16. よくやったよ

「ところで、だれもが憧れる芸人になりたいって思ったら、どうすればいいんだろうね」

「どうしたんですか? 急に?」


 西岡さんは、話題を別の方向へと持っていった。漫才のテーマを「前座」的な内容から、らしていく。


「ご存じの方はどれくらいいるか分からないんですけど、自分はもう漫才師を辞めていまして、ほぼ素人なんですよね」


 弁明がはじまる――わけがない。西岡さんは、元プロの漫才師なのだ。逃げない。自分たちのネタに、ちゃんと責任を持とうとする。


「でも横にいるのは、これから芸人になろうとしているでして、彼をどうしたら立派な芸人にできるかってことを、ここにいるみんなで考えていこうかなと思いましてね」

「観客を巻き込まないでください!」

「思うんですけどね、いまどきの芸人は一発ギャグみたいなものがないといけないんですよ。だからね、いくつか考えてきてあげた」

「なんですか、この手は」

「そりゃ、ギャランティーをもらわないと」

「内容によりますよ!」


 テーマとしては真新しくないけれど、「分かりやすい形式」に落とし込むにはぴったりだ。西岡さんが、ギャグを羅列していき、それをぼくがツッコんでいく。


「じゃ、まずはひとつ目ね」


 西岡さんはきっと、いままでの人生で作り続けてきたギャグを披露している。即興ではない。ぼくはそのギャグに対して、敬意をこめながらコテンパンにツッコんでいく。


 そして、笑いが生まれた。クスクスとしたものではなく、はっきりと響いていく笑いだ。重たい空気を一気に打開する西岡さんの機転――これが場数をこなしてきた芸人の技であり根性だ。


 漫才コンテストの予選で披露されたネタのいくつかは、公式チャンネルにアップされる。しかしそこには、辛辣な――というより誹謗中傷といっていいコメントがつくことがある。平然と「つまんない」などと書くひとたちが、少なからずいる。


 だけど、そのひとたちには決して分からないよ。


 ひとを笑わせることは、とんでもなく難しくて、漫才師は、爆笑を起こすために、たくさんの苦労をしているんだ。そのことに対しては、敬意を払ってほしい。たくさんの人の前でネタを披露することの覚悟を、知ってほしい。


 ぼくと西岡さんの即席の漫才は、尻上がりに調子が上がっていった。いったい、どれくらいの尺のネタなのかは、ぼくには分からない。だけれど、西岡さんのボケが終わるまで、ぼくは締めのセリフを言うつもりはない。


「これは、とーっておきのギャグなんだけどね。まず、手順を説明するね」

「もういいですって!」

「第1ステップ。不老不死になります。そして……」

「人間ができるギャグをください!」

「まあ、まあ。最後まで聞いてくれよ。第2ステップ。世界で二番目に高い山に棲みます」

「ところで、世界で二番目に高い山ってどこです?」

「ええと……じゃ、第3ステップね」

「はぐらかした!」

「第3ステップは……これ、ボックス・ステップ」

「ダンシング・仙人! ダンシング・仙人を目指せって言ってるんですか!」


 ぼくたちは、まるでこの日の主役のように、のびのびとネタをしていた。しかし、場数を踏んだ漫才師のすごいところは、ネタ尺のタイマーがきちんと働いていることだ。


 西岡さんは、ポンとぼくの背中を叩いた。観客に気づかれないように。漫才を締めるようにという号令だ。


「もういいよ!」


 あっ――思わず、声が上ずってしまった。ネタとは関係のないところで、笑いを作ってしまった。ぼくの完全なミスだ。


「どうもありがとうございました」


 ぼくたちがお辞儀をすると、観客席からは拍手が鳴り響いた。

 大紀や良彦、美月さん――そして芽依が、どんな顔をしているのか、拍手をしてくれているのかどうか、そんなことを確認する余裕はなかった。


 ぼくは、一度も観客席を見ないまま、舞台袖にはけていった。

 そこで待ち構えていた西岡さんは、ぼくの髪の毛をわしゃわしゃとかきまぜた。黙ったままだけれど、なにを考えているのかは、なんとなく理解できた。


 たぶん、「勝手になにしてんだよ」と思っている。だけれど、もうひとつの感情がきっとある。ぼくの方を見ることなく、西岡さんは、こう呟いた。


「よくやったよ」

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