11. エイリアンにだって「味方」がいる

 その漫才コンビが力を入れていたのは、漫才ではなかった。先輩との付き合いなど、交友関係のうずに身を投じていた。


 漫才は二の次だった――というと、彼らに失礼かもしれない。だけどこのコンビが、漫才に真剣に向き合いはじめたとき、爆発的な力を発揮したのを、芸人仲間たちは目撃した。


 しゃべくり漫才で「漫才ワン」の決勝に進出したふたりは、大爆笑を巻き起こし、審査員たちからも高評価を与えられた。もちろん、ふたりは優勝した。


 漫才一本。本業だけに打ち込んだ漫才師には、笑いの神様が必ず訪れる。それを、彼らが証明したのだ。


     *     *     *


「ひとつのことに真剣に打ち込めないやつは、まあまあな結果ばかりを出し続けるんだよ。だから、このままだと心配だな、お節介かもしれないけれど。だけどこれは、人生の先輩からのアドバイス。売れなかった芸人からの、教訓」


 西岡さんは、頭の後ろで両手を組んで、椅子を前に後ろに揺らしている。あいかわらず、こちらを見ることはない。


 ぼくの持っている缶には、たっぷりウーロン茶が残っている。ひんやりとした感触が、手をじんじんとさせている。


「どうしたら……いいんでしょう」

「それは、お前が決めることだよ。他人の人生の面倒を見ることも責任を負うことも、俺には真っ平だよ」――ぶっきらぼうな口調で、突っぱねてくる。


「でも、そろそろ真剣に悩んで、決断しないといけないな」


 決断――ぼくは、どうすればいいのだろう。考えていなかったことが次々に目の前に現れてきて、頭の中はぐちゃぐちゃだ。それにいまは、芽依とのことにだって悩んでいる。


 暗がりのなかを、びゅうびゅうと風が吹いている。もう夜になった。一番丈夫そうな傘を借りて、家路につくことにした。振り返ってみると、「フィロソフィING」は事務所だけが明かりのついた、まったく音のしない、寂しい建物になっていた。


     *     *     *


 芽依から電話が来たのかと思ったら、残念ながら良彦からだった。


「ライブハウスに行ってたのかよ。濡れなかったか?」

「まあまあ濡れたかもしれない」

「風邪をひいたらネタができないだろ。気をつけろよ」


 ネタ――そうだ、ぼくは絶叫さんと漫才をするのだ。風邪には気をつけなければいけない。折角、単独ライブに誘ってくれた絶叫さんに、迷惑をかけてしまう。ぼくはどこまで、愚かなのだろう。自分のことを、微塵みじんも肯定できない日が続いている。


「そういえば優理のネタ、一度も見たことがないんだけどさ……優理が通っているライブハウスって、行ってもいいの?」


 たしかに、いままで知り合いがネタを見にきたことがない。自分から誘ったこともない。笑いのとれない自分が情けなくて恥ずかしくて、いままで目の前でネタを披露したいと思ったこともなかった。


 だけど、それでいいのか?


 たとえば、良彦の前でネタを披露するとなれば、意地でも笑いを取ろうと一層の努力ができるかもしれない。というより、これからお笑いを続けていけば、知り合いのだれかに見られるのは時間の問題だ。こういうところが、ぼくの弱さだ。羞恥心から、自分を守ってしまう。


「聞こえてるか? 優理?」

「あっ、ごめん」

「やっぱり、重症みたいだな。栗林さんとのことで、だいぶメンタルがおかしくなってる。きっと、ほかのこともうまくいってないんだろ」


 お見通しだ。さぞかし、ぼくは惨憺さんたんたる有様に見えているのだろうな。


「なあ、優理」

「うん?」

「これからどんな風になっても、俺たちは優理の味方だからな」

「どうしたの、急に?」


「そういう言葉がほしいんじゃないかって思った。いまの優理は、周りが敵だらけ……というか、味方になってくれるひとがいないって考えてしまっているのかなって。でも事実として、優理には何人も味方がいるわけだ。俺も大紀も、もちろん家族だってさ」


 たくさんの人が、ぼくを助けようとしてくれている。ありがとう。でもぼくは、甘えてばかりではいられない。


 西岡さんが言ってくれたことは、裏返せば、いくつもの傷を負えということだろう。捨てるものは、捨てる。あれもこれもと、欲張ってはいけない。


 だけど、そう言ってくれると、気持ちが軽くなる。突然、笑いが込みあげてきて、少し吹きこぼしてしまった。


「優理?」

「ごめん、ごめん。なんだかさ、急におかしくなっちゃって」

「なんだそれ」

「ぼくのようなに、たくさん味方がいるって思うとさ」


 良彦がスマホを持ちかえる様子が伝わってきた。


「たくさんの味方がいるというより、強い絆があるって感じかもしれないな」

「たしかにね」

「栗林さんだって、同じだよ。エイリアンを名乗って漫才をした優理たちの絆は、そう簡単にこわれないよ。大丈夫」


     *     *     *


 目をつむりながら、風雨が強弱をもって窓を叩いたり撫でたりしているのを感じ取る。良彦と話して少し気分が楽になったのだろう。心地よい眠気の軌道にすっと乗ることができた。

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