怒りの鉄拳
風間智和
東京警視庁第2術科センター、東京府八王子市
/日本国
平成40年11月21日
「やあ、次の相手はお前かいな、風間」
警察逮捕術全国大会・徒手の部決勝を控えた、東京警視庁第2術科センターの武道館廊下で、
「久々やな、国際合同訓練以来か? あれから
関西弁と、どこかカンに障る喋り方。コイツ、もしや――と考えていると、相手は面を外した。
「お、スマンスマン、面したまんまやったな。俺や俺、大阪市警の佐藤や」
思い出した。どこかキザな言い回しで軽口を叩いては、合同訓練のアメリカFBIの
「おう、久しぶり。逮捕術は得意なんだよ、相手が射撃の的よりは大きいからな」
「ハハハ! そりゃ傑作やな! それにしても、まさか決勝で会うとは思うてへんかったわ」
この野郎、銃だけじゃなく格闘もイケるってのか。
「ああ、まあ、お手柔らかに頼むわ」
「射撃は俺が上、逮捕術はお前が上、ってことにしたいんやけどな、そうもいかへんねん」
そういって佐藤はニヤリと笑った。
「廊下のど真ん中で突っ立っとったら邪魔んなるわ、ちょっとこっち来てみ」
促されて、廊下の隅っこに移動した。佐藤は職務中なら職質必至な様子で左右をキョロキョロと見て、
防具の胴の下に着ている道着の胸元を、少しだけ裏返してみせた。汗でボケてはいるが、何かがびっしりと黒のマジックで書き込まれている。
「これがあるから、俺は負けるわけにはいかへんのや」
「何だそりゃ、耳なし芳一かなんかか?」
「いちびっとんのとちゃうで。彼女が書いてくれた寄せ書きや。これがあるから、負けられんねん」
「それを見せて、俺にどうしろと?」
言外に、手加減してくれと言わんばかりの態度だが、あえて聞いてみる。
「お互い、悔いの残らんよう、ベストを尽くしましょうっちゅう話や。どういうことか、わかるやろ?」
佐藤はドヤ顔だった。
「最初から手加減するつもりなんてねぇよ。決勝だぞ。予選でやってきた連中に申し訳ないだろ」
「せやな。ほな、後で」
佐藤はそういって、道着をさも大事そうに正したあと、くるりと背中を見せて立ち去った。右手をひらひらと振りながら。
「赤! 大阪市警! 佐藤選手!」
試合場に入る佐藤。心なしか口元がニヤけて見える。“わかってるよな?”とでも言いたげに。
「白! 仙台市警! 風間選手!」
OK、そちらがそのつもりなら、こちらも応じるまで。やれるもんならやってみろ。
「正面に! 礼!」
大会会長に向きを変えて礼をする。
「互いに! 礼!」
今度は向きを変え、選手同士の礼をする。礼の後、開始線で基本の構えを取り、審判の宣告を待つ。お互いに開始線で睨み合う。実際には数秒もかかっていないが、その宣告までの間は永遠のようにも感じられる。呼吸が限界という直後、審判の宣告がかかった。
「始め!」
警察徒手逮捕術には打撃の他にも投げ技と関節技があり、さながら総合格闘技に似ている。技術の上では打撃も投げも関節技も同程度に習熟するべきとされているが、実際には打撃戦が得意な者と、投げ技や関節技が得意な者に分けられる。
風間は佐藤に対して牽制の左ジャブを放つ。これに食いついて打撃戦に持ち込むか、それとも、距離を詰めるまで待って柔道スタイルに移るか。お前の得意はどちらだ。
佐藤はジャブを払いのけ、再び基本の構えを取った。打撃戦には応じず、組み合うつもりのようだ。あくまでも、俺が踏み込んできて距離を詰めるのを待つつもりなのか。円を描くようにジリジリとした動きだが、思い切っては突っ込んでこない。ならば、スピードを活かした長距離での打撃戦を選ぶまで。
左ジャブ、左ジャブ、そこからのワンツー。軽いやつとはいえ決勝まで残った相手、柔道式の組み合っての格闘には絶対の自信があるはず。うかつに間合いに入ってはならない。しびれを切らして突っ込んできたところに、カウンターをぶち込んでやる。
風間のパンチの合間を縫って、佐藤が風間の顔面狙いの右ストレートを繰り出す。かかった! 風間は佐藤の右腕の外側に左手を添え、パンチの軌道をわずかにずらす。佐藤はその勢いのまま前方につんのめりバランスを崩す。その側頭部に風間は右ショートパンチを叩き込む。こいつはついでだ、とばかりに、さらに後頭部に左ハイキックを振りぬく。顔面から畳につんのめる佐藤。
「待て!」
ここで審判の合図がかかる。佐藤が起き上がるのを待って、審判は宣告した。
「白、風間選手、警告!」
総合格闘技に似ている、とはいえ、逮捕術はあくまで逮捕のための技術、被疑者に対して過大な障害を負わせる技は反則事項だ。側頭部・後頭部への打撃はこれに含まれる。
だが、風間はそれに従うつもりは更々無かった。俺の目的はこの試合に勝つことじゃない。この胸糞悪い野郎をぶちのめすことだ。
風間は気持ち程度の会釈をする。審判の再開の合図がかかった。
「始め!」
佐藤はうってかわって猛然と間合いを詰めてくる。風間は前蹴りで応じようとするが、佐藤がわずかに速かった。下半身を狙っての両手刈りのタックルが決まる。風間はかろうじて身体をひねり、「一本」「技有り」姿勢を回避する。
「赤、佐藤選手、有効!」
即試合終了は回避したものの、佐藤には完全にマウントポジションについている。ここからの打撃や寝技が決まってしまえば、更に佐藤のポイントになる。風間は脇を締め、肘を巧みに使い、佐藤を腰の上にいる体勢に持ち込む。理想のポジションをとりそこねた佐藤だが、怒りは収まらない。大きく振りかぶって、マウントからの闇雲なパンチを繰り出そうとする。
それは風間にとって、予想通りの動きだった。あくまで趣味でやっていた、イスラエル式「
風間は、佐藤のパンチ動作に合わせて腰を反らす。バランスを崩し、またもや前方につんのめる佐藤。風間は左手を伸ばして、佐藤の右二の腕を捕まえ、両足を使ってマウントの上下を入れ替えていく。その顔面に肘打ちを入れながら。
「白、風間選手、有効打撃!」
ポイントなどどうでもいい。ただひたすら一方的に打撃を繰り出すのみ。肘打ちとハンマーパンチの繰り返しを、佐藤の腕のガードの隙を突いて、側頭部、喉元、首筋、鎖骨に叩き込んでいく。一見地味だが、相手の行動能力を剥ぐには最も効率が良い場所を狙っている。ただし、反則スレスレではあるが。
「ウオオオーッ!」
審判はその一方的な展開を見て「待て」をかけようとしたが、佐藤の咆哮に気を奪われた。
佐藤はパンチの瞬間をついて腰をそらし、変形の巴投げで風間を前方に放り投げる。幸い、投げのポイントはつかない。
上に乗っていた重しがとれた佐藤は、横たわる風間に向けて踏みつけを繰り出す。風間はこれをかわしながら、巧みに佐藤の向こうずねを蹴り、ダメージを蓄積させていく。どちらも反則スレスレの行為の応酬である。
佐藤の踏みつけを間一髪でかわしながら、風間は佐藤の軸足向こうずね狙いで前蹴りのかかとを繰り出す。右足、左足、右足、右足、左足。金的を狙いたいところだが、即反則を取られる。金的1発では気が収まらない。もっと痛めつける方法を取ってやる。左足、左足、右足。根気よく風間は佐藤の集中力が途切れる瞬間を待つ。20世紀のとあるプロレスラー対ボクサーの試合で、プロレスラーが取った戦略だ。
「ウラーッ!」
何度目の踏みつけだったかお互いにわからなくなっているが、繰り返す応酬に佐藤の動きが鈍った。それを気合でカバーしようと咆哮した佐藤だったが、それに惑わされる風間ではなかった。
「オラァ!」
風間は仰向け姿勢からうつ伏せ姿勢に身体をひねり、さらに身体をひねり込んでブレイクダンスめいた回転運動を始める。そして、倒立姿勢から、さらに回転を加えて回転蹴りを繰り出す! これも趣味で身につけた、南米の格闘技「カポエイラ」の蹴り技の一つ、「
「ぐうっ!」
風間の蹴りが、防具のない佐藤の鎖骨と喉元をとらえる。さらに風間は倒立からしゃがんだ体勢にうつり、そこからコンパクトなバク転を打ちながら佐藤のあごを蹴り上げる! これも「カポエイラ」の蹴りの一つ、「
「オラァ!」
「があっ!」
あごを蹴られたことで脳が揺さぶられ、佐藤の視界が激しく乱れる。その隙に乗じて風間は立ち上がり、ふらつく佐藤の後頭部を左手で引き寄せる。そこに全体重を載せた右肘打ちと、顔面狙いの膝蹴りを同時に叩きこむ! 打撃のサンドイッチだ!
「んぐっ……」
もはや失神寸前の佐藤は、前のめり気味で立ちすくむ。その後頭部に、風間はとどめの左後ろ回し蹴りを叩き込んだ。
「……あっ、そこまで!」
あまりの応酬に再びあっけにとられていた審判は、佐藤が畳に倒れこむ音で我に返った。
「白、風間選手、反則負け! よって赤、佐藤選手の勝利!」
失神し担架で運ばれていく佐藤を横目に、風間はごくごく形式的に試合後の礼を行い、試合場を後にした。これから待っているのは試合内容に対する先輩やお偉方からの叱責か、それとも一応の2位入賞に対する賞賛か。おそらく、いや確実に前者だ。
どちらにせよ、ヤツをぶちのめすという目的は達せたことだけは満足の行くものだった。それと、おそらく一生使わないと思っていた格闘術の技も使えたことだ、帰って飲む1杯はさぞ美味かろう。
「さあて、東京土産、何にすっかな……?」
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