シルバーバレット/レイジング・ファントム

大町 慧

とある授業風景

望月徹平

あおば八幡第2中学校 3年1組

仙台市青葉区/南東北州/日本国

平成37年12月15日


 例年に比べて初雪が遅かった今年。とはいえ、窓際のこの席はどうにもガラス越しに冷気が伝わる。校則で許可されたセーターを学生服の下に着込んでいても、北風が窓ガラスを揺らすたびに背中がキュッと引き締められる感覚を、望月徹平は感じていた。もっとも、そのおかげで授業中に寝るという醜態を晒さなくて済んでいるのだが。


「今日は前回のつづき、教科書172ページから。『三陸沖隕石落下』からですね」

「テッペー、今日は寝ないだよ?」


 右の席のフェルナンデスが、ニヤけながらいつもの“不自由な日本語で”小突いてくる。


「“寝ないだよ”じゃなくて“寝るなよ”な。それに、今日はうとうとできる話じゃないよ、フェルナンデス」


 給食直後の5時間め、しかも一番苦手な社会の授業とあれば、まぶたも自然と重力に引かれて下りてくるものだが、今日は別だった。平成23年3月11日、自分の生まれた日のできごと。


「三陸沖に落下した小惑星の破片は、東北地方の太平洋側に甚大な被害をもたらしました。落下の衝撃による地震で発生した津波の高さは10メートルを超え、家屋やインフラに壊滅的な被害を与え、2万人近くの人命を奪いました」


 かつて母の言っていたことには、自分が生まれたのも、停電中の病院の中、懐中電灯の明かりの下だったという。


 


 そして、生まれてこの方、写真でしか見たことのない父は、その2万人のうちのひとりだった。




 警官だった父は、住民の最後のひとりまで避難誘導を行った末に、赤ちゃんを必死に津波から救い出そうとしての殉職だったそうだ。これは父の最期を見届けたという、タカギさんという刑事さんから聞いた話だ。当時は宮城県警のお巡りさんで、沿岸部の交番に父とともに避難誘導を行っていて……「俺が死ぬはずだったのに……俺は生き残ってしまった」、そうタカギさんは言っていた。どっしりと落ち着いた雰囲気を持った、「大人の男」を体現するようなあの人が、身体を震わせて大泣きしながら。


「発生直後から、警察や自衛隊、合衆国軍の必死の救援活動が行われました。しかし、そんな中、が起きます。先日の、の放射性物質の飛散を防ぐためのシェルター建設が第2工程に移ったというニュース、皆さんも見ましたよね。この事故直後、全国的に放射性物質の影響を心配する世論が非常に盛り上がりました。資料集にも『食品から放射性物質検出』の新聞記事が載っていますね。ページ見開き右上です」


 不安を煽る記事の大見出しは、嫌でも視界の端に入ってきていた。“誰かが不安を煽り、その種火が集まって大きな炎となり、日本全体に広がっていく”、そんな流れは、その時にすでに始まっていた。そう、“もう始まっていた”のだ。


「これを受け、政府はの全基停止を行います。直後に政権が民自党に変わり、発電所を再稼働するか否かで世論が二転三転しているうちに――はい、教科書も資料集も次のページです」




 ――幼かった頃、テレビの中継を見たことを覚えている。




「平成31年4月1日に東京湾、そして5月27日に三重県南東沖と、2回の小惑星落下が連続して発生します」


 雨のように降る割れた窓ガラス。猛烈な黒煙を巻き上げるコンビナート。ヘルメットをかぶりながら、さながら悲鳴のような声で速報を伝えるアナウンサー。大好きだったヒーローもののテレビ番組を見ていたとき、『正義のロボットが街を破壊する怪獣と戦う』シーンの途中で、画面が唐突に現実の街が燃える光景に切り替わった。


「奇跡的なことに、原発は全基停止中であったため、深刻な事故は起こりませんでしたが、関東地方から四国地方にかけての広い範囲で、主要都市がすさまじい被害を受けました。加えて、旧首都・東京に集中していた我が国の政治の機能は完全にマヒし、救援活動にも大きな混乱が起きました。死者・行方不明者の正確な数は、発生後5年経った現在でもはっきりしていません」


 街を燃やした炎は、人々の心も焼きつくした。


「この混乱を見て、外国語が比較的上手だった若い人たちは、政府による救援に期待せず、復興政策の実現を待たずして世界各地に移住しました。これによって、世界的にみて異常な速度で進んでいた少子高齢化はさらに進行します」


 資料集の左ページ、満員の国際空港のカウンターの写真が写っている。誰もが余裕を無くしていて、そして誰の目も血走って、“獣の目”に見えるのは、単なる気のせいだろうか。


「政治のマヒに対して、政府は地方ごとの政治機能を強化することで、復興を進めようとします。地方分権化の推進ですね。これが日本の道州制の始まりです。そして、少子高齢化の進行に対して、世界各国からの若い移民を広く受け入れることで、労働人口の減少を補おうと考えました」




 ……教師の次の言葉は、この国に住むものなら簡単に予想がつくだろう。


「しかしながら、様々な文化圏から来た人々が、日本の風習に完全に慣れるのには、非常な困難がありました。政府も移民受け入れに際して、移民向けの日本語研修機関を設けたり、日本社会に慣れてもらうための公報を行ったりしましたが、どうしても生まれながらの習慣は捨てきれないものです。文化の衝突は、日本に限らず、移民を抱える国家には共通の課題ですが、国外脱出せず日本に残った人は、日本旧来の文化に強いこだわりを持つ人が多く……その結果、いくつかの不幸な結果がもたらされました。ここ仙台で起きた暴動も、そうした不幸な結果のひとつです」


 左の席のフェルナンデスをのぞき見る。顔はうつむき加減で、表情は読めない。だけど、何を考えているのは予想がついた。彼の父のことだろう。




 フェルナンデスの父はいわゆる“穏健派”の移民で、デモ行進には否定的な立場だった。それを“過激派”の移民がリンチしたことをきっかけに、他国からの移民も、日本人をも巻き込んだ一大暴動に発展したのだ。




「このクラスにも、リーさん、フェルナンデスくん、ポンサクレックさん、サウードくんと、海外から来てくれたお友達がいます。私たち日本人も、こうして互いに分かりあう努力をおこたらないようにしましょうね。さて、期末テストの範囲は前に言っておいた通り――」

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