Komenco de malamo

Komenco de malamo / 憎しみの始まりコメンコ・デ・マラーモ


ノゲイラ・ベラスケス長官

内務省ビル、バーゴ・デ・コメンコ地区/

オリエンタ・アルベナ首都特別区/バルベルデ共和国

平成39年7月31日


「ミゲル! アグスティン! お前たちは一体何をしていたキーオン ヴィ インファーノイ ミ エースティス グゥイス ヌン!?」




 バルベルデ共和国の官庁街が位置する、オリエンタ・アルベナ首都特別区の西部。そのバーゴ・デ・コメンコ地区の一角、バルベルデ内務省ビルの中の秘密警察長官オフィスで、ノゲイラ・ベラスケス長官は怒りに震えていた。


「私は黄色いサル共をこれ以上調子に乗らせるなと言ったはずだ! 何だこの有り様は!」


 官庁街はデモ隊に取り囲まれ、人垣は黒いうごめきと化し、シュプレヒコールが4階の長官オフィスにまで届いていた。




我々に権利にニアーイン ライトーイン!」

我々は生きる糧をパーノ ポー ビービ ニ!」

移民に仕事を与えるミ ドーノス アル ラボーロ ポー エンミグラード!」


 シュプレヒコールはほとんどが舌っ足らずなバルベルデ語で、デモ隊の参加者がネイティブなバルベルデ人でないことは簡単に察することが出来た。その訛りも、参加者の出自をより一層確かなものにしていた。


「……秘密警察を使って不穏分子の排除は行っています。法で認められた範囲内でデモを行われている以上、それまで規制することは国際世論の反発を……」


 ベラスケス長官の腹心の手下で、秘密警察のナンバー2であるミゲル・バリオスがやっとのことで反論する。


「世論が何だというのだ! デモ隊の包囲で官庁街は機能不全状態だ! 世論の前に、国の根幹が脅かされてしまっているのだぞ! 内務省軍は!? 内務省軍は何をやっている!?」


「秘密警察からの『落日旅団ブリガード・デ・オプツィーオ・スーノ』と名乗るテロリスト一派のアジトの情報を受けて、主力の『人狼ヴォーウルフ小隊』をそちらに差し向けています。それ以外の部隊でしたら、3時間以内に首都への展開が可能ですが」


 内務省軍の有力者であるアグスティン・カレーラ大佐が、眉ひとつ動かさず答える。


「ならば、今すぐに展開させろ! 3時間以内と言わず、今すぐにだ! 正規軍もな!」


「正規軍出動には、国防大臣を含む閣僚の過半数の要請か議会の承認が必要です」


「内務省軍の力が何のための力か分からないとは言わせぬぞ、アグスティン。内務省軍によるクーデターも辞さない構えを見せつけてやれ。閣僚の半分といわず、全員がサインしてみせるはずだ」


「承知しました」


「わかったならさっさと行け! 1秒でも早く奴らを黙らせろ!」


 怒号を受けて、無言で長官オフィスを立ち去る2人の背中を見ながら、ベラスケスはつぶやいた。




「いまいましい日本人ヤパーナどもめ……」」






 2015年の『大破壊』以降、外国語が比較的堪能であった一部の日本人は、暫定政府による復興政策に見切りをつけ、一斉に国外に脱出した。東南アジア、オーストラリア、ヨーロッパ、南北アメリカ。特に、第2次世界大戦後に大規模な移民が行われ、ある程度の日本人コミュニティが出来ていた南アメリカ諸国では、そのコミュニティを頼って渡航する者が少なからず存在した。




 ここ、バルベルデ共和国も例外ではなかった。日系人街には、日本語と片言の英語を話し、バルベルデ語を解さない日本からの渡航者が溢れた。ネイティブなバルベルデ語を話し、いまや日本語を忘れ去ってしまった日系バルベルデ人との間には、メンタリティや言葉の違いから起こる、小さな衝突は日常茶飯事。ついには、双方の若年層の一部がギャングと化し、毎土曜夜には銃器すら持ちだす抗争が起こり、それはバルベルデ治安当局の頭痛の種となっていた。




 問題はそれだけではなかった。ただでさえ不況の続くバルベルデにおいて、もとより高い失業率は、日本人移民の殺到によってさらに悪化。少ない職を取り合い、移民と生粋のバルベルデ人の両者が公共事業の拡大を要求するデモを行い、それに加えて、日本人移民はバルベルデ側の日本人移民に対する態度を非難し、一方でバルベルデ人は日本人移民の排斥を訴えるという構図が出来上がっていた。




 バルベルデ人は、日本人移民が押し寄せた当初こそ、世界史上まれに見る大災害に遭遇した日本人に対するある種の同情の念によって、穏健な態度をとっていたが、バルベルデで出生した者に対して課される義務を果たさずに権利のみを要求する日本人移民達の姿を見て、次第に態度を硬化させていった。その態度は、移民1世だけでなく、日本にいた経験のないバルベルデ生まれの日系移民に対しても向けられるようになった。『大破壊』から12年を経た現在では、ベラスケスのように日本人・日系人に差別感情を持つ者はバルベルデ政府内部にも少なくない。




 ベラスケスは、ミゲル・バリオスの残した書類に目を通す。「SUPRO SEKRETA」(極秘)の赤字の下には、秘密警察の嗅ぎつけた日系移民の一部の急進派による不穏な動きのレポートが書かれていた。




 急進派の自称は『落日旅団』。「新ソビエト連邦型の新共産主義的思想傾向あり」。「活動内容:サボタージュ、公共用物破壊、投石、放火」、「ここ数ヶ月で急激に組織化され、また武装化を推めている模様。武器の種類から、軍の一部が関与している可能性あり」。「継続的観察が必要と判断」。




 旅団などと大層な名前を付けてはいるが、所詮は共産主義の幻想に取り憑かれた烏合の衆が武器を取っただけではないか。軍の一部が関与しているといっても、我が国の軍の実力など知れたもの。むしろ、国防相の責任を問うて辞任に追い込み、秘密警察長官の自分の地位を固めるチャンスだ。ベラスケスはそう考えた。アグスティンもわざわざ精鋭の『人狼小隊』を差し向けるなどする必要はないのだ、臆病風に吹かれたか。




 シュプレヒコールが不意に止んだ。そして、治安部隊の発したものと思われる警告が聞こえる。




「官庁街の人民に告ぐ。直ちに解散せよ。繰り返す、直ちに解散せよ。諸君らの行動は許可の範囲を越えている。解散しない場合、我々は武力行使も辞さない」




 警告はバルベルデ語、英語、そして、ベラスケスの知らないどこかの国の言語――おそらく日本語だろう、耳にするだけでも吐き気がする――で3回ずつ繰り返された。しばしの静寂。その後に訪れたのは、再びのシュプレヒコールの波だった。




「我々に権利に!」「我々は生きる糧を!」「移民に仕事を与える!」「我々に権利に!」「我々は生きる糧を!」「移民に仕事を与える!」「我々に権利に!」「我々は生きる糧を!」「移民に仕事を与える!」「我々に権利に!」「我々は生きる糧を!」「移民に仕事を与える!」




 シュプレヒコールを切り裂くように、オフィスの電話が鳴る。


「私だ」


「バリオスです。ベラスケス長官、これ以上はもう抑えきれません! デモ隊に紛れ込ませた秘密警察スパイを引き上げさせます!」


「ならぬ。治安部隊に発砲を許可させる口実には、生け贄が必要なのだ。スパイに騒ぎを起こさせろ」


「しかし!」


「これは命令だ、ミゲル! 撤退はその後だ」


 ミゲル・バリオスが何か反論しかけたが、ベラスケスはそれを聞くことなく電話を切った。




 叫び声の合間に、カツン、カツンという音が混じり始めた。スパイの手によるものか、自然発生したものか、投石が始まったようだ。


「人民に警告する! 直ちに解散せよ! 繰り返す! 直ちに解散せよ! 我々は武力行使も辞さない!」


 治安部隊の警告も一層激しくなる。それに触発されたのか、もはや規則的なシュプレヒコールは止み、不規則な怒号がとってかわった。投石の音だけでなく、ガラスの割れる音も辺りに響き始める。


「……告する! 解……せよ! ……散せよ!」


 デモ隊の怒号は、今や治安部隊の警告をかき消すまでに大きくなっていた。この状況を収めるには武力行使は不可避だろう。じきに催涙弾が撃ち込まれ、一帯は“掃除”されるはずだ。




 再びオフィスの電話が鳴った。


「今度は誰だ?」


「カレーラです。内務省軍の展開準備が整いました」


 電話の声の合間に、ビルの外から特徴的なドンという音が聞こえた。40ミリ特殊弾発射銃ランザグレナーダの発射音だ。催涙弾の使用許可が下りたのだ。


「遅いぞ、アグスティン。“掃除”はもう始まっている。早く内務省軍を展開させろ」


「それは好都合ですね。官庁街の“掃除”が終わったところで、内務省軍はガレキを片づけるとしましょう」


「ガレキだと? 内務省軍を暴徒のこさえたガレキの処理などというチンケな仕事に使うものか、暴徒どもそのものを制圧するのだ」


「いいえ、ガレキはこれからできるもののことですよ。――内務省ビルのね」


 ベラスケスは言葉に詰まった。ビルのガレキだと? 一体この男は何を言っているのだ?


「官庁街を、これから4台の車が通りぬけ、内務省ビルに突っ込みます。爆弾を満載してね。もちろん、犯人は忌むべき我らが敵、日本人どもの『落日旅団』です」


「『落日旅団』だと? それは内務省軍の『人狼小隊』が制圧を――」


「はて? 内務省軍の精鋭部隊が黄色いサルどもごときの相手をするはずがないでしょう? それに、『人狼小隊』の出動記録など、表に出るとでも?」


 ぞっとするような感覚が、ベラスケスの全身を包んだ。催涙ガスがここまで流れてきたか? いや、違う。


「アグスティン! 貴様! 何を考えている!」


「憎しみには“始まり”が必要です。その“始まり”のためには、少なからず犠牲が必要なのです。“星条旗”の例を挙げずともお分かりでしょう?」


「そのために、何百という内務省のバルベルデ人を犠牲にするというのか!」


「ご安心ください。軍部はきっと義憤に駆られ、早々に軍の日系人だけを集めた特務部隊を組織し、『落日旅団』掃討作戦を行うでしょう。黄色いサルの始末は黄色いサルどもにさせればよいのです。『落日旅団』と特務部隊、どちらが勝とうとも、我々バルベルデ人にとっては忌々しいサルどもは駆逐されるのです」


「こんな作戦が許されるとでも思っているのか! 大統領に――」


「おっと、内務省周辺の電話回線と携帯電話基地局の電波は、まもなく何者かの手によって切られるでしょう、おそらく、ですが」


「貴様――」


「では、次は地獄でお会いしましょう」


 電話はプツリと切れた。発信音すら残さず。




 ベラスケスは受話器を持ったまま茫然自失としていた。逃げねば。どこへ? どうやって? 狡猾なアグスティンのことだ、仕掛けられているのは爆弾だけであるはずがない。今や所在不明の『人狼小隊』は、このビルの周囲を取り巻いていたとしても不思議はない。 どうする? どうすればよい?




 考えていたのは数秒だったのか、それとも数十分だったのか。ビルの東側から爆発音が聞こえ、同時に建物を激しく揺さぶり、ベラスケスは我に返った。爆発は北側、そして西側でも起こり、その度に建物を激しく揺らした。


「長官! 自動車爆弾です! 早く避難を!」


 ミゲル・バリオスが長官オフィスに飛び込んできて、ベラスケスの手を引いて廊下に出た。その直後、最期の爆発が南側で起こった。その南に面した非常階段から廊下へ炎の壁が迫ってきて、まもなく2人を飲み込んだ。








「――以上、発表の通り、内務省ビル爆破事件は日系人テロリスト『落日旅団』による犯行声明が出ています」


 アグスティン・カレーラ内務省軍は報道陣に答えた。小さなどよめきが起こる。


「現在、内務省軍ならびにバルベルデ陸軍によって生存者の救出作業が行われております。幸いにも、内務大臣閣下は地方遊説中で難を逃れましたが、一方で内務省軍総司令官ペトロ・カブレーラ大将閣下、および副司令官ノゲイラ・ベラスケス中将閣下の安否が不明なため、私、アグスティン・カレーラ少将が救出作業の指揮をとっております。内務省軍の生存者を確認の後、最も高位の者に総司令官ポストの移譲を行う予定です」


「バルベルデ政府として、事態に対してどういった方針をとられる予定ですか?」


 記者のひとりが尋ねる。


「それは大統領、国防大臣、内務大臣との綿密な協議のうえで決定する事項ですので、今すぐに私の口から申し上げることはできません。しかしながら、こうした国家の根幹を脅かすような行為に対し、政府は断じて屈しないという姿勢は明らかにしておきたいと思います。同時に、義憤に駆られるバルベルデ国民に対しては、その感情は理解しつつも、バルベルデ共和国国民として、軽率な行動は慎み、誇りある態度をとっていただきたいとお伝えします。――では、これより協議がありますので、失礼」

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