08. 大喜利、ダメ出し、修羅場

 お客さんの立ち読みで乱れてしまった本棚を整頓していると、レジの方から夏鈴かりんさんが、ふたりきりなのをいいことに話しかけてきた。


「四条くん、大喜利しようよ」

「根っからの芸人ですね。暇さえあれば大喜利だなんて」

「それでは、四条くんからどうぞ」

「えっと……こんな本屋さんはいやだ。どんなの?」


「とても時給が良いのに、ものすごく暇で、じゃあネタを作るかって思ってノートを出したところで、新入りが、予約をいただいた本のシリーズを間違えたせいで、てんやわんやして、オーナーに頭を下げさせただけでなく、この前のライブでめちゃくちゃスベって、お客さんのテンションが冷え切った状態でわたしを舞台に立たせた、隠れリア充の高校生」


「あのときは本当にごめんなさい!」

 予約いただいた本のシリーズを間違えたことも、ライブでスベってしまったことも――ここのところ、なにもうまくいかない。


「ごめん、こんな書店員と働くのはいやだ、というお題の解答になってた」

へこみすぎて気づきませんでした」

「それでもとつか!」

とつ?――あー、凸の先っぽの方をへこむにツッコむと長方形に……だからみたいなことですか」

「セクハラはやめてね」

「ごめんなさい!」

「半分くらい正解だけど」

「ちょっとだけ前言撤回です!」


 お客さんのいないときは、夏鈴さんと、こういう会話ばかりしている。


「ところでさ」

 夏鈴さんは、椅子の背もたれに身体を預けながら、からかうような口ぶりで、芽依との関係を茶化してきた。


「彼女さんとは仲直りできたの?」

「夏鈴さんのせいで、よけいに話がこじれました」

「それは大変申し訳ございませぬ。重ね重ね厚く御礼申し上げます」

「ふざけないでください……」


 あの日は、ほんとうに運が悪かった。まるで、神様がぼくたちの仲を引き裂こうとしているのかと思うくらいに。


     *     *     *


 あの日――ライブ終わりに夏鈴さんに誘われて喫茶店に行った日、ぼくは舞台で盛大にスベり散らかしたせいで、泣きそうになっていた。


 もういい歳ではあるのだけれど、失敗すれば――スベれば泣きたくなるのは致し方ない。一打逆転のチャンスで凡退したり、ピアノのコンクールで運指を誤ったりするのと同じ……だと思う。


 言い訳がましくなるけれど、芽依と仲直りができないままでいるということも、スベった原因のひとつだと思う。


 この前テレビで、大会前に選手が失恋するとパフォーマンスが下がるという話を、ある大学の水泳部の監督がしていた。恋がうまくいかないと、他のこともうまくいかなくなるというのは、真理なのだろう。


「北極・オブ・北極に飛ばされたかと思ったわ。舞台袖にいるのがつらかったくらい」

「それ以上言われると、立ち直れないかもです……」

「まあ、そういうときもあるって。わたしの奢りだから、パフェを食べて元気をだしなさい」


 あまりのショックに一言も口をきけずにいたぼくを見かねて、夏鈴さんが喫茶店まで連れ出してくれたのだ。絶叫さんですら気を遣う、ひどい有様だった。


「マジメな話をするとね」

 夏鈴さんは、たんこぶのように乗っているアイスクリームを平らげると、そう切り出した。


「初手からウケる方がおかしいからね。というより、成功の体験をするのは、早ければ早いほど、腕をにぶらせちゃう。向上心がなくなってしまうから」


 最初からウケるはずがない。だからこそ、腕を磨こうという気持ちになれる――それだけなら、よく聞く話で終わる。それも抽象的で、ふんわりとした助言として。


 夏鈴さんは、こうすればいいとか具体的なことは言わないけれど、いままで読んできた本の知識から、自分の発言を裏付けてくる。


「目的論的な歴史観っていうのがあってね。ようは、歴史というものは一つの目的に沿って紡がれているっていう考え方。その目的というのは『実現されるべき未来像』に到達するためとか色々あるけれど、もし本当に、それが実現されたとしたら、どうなると思う?」

「ううん……もうそれ以上、目指すものがなくなるっていうこと、ですかね……?」


「そうそう。目的論的な歴史観に従えば、『実現されるべき未来像』というのが実現したときに、歴史は終わる。わたしはこういう議論を目にするたびに、芸人も同じだって思うの」

「どういうことですか?」


「たとえばね、四条くんに引きつけていうと、舞台でウケることを目標にして、もしそれが本当に実現してしまったとしたら、芸人としての歴史が終わりかねない、ということ。だから常に、次の目標を作らないといけない。目標をぐんぐん先の方へ設定しておけば、芸人としての歴史は、終わることがない」


 心が折れたり、死んだりしなければね――夏鈴さんはそう持論を結んでしまうと、パフェを一口食べた。コーンフレークの嵩増かさましが少ないことに、感心している。


 言われたことがうまく飲みこめていないぼくを見て、夏鈴さんは話を続けた。


「ようは、四条くんは、舞台の上で笑いをとることに必死すぎて、自分の芸人としてあるべき姿を見失っているように見えるの。もうひとつ上の目標とか、次にするべきこととか、そういうのを考えつつやらないと。じゃないと、ウケればなんでもいい、みたいな状態になって、空回りしちゃうから」


 夏鈴さんからのマジメなダメ出しを喰らったぼくは、再来週に披露するネタのことに想いを馳せた。舞台が終わってから一週間で原型を作り、それからネタを磨きあげていくのが、いつものルーティンだ。


 だけど、笑いをとるボケを探すのに必死で、自分のスタイルを見失っている――というのは、うすうす感じていたことだった。


 だから、面と向かって指摘してもらえると、すっとこころが軽くなる。ほんとうにそうだったのだと、心から思える。少し立ち止まって、これからのことを考えよう。


「ふふっ、唇にクリームがついてるのがかわいい」

「えっ、うそ?」

「ダメ出しをしながら吹きそうになってた。あえて笑いをこらえるというのも芸人に必須のスキルだから、がんばってみたけど……よし、落ちこんでいる四条くんのために、わたしがふいて差し上げよう」


 花柄のハンカチを裏返して、手を伸ばし、ぼくの唇をそっとぬぐってくれる――という恋人がするような光景を、信じられないという表情で凝視していたのは、窓の向こうにいるだった。

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