第4話 複雑な感情

 路地に座り込んでから何時間経ったろうか。己の無力感に苛まれる。出血は何とか止めたが、それでも体力は相当奪われ、意識を保つだけで精一杯だった。もうじき死ぬのだろうか……そう考え始めた頃だった。


「大丈夫、ですか? 酷い怪我のようですが……」


 女性の声が聞こえた。こんな大通りの外れで。

 無視するまいと重たい顔を上げた。半開きの左目に映ったのは、黒髪と蒼い瞳を持った女性だった。そして、俺の醜態の所為で酷く驚いているようだった。

 しかし、驚いていた理由は違った。


「あ、あなたは……ライト・ライオットさんですか……?」

「え? ああ、そう、だな……」


 俺は元々、勇者と同行していた弓兵であり、悪い意味で有名ではあった。そもそも、今まで声を掛けられなかった事が可笑しかったのだ。何かしらの罵声はあっても不思議ではなかった。


 俺がライト・ライオットであると判明すると、酷く慌て始め、俺の前を右往左往し始めた。


「いや、助けは要らない。俺は1人でも大丈夫だ」

 見栄を張って立ち上がった。


「ほら、大丈夫だ。俺は歩いてかえ__」


 それからは記憶がない。何をされて、どうなったのか検討も付かない。だが一つ、目覚めてから分かった事があった。俺はベッドに横たわっていた。


 部屋のドアが開き、誰かがお盆を持って入るのが見えた。


「目が覚めましたか」言って隣に座った。


 そして「少し待ってて下さいね」と持ってきた飲み物をスプーンで混ぜ始める。


「ここは、どこなんだ」俺は率直な疑問を持ち出す。

「私の家です。お気に召しましたか?」

「いや、全然。むしろ心地がいい」

「お褒めに預かり光栄です」


 光栄、か……


 世間では空気の弓兵だと馬鹿にされて、俺を味方する人なんていないと思っていたが、優しい人もいるんだな。


「君の、名前は?」

「メルテと言います」

「そうか、メルテ。俺を助けてくれた事は一生忘れない。有難う」


 メルテの混ぜていた左手が止まる。


「い、いえ! 通りすがりだとしても、傷付いた人を助けるのは当然の事、です……」


 そんなメルテの顔は、少し火照っていた。決して視線を合わせようとせず、こちらの顔色を伺っているようだった。


「メルテ。顔が赤いようだが、熱でもあるのか?」

「う、五月蝿いです! 早くこれ飲んで傷治してください!」


 そして、メルテは俺にマグカップを渡して部屋を出て行った……


「様子が変だったが、急にどうしたんだ? まあ、折角用意してくれたし、熱い内に飲んでしまうか……」 



 夕日が差し込む自室に私は一人座り込んで不貞腐れていた。


「はぁ……」思わず溜め息を吐いていた。


「せっかくライトにまた会えたのに。やっぱりライトは気付いてくれないよね」


 当たり前だ。私だってあの頃の記憶は鮮明に思い出せない。


「あの時から、名前も見た目も変わっちゃったもんね」


 髪色を変えて、普通の人として生きて来た。


「それに、ライトとは昔に一週間だけ話したっきりだから……」


 私は人だけど、純粋な人じゃない。


「もし正体を明かしたら、会いたかったって言ってくれるのかな」


 私は偽名を使った。ライトが私を忘れている事が怖いから。もし忘れていたらと思うと、胸が締まって苦しくなる。


 私は、魔物と人間の血が混ざったソライン家の人間だ。私は外の世界が見たくて、十何年も前に家出をした。元々家族と住んでいた森を抜けて、人気のないベンチに座って空を眺めていた。そんな時にライトと出会ったのが始まりだった。

 母上が言っていた人間の性格、それは残酷非道で、恐ろしい生物であった。父上も、私の家族は全員そう言っていた。

 そんな不安があり、ライトと初めて会った時は逃げようか迷った。しかし、ライトは私が魔物であると言っても、何一つ態度を変えずに私に接し続けてくれた。私にはそんなライトが格好良く見えた。


 ライトは毎日、朝早くにベンチへやって来た。そこで、日が暮れるまで話し合って、その時は本当に幸せだと思っていた。

 そうやって一週間が経った時、私はライトから離れた。私は普通じゃないから、本当はこの世に居てはいけないから、ライトを危険に晒すと思ったからだった。

 本当は、ずっと話していたかった。


 そして今、偶然ライトとこんな形で再会した。私は顔を見た時、血塗れだとしても直ぐにライトだと分かった。それに、ライトは勇者パーティで有名になっていたから、今の顔は良く知っていた。

 とは言え、あの時からかなりの月日が流れた。多分、こんな気持ちをずっと抱き続けているのは私だけだ。そう思えて仕方がなかった。


 それから、私はライトと全然話さなくなった。食事を持って来ても喉に言葉がつっかえた。プレゼントもしてみたけど気分は変わらなくて、直ぐに部屋を出てしまった。どうしてだろうと考えを巡らせたけれど、答えは決して出なかった。そうして、話を切り出せず、何もないまま月日が流れた。

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