18. ベリー・ベリー・ポップ・アンド・グロテスク
「――――、俺はなあ、――――なんだよ!」
絶叫さんは、単独ライブでしかできないようなヤバいセリフを連呼する。
さっきまで笑いが起こっていた観客席に、冷たいナイフがぶっささる。
手が震えている。ぼくには分かる。あれは演技ではない。演技では塗りつぶせない、人間の根源的なところから湧き起こる震えだ。
「さっきから、――――の、――が、――引きずって、――――! サメが、自由に泳いでやがるううう!」
普段のライブでは決してしないネタだ。ぼくが最初に見たネタをするのかと思っていたけれど、単独ライブなのだから、
「サメは、永久の、――――を、謳歌しろおおお!」
この単独ライブにくるひとは、絶叫さんのネタを見にきているわけだから、期待通りなのかもしれない。さっきまでのことは、別として。だけれど、大紀や良彦や美月さんは、面を喰らっていることだろう。芽依は、泣きそうになっていないだろうか。
ぼくはもう、絶叫さんの「狂気」に慣れ切っていると思っていた。だけれど、いまぼくが見ている絶叫さんは、「狂気」の向こう側を探究しているようだった。
魂の叫び――そう名付けると、陳腐に聞こえるかもしれない。しかしメッセージ性や権力への怒りなどは、そこにはない。絶叫さんは、そういったネタが嫌いだから。
「笑えるひとがいないことを想定した笑いって、嫌いなんだよ」
絶叫さんは、みんなが笑えるネタだけを希求している。そんなわけがないだろ、という声が聞こえてきそうだ。だけど、そんなわけがあるのだ。
「笑うということの根源的な意味を、俺は知りたい。普遍的な笑いが、どこかにある。それを
楽屋裏で酔っぱらっていた絶叫さんは、そう熱弁をしていた。
「めっちゃ、お笑いが好きなんだよ。ユーリも、お笑いが好きだから舞台に立っていてほしい」
ぼくのことを考えてくれて、向き合ってくれて、励ましたり叱ったりしてくれる絶叫さんの手を――ぼくは、振り払ってしまった。
悔しくて、袖から楽屋へと帰っていくと、舞台が映るテレビを観ている、デリートさんと西岡さんがいた。
「袖で見てやるやつがいないと、浮かばれないよ」
テレビから目を離さずに、ぶっきらぼうにデリートさんは言い捨てる。
「調子は悪そうだね」
「その悪さをふくめてネタだと思われているって感じかな」
「笠原くんのファンは好きそうなネタだけど、ちょっと際どすぎるかもしれない」
「地下にはもっとヤバいやつがいるから、まだかわいい方だよ」
目を合わせないまま、デリートさんと西岡さんは会話をしている。心配そうな眼差しを向けていない。ネタの内容を品評しあっている。芸人として、絶叫さんを見ている。
ふと、思いだした。いろんなことがありすぎて、頭の中から抜け落ちていた。
ぼくはこのあと、絶叫さんと漫才をするのだ。そのつもりで準備しなければならない。こうして落ち込んでいては、ダメだ。
だけど決まっていることといえば、絶叫さんのボケに自由にツッコむことくらいだ。フリースタイルというか、即興というか、そういう部類のものには違いないけれど、こうしたものは、熟練の技と高い経験値がなければ、できない。
西岡さんとはできたじゃないか――そう思ってみるけれど、テレビに映る絶叫さんを見ていると、この高度なボケにツッコむことができるのかと不安になる。
「包丁の刃の部分が身体に当たっているときがあるな。たぶん本調子じゃないね」
「震えているというか、コントロールできていない感じはするけど、笠原くんは、よくやっている方だと思うよ」
「観客はどう思っているかね」
「そこまで見ている人がいるなら、笠原くんの調子が悪いことにも気づくだろうよ」
「ベリー・ベリー・ポップ・アンド・グロテスク」
デリートさんが口ずさむ。舞台の上で、絶叫さんが何度も繰り返しているフレーズだ。拡声器でも使っているのではないかと思うほど、はっきりと、楽屋まで聞こえてくる。
「ベリー・ベリー・ポップ・アンド・グロテスク! ベリー・ベリー・ポップ・アンド・グロテスク!」
どういう意味なのかは分からない。観客にレスポンスを求めているわけでもない。ただ、ひたすら、このフレーズを繰り返している。
こころの底から、すごいと思った。
だって、こんなにキャッチーなフレーズが、不穏な空気のなかを、悠々と泳いでいるのだから。光が闇を切り裂いたかと思えば、闇が光を包み込もうとするような、緊張感と躍動感。
笑いは起きない。けれど、笑いの本質に迫っている絶叫さんを、そこに見出してしまう。ぼくも、小さく口ずさむ。
「ベリー・ベリー・ポップ・アンド・グロテスク……ベリー・ベリー・ポップ・アンド・グロテスク……」
けど、このあと漫才をするという覚悟は、まだ定まらない。
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