03. 百円玉4貫(さび抜き)

 ぼくが夏鈴かりんさんと最初に出会ったのは、今年の4月のことだ。


 画用紙とマジックを買い込んできたぼくを見て、家族のだれもが、絵を描くことにしたのかといぶかしんでいたけれど、ぼくは「感動してもらう」のではなく「笑ってもらう」ために絵を描こうとしていた。


 フリップ芸――それを画用紙との漫才と、ぼくは考えている。次々にめくられていく画用紙が、漫才でいうところの「ボケ」で、描いてある(書いてある)ことに「ツッコむ」のがぼくの役割になる。


 なぜ、こんなに絵を描くのが下手なのだろう。見ているひとたちが、なにを描いてあるのかが分からなければ意味がない。早々に絵はあきらめて、文章にしてみる。しかし、文字まで汚い。いや、文字ならば、がんばれば綺麗に書くことができるはずだ。


「でもなあ……」


 ぼくの思い描いていたネタは、絵でないと成立しない。なにも描いていない画用紙を、通販で買った折りたたみ式のイーゼルにかけて、あまり大声にならないように、その「思い描いている」ネタをしてみる。


 一枚ずつめくる。めくるたびにツッコミを入れる。前半はゆったりと、後半はまくしたてるように。リズムとテンポを気にしながら。


 何度も繰り返してみる。一度として同じようなものにはならない。時間も口調もテンポもリズムも手応えも、ぜんぜん違う。楽しいという気持ちが先行していく。目の前のひとを笑わせてやろうという強い意志がわいてくる。


「お兄ちゃん! ごはんだって言ってるじゃん!」

 勢いよくぼくの部屋のドアを開けて、妹が入ってきた――と思ったら、そこには、真っ白な画用紙をイーゼルに立てて、ぶつぶつと喋っているぼくがいるわけで、


「お母さーん! お兄ちゃんがおかしくなっちゃったー! こわいよー!」

 と、廊下を駆けてドタバタと階段を降りていった。


 どう説明したものか――と思ったが、ライブハウスでするネタについては事前に承諾を得る、という約束をしているので、こういうことをしようと思っていると、ちゃんと伝えるしかない。


 があってから、ぼくたち家族は家族らしさをなくしてしまっていた。それは、ぼくたちの内のだれかが悪いというわけではなくて、外からの悪意にさらされ続けたからなのだけれど、ぼくたちはそのせいで、自分たちのをうまくとらえられなくなってしまった。


 だけどあの日――芽依めいと漫才をすることになったあの日から、少しずつ、ぼくたちから「よそよそしさ」は消えていった。だけどまだ、ひとつだけ、足りていないピースがあるように思う。


 父さんには、昔のように笑っていてほしいんだ。


     *     *     *


 絵を描けないぼくは、ネットでレビューの高かった参考書を買うことにしたのだけれど、その本はテレビで取りあげられてバズっているらしく、ネット通販では売り切れだった。


 そこで本屋に行ってみたのだけれど、どこに行っても(売り切れで)置いていなくて、再版を待つよりしかたがない――と思っていたのだが、ライブハウスの近くにある書店で見つけた。最後の一冊らしかった。


 町の本屋さん、というのだろうか。商店街のなかにある小さな本屋さん。学校の教室をふたつ繋げたくらいの小さな店内に、品揃えはよいとはいえないながらも、だいたいのジャンルの本は置いてある。


 日曜の午後だけれど、ぼくのほかに客といえば、部活帰りの高校生(たぶん)がファッション誌を立ち読みしているだけだ。でも不思議と、閑散かんさんとしているというような印象は受けない。アットホームな場所という感じだ。


 抹茶色まっちゃいろの和を思わせる下地に「こいのぼり書店」と白字で印字されているエプロンをかけた、ぼくより少し年上に見えるお姉さんが、予約や取り寄せの書籍を並べた棚の前に座って、帳簿かなにかをつけている。


「すみません。レジはこちらであっていますか」

「はい、ここですよ。ええと……こちら二十六万円です。一括払いしか受け付けません」

「ちょっと待ってくださいね……小銭がないので、三千円でお願いします」

「お客さん、二十五万七千円足りませんよ」

「こんなアットホームな商店街に、ぼったくりバーみたいなのがあるわけないですよね」


「あなた未成年でしょ? ぼったくりバーなんて行ってるの? 親御さんが心配するわよ?」

「違法なことはひとつもしていません」

「それは、違法なことをしている店がよくいうやつ」

「記憶にございません」

「それは、不祥事を起こしたひとがよくいうやつ」

「申し訳ございません」

「うむ、殊勝な心がけじゃ。許してやろうではないか。さあ、二十六万七千円を払うのじゃ」


 なんでだよ――ってあれ? ぼくの方が「ツッコまれ」てなかった?


「ははは、ごめん、ごめん。見かけない子だったけど、なんかマジメそうだったから、ちょっとからかってみたくなったの。お釣りの四百円、ちょっと待ってね」


 見ず知らずのひとをからかおうとするそのメンタルの強さには驚くばかりだが、あまり悪い気はしなかった。こういうやりとりは、慣れっこというか、ちょっと安心できるのだ。いや、もちろん、迷惑でもあるんだけど。


「はい、お待ちどう。銅銭だけに」

「銅銭ではないですね」

「百円玉4貫です。さび抜きです」

「ほんとに綺麗な百円玉ですね」

「わたしとどっちが綺麗?」

「こころの綺麗さでいうと、無いぶんだけ百円玉かもしれません」

「わたしの財布はこころもとない……」

「お釣りはいらないと言える大人に、ぼくもなりたいものです」


 お姉さんは、くすくすと笑いながら、「きみは、ボケよりツッコミの方がぴったりだよ」と言った。


 立ち読みをしていた高校生(たぶん)は、いつの間にかいなくなっていて、店内にいるのは、ぼくらふたりだけだった。店の外は賑やかで、昼下がりの商店街らしい活気を見せている。


「わたし、お笑いをやってる子を見分ける力があるんだよね。きみ、漫才をしたことがあるでしょ?」

「1回だけ……ですけど」

「そっか。じゃっ、また来てね。できれば、退屈しているときに」


 暇つぶしに使うつもりか!


 ――で、この「お笑いをやってる」ということを見抜いたからちょっかいをかけてきた女性こそが、ぼくと同じく「お笑いをやってる」大学生の夏鈴さんなのだった。

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