05. 単独ライブ

「ツッコミというものがよくわからない」


 そんな相談を先輩に持ちかけたのは、いまや漫才師のなかでも一、二を争うツッコミの達人である中堅芸人で、若いころの彼は、いくらツッコミをしても「ツッコミ」になっていないということに悩んでいた。


 普段の会話でするようなツッコミと、漫才師が披露する「ツッコミ」には、天と地ほどの技術の乖離かいりがある。


 彼から相談を持ちかけられた先輩は、それから一年間、彼に会うたびに、食傷するくらいにボケ浴びせかけた。そのボケのひとつひとつに、彼はツッコミを入れ続けた。


 その訓練とっくんのおかげで、彼は漫才の「ツッコミ」を手に入れた。


 日常的に漫才のような会話をすることが、漫才師としての腕を磨く最適な方法なのだと、その先輩――ぼくの尊敬している漫才コンビ「ヴィ・バ・ラ」のボケ担当のユアは言ったという。


     *     *     *


 前回ライブで一緒になってから、まだ数日しか経っていないのに、絶叫さんは、丸坊主になっていた。絶句しているぼくを見て、絶叫さんは舌打ちをして、「失格」と吐き捨てた。


「先輩の身体を張った一回きりのボケなんだから、最高のツッコミをしろよ。てか、ここまでしてくれた先輩に感謝の言葉のひとつもないのか」

「そのためだけに、丸坊主にして、ぼくを呼び出したんですか……?」

「ンなわけないだろ。そこまでお前に義理はねえよ。二十八股がバレてしまってな。みそぎのために丸坊主にしたんだわ」

「最低ですね。というか、そんなに複数の方と付き合っていて、バレないとでも思ってたんですか?」

「困ったことに、オレのルックスだと丸坊主でもモテモテでな。前より女の子が寄ってくるんだわ。見た目が清潔になったからかな」


 この楽屋にいるのは、ぼくと絶叫さんと、焦げ茶色の髪をポニーテールに結んで、椅子を並べて寝ころんでいるデリートさんだけだ。


 そのデリートさんは、冷めた目線をこちらに投げている。よかった。同じ気持ちのひとがいてくれ――


「ほんと、ツッコミのひとつもできないなんてね。先が思いやられるわ」


 そっちかよ! デリートさんも、ぼくがツッコミをしなかったことに苛立ちを覚えていたらしい。


 ここは芸人が集っているところだから、世間の常識的なものより、お笑いのルールみたいなものが適用される。そんな風に考えた方がよいのだろう。


「オンナだな」

「えっ?」

「失恋はツッコミを鈍らせるから。だってツッコもうにも――」

「クッソ最低なボケですね。初めて殴りたくなりました」


 いままで聞いたなかで、一番の笑えない下ネタだった。


「ほんとお前、いい加減にしないとこの子の親御さんに叱られるぞ」

 デリートさんが、わりと真剣なトーンで注意をする。


「なあ、お前のおふくろって、キレイ系とかわいい系のどっち?」

「ぼくの母に手を出さないでください!」

「一夜だけだからさ」

「二度と朝がこないくらい復讐しますよ?」

「仏の顔も三度までだろ?」

「屁理屈を言うのは――」


「いい加減にしろ!」

 さすがにデリートさんも見かねたらしい。思いっきり絶叫さんの頭をはたいた。手の跡が見事に朱印されてしまった。


「おっ、やってるねえ」

 缶コーヒーを片手に持って暢気のんきな調子で姿を見せたのは、このライブハウス「フィロソフィING」のオーナーであり、元お笑い芸人の西岡さんだ。


「笠原くん、単独ライブのスケジュールを組んでみたんだけど、いま大丈夫?」

「大丈夫だよ」

「じゃあ、奥に行こうか」

 笠原くん――絶叫さんの本名だ。

 西岡さんは缶コーヒーを持っている手で、奥の事務室を指し示した。


「いいよ、ここで。こいつにも言わなくちゃいけないことがあるし」

 ぼくの方にあごを振る絶叫さん。どうやら、ぼくも関係していることらしい。きっと、ぼくが呼び出された本当の理由は、これから聞かされるのだろう。


 単独ライブ――失礼なことを言うけれど、売れている芸人さんがするものだと思っていた。だけど、場所と資金さえあれば、いや、ウケるネタがいくつもあれば、誰だって開くことができる。


 絶叫さんは過去に一度だけ、単独ライブをしたことがあるという。それは違うライブハウスだったらしいのだけれど、ひとはひとりも来ず、誰もいない客席に向かってネタを披露していたとのことだ。


「もしかしたら、今回も来ないだろうけど」

 ――と、絶叫さんはさらりと言ってのける。

「でも、オレだって芸人だからな。やりたいんだよ、自分だけがネタをするライブを」


 ときおり見せる絶叫さんの「芸人」の顔。群れから外れた孤高の狼のような精悍せいかんさと哀愁がある。この顔を見るたびに、ぼくは絶叫さんを「かっこいい」と思ってしまう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る