選択
重野孝治
国分町 NIGHTCLUB BABEL
仙台市青葉区/南東北州/日本国
平成38年6月23日
「あー、もう一度言っておくぞ」
東北最大の歓楽街・
「お前らみたいな南東北管区警察局のエリート坊ちゃま方を、こういうドンパチが前提のガサ入れにお連れするのには、俺は気が引けるんだがな。上からのお達しでとあれば仕方ねぇが、っと」
高木警部補はそういって、スーツのポケットを探る。
「煙草でしたら、どうぞ」
同期の藤原が、素早く煙草とライターを差し出す。
「おう、気が利くねぇ。それもエリートの処世術の一つか?」
高木警部補は二コリともせずに、煙草を受け取りくわえる。その雰囲気に気押されながら、藤原も慣れない手つきで煙草を吸い始める。
「そっちの坊ちゃんは吸わないのか? えーと、名前は……」
適当な人なのか、それとも自分のヤマに必死で、新人のおもりをする気はないのか。一応、名前は覚えてもらわねば。
「
そう言うと、高木警部補は大げさに体をすくめてみせた。
「高木警部補だなんてそんな固い呼び方で呼ぶな呼ぶな! お前らだって警部補だし、エリート様は研修期間が終わりゃひと足先に警部様だろうが」
「しかし」
「あーあーわかった、煙草と言い呼び方と言いクソ真面目な奴だな。肩の力抜いとけ、重野クンよ」
「……わかりました」
納得はいかないが、今は話を聞く方が先だ。
「あー、話を戻すぞ。拳銃は用意してるな? ここから先は切った張った撃ったの修羅場だ。俺もお前らのおもりばっかりはしてられん。撃たれそうなら各自の判断で撃て。まあ、撃ったら撃ったで出世に響くってのは事実らしいがな。偉くなりたきゃ、自分の命と出世をうまく天秤にかけろ」
慌ててホルスターを探る藤原。私もスーツの上着を開いてホルスターから拳銃を出す。
「ヴァルターのP99か。同じ9パラ弾を使う銃でも、いい銃を支給してもらえるもんなんだな、エリートは」
高木刑事もゆっくりと懐から拳銃を取り出す。
「俺のはグロックのG17だ。古くさいだろ? デッドストックになってたのを、仙台市警が十把ひとからげで買い取ったやつでな。撃鉄がついてなくて不安になる上に、個体の当たり外れが激しい。俺の銃は今のところは
銃のスライド後部、赤のマークが表示されていたのを確かめる。初弾は確かに装填されている。安全装置が確かに安全位置にあることを確認する。
「初弾装填済みでコックアンドロックしてます。マガジンは2本で計20発」
藤原もおたおたと拳銃を確かめている。
「いいぞ、弾数は少ねえが9パラ弾はニューミネベアのションベン弾とは威力が違う。アルコールやらドラッグやらキメたジャンキーにも2発撃ちこみゃ動きも止まる」
「しかし、必要以上の発砲は刑法第195条……」
「そうだ、おりこうさんの藤原クン。お察しの通り出世に響く。何発どこに撃つかの見極めもエリートの資質ってことだ」
「はあ……」
藤原は納得いかない様子だ。
「撃てば命は助かるが、出世コースからは死ぬ。撃たずにいればすぐに2階級上に行けるが、命は落とす。難しいよなぁ、エリートは」
高木警部補はそう言って、火をつけていなかった咥え煙草を吐き捨てた。
一昨年、南東北州公務員試験に合格した私は、南東北管区警察局に志望した。そこから何回かのトライアルを経て、昨年の4月に正式に警察局警部補として採用された。今は、採用直後の4ヶ月間の研修の後の、12ヶ月間の現場での実務経験を積む課程にある。
今回のような大規模なガサ入れにも、新米警部補を同行させるのには、ここ10年の日本国の犯罪傾向の変化にある。平成31年の2つの大災害ののち、労働力の減少分を補うため、政府は積極的な移民労働者の受け入れにシフトした。そして、多くの移民受け入れ国が抱えるものと同じジレンマを抱えることになった。
「文化の衝突」である。
異国より出で、日本に来た移民の民族的バックボーンは多彩であった。一部の移民は自国の習慣を日本においても頑なに手放さなかったため、日本人との間に激しい衝突をもたらし、そこから治安の悪化が進むのは必至であった。
そういった外国人犯罪の増加に対処するため、後に指揮官役となるエリート――自分で言うのも変な気分だが――に修羅場をくぐらせ、警察組織の末端では何が求められるかを学ばせる、というのが上の狙いだった。
そうは言っても、実務課程を「キャリアへの踏み台」「現場の偉いさん方とのコネ作り」程度に考える者は少なくない。先ほどの藤原の煙草がいい例だ。――かく言う私も、顔見知りが出来ればいい、くらいの気持ちはあるが。
今回のガサ入れの役割分担だが、ナイトクラブの周辺の封鎖は仙台市警察の機動隊が担当し、中に突入するのは
「よう
突入が間近というにも関わらず、高木警部補は仙台市警の機動隊員のひとりに気楽に声をかけていた。
「あ、高木のおやっさん!」
「紹介した店、行ってみたか?」
「泉ヶ岳の『モンタナ』ですよね? かみさんも子供も大喜びで!」
「そいつぁ良かった。さて、今日も気合い入れていくぞ」
「うっす!」
高木警部補は、庄子隊員の肩を笑顔で叩いて、こちらには真顔で向き直った。
「さあてヒヨッコ諸君、お仕事の時間だ」
「これからがパーティータイムだ。発砲用意。中にいるマフィア連中はジャパニーズ、チャイニーズ、コリアン、ロシアン、フィリピン人、インドネシア人、ベトナム人、南米はブラジル人にバルベルデ人とよりどりみどり。珍しいところでは地中海からゾイリア人だ。おっと、差別はするなよ。誰であろうと平等に撃て」
「し、しかし、発砲してくるとは限らないのでは?」
拳銃を持つ藤原の手が震えている。
「まあな。今、先方に捜査令状を見せてるところだ。どうなるかはすぐに分か――」
ナイトクラブ入口で、捜査員が従業員らしき男に令状を見せている。が、従業員らしき男はスッと店内に退き、それに代わって、黒光りする鉄の塊を持った男が入口に出てきて、捜査員が飛び退き――。
「盾! 盾だ! 撃ってくるぞ!」
捜査員が叫ぶのと、パパパンという乾いた音が夜の歓楽街に響くのはほぼ同時だった。捜査員が機動隊員の強化樹脂製防弾盾の後ろに飛びこむ。その直後、再びの銃声。防弾盾にオレンジ色の火花が咲く。
「マル被の発砲確認! 発砲を許可する! 発砲許可!」
「突入! 突入!」
捜査員と機動隊員が一斉にナイトクラブに雪崩れ込む。最初に発砲した男は機動隊の盾で殴り倒された。その光景を呆然と眺めていた私と藤原の頭を、高木警部補は叩き、正気に戻した。
「行くぞ! ついて来い! 遅れるな!」
高木警部補の後に続き、屈みながら突入する。ナイトクラブの中は、それこそ蜂の巣をつついたような騒ぎであった。
「動くな! 動くな! 仙台市警だ! 銃を捨てろ!」
「ジンチャ! ジンチャ! ビ・ドン!」
「コンチャンマ! チョン・ポリョ!」
「ポリース! ポリース! ドンムーブ! ドロップ・ユア・ウェポン!」
「ポリーコ! ポリーコ! ネ・モーヴィ! エルジェートゥ・ラ・パフィーロ!」
数カ国語による警告、怒号、そして銃声。時折、銃撃で割れたグラスや酒瓶の破片が飛び散り、ナイトクラブの原色の照明に照らされてサイケデリックに光る。捜査員も発砲するが、暗がりではマル被と一般人の区別がつきにくい。今のところ互いに死人は出ていないようだが、それもいつまで続くかわからない。
「頭下げろ! 死にてぇのか!」
高木警部補は藤原を物陰に引きずり込み、腕だけをフロアに向けて2発発砲した。短い悲鳴が聞こえ、バタリと人が倒れた音がした。
「一箇所に固まらず、動き回れ! さもないといい的になるぞ!」
再びの発砲。また人が倒れる音。
「フロアは機動隊の連中が踏ん張ってくれてる! 俺らはVIPルームの方に回って親玉とっ捕まえにいくぞ!」
震えながら藤原は無言で頷いた。
「了解!」
私は拳銃の安全装置を外して答えた。藤原も震える手で安全装置を外す。
「左から回りこむぞ!」
高木警部補は物陰から身を出すと、突っ込んできたチンピラの右腕を撃ちぬいた。ドスを落とすチンピラ。
「うああああああ!」
叫びながら藤原が走りだす。走りながら銃を振り回しているが、発砲する様子も、的を捉えている様子もない。
「クソッ、バカが! 重野、あのバカを援護しろ!」
私は頷いて、藤原の後を追う。
「警察だ! 警察だ! 銃を捨てろ! 銃を捨てろ! 銃を捨てろって言ってんだろ!」
VIPルーム前で、藤原は銃を構えたマフィア3人と対峙していた。顔つきからするとおそらく南米系。言葉は通じてはいないだろうが、怒号を発している時点で何らかの警告であることは伝わっているだろう。しかし藤原の指は震えており、今にも撃たんばかりに引き金にかかっていた。
「撃つぞ! 俺は撃つぞ! 脅しじゃない! 撃つって言ってんだろ! 銃を捨てろ!」
藤原は完全なパニック状態にあった。銃口はせわしなくマフィア3人の間を行き来している。
「落ち着け藤原! 日本語の警告は伝わってない! 冷静になれ! 説得するんだ! エルジェートゥ・ラ・パフィーロ!」
「なめやがって! 俺だって撃てるんだ! 撃てるんだよ! 早く捨てろ! 銃を捨てろよおおお!!」
「やめろ藤原! 落ち着け! ネ・モーヴィ! エルジェートゥ・ラ・パフィーロ!」
「いいぜ、やってやる、やってやるよ! ふざけんな! ふざけんなよおおお!!」
「アアアアアアアア!!!」
引き金は引かれた。藤原の弾は、真ん中のマフィアの左肩を撃ちぬいた。
――左端のマフィアの弾は、藤原の左わき腹を。真ん中のマフィアの弾は、藤原の胸を。右端のマフィアの弾は、藤原の頭を。
「アアアアアアアア!! モートゥ! モートゥ、ヤパーナ!」
血の花を咲かせて倒れる藤原に、こちらも恐慌状態のマフィア3人はなおも追い打ちを加える。
その光景を見て、私の意識は不思議なことに澄み切っていた。説得は大事だ。だが、説得で通用しないなら? 力を使うしかない。
「よせ、重野!」
高木警部補の声よりも一足早く、私は引き金を引いた。叫ぶマフィアらの口の中に2発づつ。9ミリパラベラム弾はその運動エネルギーを存分に発揮し、彼らの脳幹と後頭部を吹っ飛ばし、彼らを永遠に黙らせた。
「彼のことは、残念だったな」
ガサ入れ後、高木警部補は私の肩を叩いて言った。
「VIPルーム内にいたホシは挙げた。この成果にはお前たち2人の働きが大きかったということは書いておく。だが……」
高木警部補は言葉に詰まった。目の前での同僚1人の殉職。そして、6発の発砲、3人の射殺。わかっている。エリートコースが絶たれるには、大きすぎる結果だ。あの場でもっと早く自分が撃つ決断をしていれば、藤原は――。
「説得、警告からの射撃。お前さんの判断は間違ってはいなかった。ただ、ほんの少しの、ほんの少しの遅れだったんだ」
「……はい」
「お前さんのような出来た奴が、警察から去ろうとするのは、非常に惜しい話だ」
「……」
心のなかを見透かされるような感覚。そうだ。私はこのまま警察を辞めようとしていた。今日の全てから逃げ出すために。
「お前の願書の志望動機を読んだんだ。警察ってのは、風邪薬と同じようなもんだ。症状が出てから、慌てて対症療法的に事に当たろうとする。そんな連中の中で、お前だけが『犯罪の事前抑止』に言及していた」
「……なぜそれを」
「おうおう、くたびれた中年刑事だと思って甘く見られてたか、俺? 見習いといえども自分の背後を預ける奴の素性くらいは調べておくさ。俺は人事にも顔効くしな」
「しかし、だとしても、今日の私のミスは」
言いかけた私の言葉を、高木警部補は手のひらで遮った。
「そこでだ。警察局のエリートとしてではなく、仙台市警に来て警官やるつもりはないか? 今、警備部の連中で特殊部隊を作ろうとしているという話があってな。さすがにエリート待遇ではないが、重要なポストだ」
「……それは、どういう?」
「今までの警察が風邪薬なら、その特殊部隊はワクチンと特効薬の性質を併せ持つ部隊だ。その実力を世間に示すことで犯罪発生を抑止し、一旦凶悪犯罪が起こった後は一気に解決を図るのが狙いだ。市警内部では『銀の弾丸』なんて皮肉交じりで言ってるがな。さしずめ、『邪悪を祓う銀の弾丸』ってところか」
「そこに、私が?」
「言っただろ、お前さんにその素質があるって。じゃあ、上に話は通しておくぞ。……ったく、今日は書類書きでテッペン越えるな、1杯ひっかけて帰るつもりだったのによ」
高木警部補はスタスタと歩き去っていった。その広い背中に、私は心からの感謝を伝えた。
「高木警部補、本当にありがとうございます!」
すると、高木警部補はひょいと振り返り、言った。
「警部補はやめろ! ケツがムズムズすんだろ!」
「ありがとうございます、高木の“おやっさん”!」
“おやっさん”は、ニヤリと笑って、親指を立ててみせた。
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