第2話 夢現

 打ち付ける雨の音。


 水鏡すいきょうに映る自分の顔。




 あの日から、ざっと数ヶ月経った。


 激動の、入学式の日。


 顔見知りなどいない教室の中で、地獄を聞かされた日。


 初めて、”死”を感じたあの日。


 思い出すたびに感じる、全身の筋肉がギュッと締め付けられる感覚。


 あぁ、私はもう”普通”として生きて行くことはできないのだ。




 ただただ独りで考え込む。


 考え込むほど、生き残った自分が憎い。




 ずっと、細い眼に睨まれていた。


 きっと天気は雨だろう、これからずっと。




―――――――――― 今、開ける時が来た。


 2017年7月31日、午後11時57分。


「あの日……」















 あの日 届いた、細長いダンボール箱。


 激しい頭痛に襲われながら、家に向かっていたあの日。

 

―― 一刻も早く 帰らばければ。


 そんな気がして、鉛のように重い足を持ち上げて 家まで歩いた。




――予感は的中した。


 自宅の玄関前に置いてあった荷物。


 異質な気配を発する 細長の段ボール箱。


 油性ペンで書かれた「霧咲 満眼きりさき みつめ様」という名前。


 私宛のようだ。


 持ち上げてみると とても軽く、一瞬 からじゃないかと思った。


 しかし振ってみると、何かが弾む音。


 棒状の物が入っているようで、全く心当たりがない。




 そんな不気味な荷物、普段だったら絶対――――。


 普段の私なら、家にすら入れなかっただろう。


 だが、少々 気が狂っていた私は 素直に自室まで持って行ってしまった。


 それも、両親に見つからないよう 忍び足で階段を上がってだ。


 何だか 他人に見られては行けない気がしたのだ。




 自室のドアを締め、箱を前にあぐらをかく。


 そして、段ボール箱を固定しているガムテープに手を伸ばした時。


「――?」



 妙な気配が私を襲った。


 正確には、嫌な気配はずっと感じていた。


 だが 私が段ボール箱を開けようとすると、強まる”圧”。


 その異常なプレッシャーに屈して、私は 手を伸ばしたまま固まってしまった。


 滝のように冷や汗が出て、思わず目を見開く。


「―――――――!」



 それと同時に我に返り、急いで立ち上る。


――何でこんなもの…!


 そして恐怖に任せ、段ボール箱を思いっきり蹴っ飛ばした。


 段ボール箱は宙を舞い、『タンッ』と音を立てて 壁に叩きつけられた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」



 そう、初めから触れてはいけなかった・・・・・・・・・・


「……わ、かってた…………」



――分かっていた。


 今日のチャイムといい、呪われた届け物といい。


 自分はきっと 大罪でも犯したのだ。


 それか、誰かに恨まれでもしたのか。


 それによって、こんな地獄が生まれたのか。
















 あの場にいた29人以外、全員が死んだ。


 それが分かったのは、他の教室から聞こえるチャイムが止み、ひとまず職員室にと廊下に出たときだった。


 というか、お前が行け みたいな空気になってたから、仕方なく。




 歩きながら、ふと教室を覗いた。


――あっ


 全身に緊張が走り、途端に鼓動が速くなった。


 呼吸も荒くなり、頭痛が一気に強まった。


 そのうち嗚咽し、痙攣までし始めた。




 生まれて初めて、人間の死体を見た。


 というか、頭部が吹っ飛んで 人間の形をしていないものも あった。



 まさか チャイムだけで あんなことに……?


 今更 そんなことを考えるほど、そのときは正気を失っていた。



 震える足を押さえながら、私は走り出した。


 恐怖が脳を支配して、私を学校外へと向かわせていたのだ。


 他の生存者のことなど 考えもしなかった。 


 ここにいたら殺される。


 殺される殺される殺される。


 それで頭がいっぱいだった。







――今感じているのは、死への恐怖ではない。


 逃げ帰ってきた事、これからの事。


 それだけではなく、自分を圧迫している””何か””。


 それが、恐怖。


「だから……」



 死んだっていい!


 呪い殺されたっていい!



「 「 「 早 く 楽 に さ せ て よ ! ! 」 」 」





 絶叫しながら、私は床を思いっきり叩いた。





「…………。………。……?」



 突然の喉がかっ切れたような感覚。


「……?」


「やかましいぞ」



 座り込んだ私を前に、赤黒いパーカーを着た男が立っていた。


「……? ……?」


「……分かったか? 騒ぐからそうなるんだ」



 男は無機質な低い声で 私を軽蔑するように言った。


 私は 喋ることができず、喉元を抑える。


 ドロドロとした物に触れると、自分がどうなったかを理解した。



 男は屈み込んで 私のことを見つめた。


 まるで紅い月に照らされるようだった。


「お前はな、”悪魔”に切られたのだ。というか、傘にな」



――傘……?



「そう、さっきお前が蹴った傘だ」



――段ボール箱……



 男の後ろに目を向ける。


 段ボール箱の位置は変わっていない。


 そして相変わらずガムテープで包装されたままだった。



――あそこから……、動いてない……



 すると男は 再び立ち上がり、段ボール箱に歩み寄り、手に取る。


「こいつは”アリス”という 最近生まれた悪魔でな。この傘に封印されている」



 そう言って男は 包装のガムテープをビリビリと剥がし、段ボール箱を開けた。




 すると突然、眩い光が私を包み込んだ。
















 目を開けると見慣れた天井。


「……」


 まるで何事もなかったように、部屋の中は静寂に包まれていた。


 喉も、全く元に戻っている。


「……?」



 ゆっくりと起き上がり、ふと部屋の壁際を見る。


――ない。


 あの段ボール箱が ないと いうことは…、


「夢か……」







 壁に掛けられた時計を見ると、7時を回るところだった。


「……学校」



 もし、あの惨事すらも夢だったら。


「……行こう」



 その希望だけが、私を動かした。

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