09. 芽依を笑わせたい
喫茶店を飛び出して
「あの人は、一緒にライブにでているひとで、そういう関係じゃないから」
「…………」
「あれは、成り行きでそうなったというか、
「…………」
「だから、安心して! ぼくが好きなのは、芽依だけだから!」
通りすがりの人たちが、ぼくらの方をちら見してくる。向こうの歩道では、ひそひそ声でなにかを話しながら、この修羅場に見入っているひとたちもいる。
「さようなら」
それだけを言い残して、芽依はすたすたと行ってしまった。あとに残されたぼくは、周囲の好奇の視線にさらされたまま、じっと動けずにいた。喫茶店に残してきた夏鈴さんのことは、まったく頭から消えてしまっていた。
* * *
カードショップの対戦スペースは平日でも混んでいて、ぼくたちは道路に面した窓のそばの一角で、教室にいるときのようにせせこましく集まっていた。
といっても、対戦をしているのは良彦と大紀であって、ぼくはそれを見ているだけだ。ふたりは相手を変えず、十二戦目に突入していた。
そもそもぼくは、この『グローリア』というカードゲームで、一度も遊んだことはない。ふたりと一緒にいたいから、ここにいるだけだ。
「全軍で攻撃……もう、修復不可能な段階まで来てしまったな」
「これからどうすれば、芽依に
「《雪山に戻れ》を発動、この2体をバウンス。手札に戻したところで《夜闇の刈り》を使って、ハンデス。さあ、手札から1枚捨ててもらおうか……少しの間だけでも、栗林さんと付き合えただけで良い想い出になっただろうよ」
「ずっと一緒にいたいんだよ。だから、なんとかしないといけなくて……」
「そのタイミングで《ざあざあ降り》を使って、《夜闇の刈り》を打ち消し。《雪山に戻れ》だけ通す……といっても、ほかの女の子と一緒にいるところを見られたんじゃなあ」
「でも、一緒にライブにでている仲間というだけで、そういう関係じゃ……って、片手間で話さないでよ!」
ちょっとは真剣に話を聞いてほしい。こっちはマジメに悩んでいるんだよ。
「為す術なし! 降参!」
「よし、これで6-6のタイになった。じゃ、次で最後にしようか。ごめんな、優理。このあと、ちゃんと相談に乗ってやるから」――と、大紀。
前言撤回。やっぱり、持つべきものは友人だ。そう実感したところで、事件は起こった。
突然、芽依から電話がかかってきたのだ。
* * *
『最低最悪の浮気者で十王に審議されるまでもなく極刑を言い渡されるだけでなく天国へ逃げ延びる救済さえ与えられるわけのない四条くんに、最後のチャンスを上げる無量無辺に威光を放つ神々より慈悲深きわたしに感謝してほしいのだけれど、なにか弁解があればどうぞ。なおこの電話番号は今回以降、四条くんからの連絡は受け付けなくなるのでそのつもりで。はい、どうぞ』
急いでカードショップの裏手にある道の電柱に隠れて電話を受けとったぼくは、芽依からの息つく間もない詰問を受けた。
弁解――なにを言えばいいのだろう。夏鈴さんとはそういう関係でないことは、どう説明しても受け入れてくれないだろうし。実際、恋人っぽいことをしているところを見られたわけだし。
『残り十秒でどうぞ。こちらは受験勉強で忙しいので』
このときぼくの頭の中に、ふと、絶叫さんのあの
芽依が、どんな表情をしているのかは分からないけれど、笑っていないことだけはたしかだ。
芽依を笑わせたい――と思った。
いまのぼくにできることは、弁解でも説得力のある謝罪でもない。いまの芽依を、納得させることなんてできない。
「芽依」
『下の名前で呼ばないで』
「芽依」
『…………』
「6月の最初の日曜日に、『フィロソフィING』に来てほしい」
ぼくが芽依に告白をした場所――ということは、芽依も分かっている。だけど、芽依が想像しているようなことをするつもりはない。
『そういうの、ダサい』
「お願いだから来てほしい。その日、ぼくの先輩の単独ライブがあるんだけど、その人とユニットでネタを披露することになってね……それを見にきてほしいんだ」
漫才――とは言わなかった。さらに話がこじれてしまうかもしれないから。
『意味が分からない』
「笑わせたいんだよ、芽依を」
『だから、意味がわからない。ねえ……ほんとうに「悪い」と思ってるの? わたしに甘えすぎてない? もし四条くんが、わたしの立場だったら、どう? そこまで考えてる?』
うん。もしぼくが、他のオトコと芽依がああいうことをしているところを見つけたら、どれくらい辛い思いをしたか分からない。
「ほんとうに『悪い』と思っているよ。でも芽依は、どんな弁解をしても納得してくれないし……正直、このまま愛想を尽かされても仕方ないって思う。芽依が、もし別れるっていう決断をしたとしても、ぼくには、それを引き止める資格がないというか……でも、笑っている芽依が見たいんだよ。身勝手なことを言っているかもしれないけど、笑っている芽依が、ぼくは好きなんだ」
しばらくの沈黙のあと、電話はプツンと切れた。
ポタリと雫が右手に落ちてきた。見上げると、いつしか空には雨雲が張り巡らされていた。風も吹かない、どこか蒸し暑い夕方。今日は帰るということをふたりに報せて、ぼくはライブハウスへと駆けていった。
いまのぼくは、仲間たちと話をしたくて、たまらなかった。
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