06. ユニット漫才

「だけど……今回は、オレだけではないんだわ」

「ゲストでだれか呼ぶの?」


 煙草の煙を天井に向けてはいてから、デリートさんが横やりを入れてきた。


「こいつ。ユーリを舞台に上げるんだよ」

「ええっ! ぼくですか?」


 正気かよ――という表情を見せているのは、西岡さんだ。


「ユニットでネタをするっていうから、芸人仲間を連れてくると思ったんだけど、なんでよりにもよって……」

「なに言ってんだよ。ユーリも芸人だろ」

「素人だろうよ」

「お笑いが好きで、お笑いをやってたら芸人なんだよ」


 西岡さんは辛辣しんらつだ。ぼくのことを「芸人」として認めていない。ぼくだって、自分のことを「芸人」だと、自信を持って名乗ることができない。だけど絶叫さんは、ぼくのことを「芸人」として見ている。


「でも、ぜんぜんおもしろくないからさ、こいつ」――と、絶叫さん。


 そのことに異存があるひとは、この四人のなかにいない。もちろん、ぼくもだ。


 笑いを起こしたことなど、一度もない。このライブハウスの仲間たちも――夏鈴かりんさんも、まったく笑わない。


 楽屋では笑ってくれるみんなも、舞台の上のぼくには、厳しい目を向ける。お笑いを愛している。だから、ネタにはとてもストイックなのだ。


「だからさ、こいつにプロの『笑い』を教えてやりたいんだよ。どんな漫才をするかは、これから決める。ネタ順は最後、めに持っていく。これは決定。あとのプログラムは、時間をかけて考える。だけどユーリとネタをすることだけは、譲れない」


 西岡さんに反論の隙を与えない。ものすごい権幕けんまくだ。


 芽依ではないひとと、一緒に舞台にあがる――正直、このことに抵抗がないわけではない。しかし思い直す。相手は絶叫さんだ。まったく笑いを起こせない現状を打破できる、なんらかの術が見つかるかもしれない。


 絶叫さんの胸を借りたい。ふたりに深々と頭を下げる。お願いします――と。このチャンスを逃したくない。


「今回はひとが来そうな気配がするから、マジメにしたかったんだけど、笠原くんのライブだからね、好きにすればいいよ。でも、お客さんをがっかりさせないように。うちだって、収益がないとやってられないんだから」

 西岡さんは、絶叫さんの決意が固いことを悟って、我を折ったようだ。


 絶叫さんは、胸ポケットから煙草を一本取り出して、デリートさんから借りたライターで火をつけた。


「ユーリが出るってことで、こいつの高校のやつもちょっとは来るだろ。それをあてにしてくれていいよ……でもさ、あんまり見くびんなよ、こいつを。いまのうちに投資しとけ。すんげえ芸人に化けるぞ、ユーリは。もちろん、ピンじゃダメだ。漫才一本しかない。それを、分からせてやりたいんだよ」


 絶叫さんは、確信に満ちた表情でよどみなくそう言い切った。

 そして「やっぱり奥で話そう」と提案し、西岡さんとともに、事務室の方へと行ってしまった。


     *     *     *


 ユニット漫才――実は最近の「漫才ワン」では、即席のユニットコンビが結果を出している。


 3回戦まで上がってくるコンビも珍しくない。何年か前には、ファイナルステージに進んだコンビがいた。ユニットコンビならば、年数制限にしばられない。コンビ結成「1年目」という扱いになる。


 ピン芸人ふたりが即席で漫才コンビを組むパターンがほとんどで、だとすると、お互いの「味」が喧嘩してしまうこともあるようだけれど、それを活かし合うことに成功すれば、大きな成果を残すことができる。


 絶叫さんは元漫才師なのだと、デリートさんが教えてくれた。喧嘩別れで解散した後、元相方は芸人をやめて、絶叫さんは別の相方を探さずにピン芸人として活動するようになったのだと。


「天才がふたりいると、凡人以下になるのかもしれないね」

「デリートさんは、絶叫さんの元相方のことを知っているんですか?」

「知ってるさ。中学校を卒業したらお笑い学校に入って首席で卒業。素行は悪かったけど、周りでそいつの『おもしろさ』を認めないやつはいなかった」


 破天荒な天才――芸人らしい称号だ、と思ってしまった。


「笠原とわたしは、そいつと同期だよ。同期だけど、あいつは、笠原とばかりつるんでた。遊びの延長からコンビを組んで、舞台では爆笑をかっさらって、そのままスターダムを駆けあがる――はずだった。だけど、漫才ワンは3回戦が最高成績。他の賞レースでも惨敗。なぜだと思う?」


 天才がふたり集まるということは、砂糖と塩を混ぜ合わせたように味が濃くなるので食傷してしまう、みたいなことだろうか。


「テレビ向きじゃなかったんだよ、あいつらの漫才は。賞レースの決勝戦の舞台って、生放送されるから、テレビの向こうにも客がいるんだよ。だから審査員も、おもしろいだけじゃなくて、テレビ向きかどうかで合否を決める。包丁を振り回して絶叫するようなセンスのやつのコンビが、受かるはずがないんだよ」


 テレビ向きかどうか――たしかにそうだ。コンプラ違反のネタをするコンビは、決勝ステージに進めるはずがない。


 むかし、コントの大会で、あるコンビのネタ終わりに苦情の電話が鳴りやまなかったことがあったというのも聞いている。視聴者は、それくらいコンプラに敏感なのだ。


 キャッチーというかポップというか、安心して笑ってもらえるネタを作らないと、「漫才ワン」では結果を出すことができない。


「天才はを折らない。いや、折れないんだ。愚鈍な行動をあえて取ることができない。不器用といえばそう。器用にできるやつらは、うまく目の前の『壁』を回避できるけれど、天才はいつまでも『壁』を殴ってばかりいる」


 デリートさんは、西岡さんから強奪した缶コーヒーを飲み切ると、伸びをひとつして、大きく深呼吸をした。


「まっ、西岡さんはあんなこと言ってたけど、あたしはちょっと期待してる。あんたっておもしろくはないけれど、ひとをおもしろくさせる才能があると思うんだよね」

「おもしろくさせる才能……?」

「ようは、ツッコミのセンスがあるってことだよ。だから、コンビでネタをするところを見るのが、楽しみではある」


 ふたりが打ち合わせをする声が、事務室の方からうっすらと聞こえてくる。窓から差し込んでくる夕陽がやけに涙もろく映った。公園から子供たちが帰っていくのが、窓越しにうっすらと見えた。


 デリートさんは欠伸あくびをひとつして、打ち合わせが終わるまで眠ると言って、畳部屋へと移っていった。このあと絶叫さんと飲みにいくことにしているらしい。


 これは後から聞いたことだけれど、漫才師のときの絶叫さんは、本名の笠原名義で活動をしていたらしい。でも、ピンで芸人を続けるにあたり、芸名を変更したのだという。


 じゃあなぜ絶叫さんという名前になったのかというと、細かい事を省いて言えば、漫才中の「ツッコミ」が終盤にかけて絶叫のようになるのを見た周りの芸人が、そう呼び始めたかららしい。


 そう、絶叫さんは「ツッコミ」だったのだ。しかしただの「ツッコミ」ではなく「ボケ」もしていた。つまり、絶叫さんたちの漫才は《ダブルボケ・ダブルツッコミ》のスタイルだったのだ。

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