21. 舞台袖で……
メロウなメロディが斜め上のスピーカーから聞こえてきた。もうネタを終わりにしなさいというメッセージだ。
「もう、いいよ!」
芽依はボケを続けず、もうひとつのぼくの言葉を待つ。
「どうもありがとうございました!」
ふたり同時に頭を下げて、舞台袖へとはけていく。
あれ、芽依も楽屋に連れていっていいの?――という疑念が一瞬よぎり、立ち止まってしまうと、背中にこつんと芽依の頭が当たってしまった。
「いきなり止まらないで」
「ごっ、ごめん」
「あなたには、言いたいことがたくさんある。だけど、言う気にもなれない」
舞台を下りれば、お互いの呼吸は算を乱して、また元の冷めた関係へと戻ってしまった。
「ねえ、芽依」
「……名前で呼ばないで」
「栗林さん」
「…………」
「ぼくの隣に来てくれて、ありがとう。ほんとうに助かった……し、すごく楽しかった。やっぱり、ぼくの相方は栗林さんしかいないんだって、思った……って、めっ、くっ、栗林さん?」
ぼくのお腹のあたりで、芽依の手が結ばれている。後ろから抱きしめられている形だ。どうして?――どうして、そんなことをしているの?
「あなたのことは、許していないから。だけど……だけど、こうしないといけないというか……したいと思ってしまったから、ほんのちょっとだけ、黙ってて」
がらんどうの舞台の照明は落とされて、満月が一瞬にして曇に隠れたように、視界を覆うのは
言われた通り、黙って芽依の抱擁を受け止める。お笑い芸人の汗と涙が染みこんだ舞台袖で、ラブロマンスを演じているのは罰当たりに思えたけれど、振りほどく勇気がでてこない。
芽依が
ぼくたちを、特別な関係に繋げてくれたのは、漫才だった。エイリアンだという自覚だった。
だけれど、漫才を抜きにしてしまえば、繋がりは断ち消えてしまう。
芽依は受験勉強に一生懸命で、一方のぼくは、お笑いに熱中している。こんなふたりが、すれ違いを起こさない方がおかしい。一緒に勉強をしているか、一緒にお笑いをしているか。同じ方角を向いていないと、ぼくたちの絆は、あまりにも
「別れよう」
最高の漫才をしたあとに、最悪の決断をしなければならない。いや、ぼくたちは、漫才コンビとしては、だれにも負けないくらいに結束できるのだということを、確認しあったのだ。
だからいま、この言葉を芽依にぶつけたら、きっと、分かり合える気がする。
だけれど、ほんとうにそれでいいのか? もしかしたら、このすれ違いを、うまく繋ぎあわせる術があるのではないか?
「なんで、泣いてるの?」
ほんとうに、なんで泣いているんだよ、ぼくは。自問自答をしているうちに、いやに感傷的になってしまって、ひとりよがりな結論を出して、涙を流している。芽依の気持ちなんて、ひとつも考えていない。
「大丈夫だから」
ポンとぼくの背中を押した芽依は、くるりと向きをかえて、舞台の方へと帰っていった。
* * *
楽屋の畳部屋で横にならせてもらった。
芽依との漫才を終えて楽屋に戻ったとき、どっと疲れが押し寄せてきて、すっかり動けなくなってしまったのだ。
西岡さんのおかげで清潔に保たれている毛布をおなかにかけて、座布団をふたつに折って枕にし、考えなければいけないことをすべて放し飼いにしたまま、目を
絶叫さんは、ガールフレンド(たぶん)の車で病院に運ばれていった。デリートさんが付き添いでいっている。
西岡さんは、ライブの終わりに、今日のトラブルについて、肝心なところをうまくごまかしながらお客さんに説明していた。お金は払い戻すことになった。
だけれど、観客席から聞こえてきたのは怒声でも罵声でもなかった。拍手だった。きっと、ライブを途中で
ぼくたちは、あの2時間半、お客さんを笑わせることだけに必死だった。そのことを、評価していただけたのかもしれない。もっと賢い方法もあったのだろうけれど、今回はこれで良かったのだと思う。というより、これしかできなかった。
* * *
いつの間にか眠ってしまっていた。
急いで舞台の上へ行くと、人が
「ごめんなさい。ぜんぜん気づかなくて……」
「あの子が、前に言ってた元相方なの?」
「そうです」
父さんから借りている腕時計を見ると、もうすぐ6時になろうとしていた。どんどん日が長くなっているとはいえ、もう帰れと言われてもおかしくない時間だった。
「解散したのって昨年の秋くらいなんだろ? ずっと舞台に立っているお前より、あの子の方が、漫才がうまいっていうのは、なんかおもしろいな」
「実際そうなんですけど、改めて言われるとヘコんでしまいます」
情けない声をだしているぼくに、西岡さんは笑いかける。
「だけど、お前のツッコミがないと、あの子のボケも輝くことはなかっただろうよ。だからきっと、最高の相方なんだよ、お互いにとって」
最高の相方――ぼくの相方は、芽依しかいない。ぼくだけでなく、西岡さんからも、そう見えるのか。
これから先、芽依が漫才の世界に戻ってくるかどうかは分からないけれど、そのときが来るまで、ぼくの隣はあけておこう。
あの日の決意が――約束が、よりいっそう、ぐっと固まってくる。
「まあ、舞台袖でいちゃついているコンビなんて、周りから目の
見られてたのかよ!
真っ赤になっているであろうぼくの顔を、にやにやとしながら見下ろしてくる。
いったい、どこから見ていたんだろうか?
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