がっていないけれど、他の仲間たちは、別のライブハウスでもネタをしているし、たくさんの芸人との繋がりを持っている。
でもなんで、ぼくを合同ライブに誘ってくれるのだろう。
今年で四十六歳になる予選落ちさん。絶叫さんよりずっと年上で、そうのせいもあって、あまり積極的に声をかけづらく、一緒に楽屋にいても話をすることは少なかった。それが今日、ふたりきりになったのをしおに、予選落ちさんの方から声をかけにきてくれた。
「フリップ芸をする芸人だけを集めて、合同ライブをすることになったんやけど、もっちゃんっちゅう知り合いから、芸歴が若くて事務所フリーのやつを連れてこいって言われとってな」
「それで、なんでぼくなんですか?」
「もっちゃん、自分が一番スベってもうたら、へこみ過ぎてしばらく立ち直れへんほどメンタルが弱くてな、やから、間違いなくスベるやつがおらんとあかんのや」
失礼すぎるだろ! ずっとスベり続けているのは本当だけれど!
「でもな、もっちゃん、めっちゃおもろいんよ」
「おもしろいのに、スベるのが不安なんですか?」
「自分のおもろさに気づかへんのや。おもろないって思い込みすぎて、お客さんが敵に見えとんや……やから、おもろいっちゅうのは保証できるさかい、来てくれへんか」
「ううん……」
「来てくれへんかったら、そやな……」
「脅そうっていったって、ムダですよ」
「おもろなるチャンス、逃すで?」
その言葉に心を打たれた(ちょろい)ぼくは、その「もっちゃん」の合同ライブに参加することにしたのだった。
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