第49話 蘇る辛い記憶

「君はさ、酷いよね。君の方がよっぽど鬼だよ。絶対、絶対、絶対許さない」


 一歩、また一歩と近づいてくる。

 そして目の前に絶つと右腕の爪を伸ばし――鋭いナイフのようなかぎ爪を大きく振り上げた。


『立て、立ってくれ安綱――っ!!』


 障気のほんのわずかな隙間から射す月の光が、彼女の爪を光らせる。

 首を擡げ視線を挙げた俺の瞳は、彼女の爪を映す。


 美しくも、寂しい。

 朧月夜おぼろづきよのような寂寥感せきりょうかんを漂わせているように、そう感じた。


「――死んじゃえ」


 腕が振り下ろされる気配を察し、瞳を閉じた。

 最後に視た景色は、あの神社でみた夜と似ていたのかもしれない。


 それも――悪くない。


 俺は自分の懐にしまった御守り袋をグッと握り絞め、残った力を封入し最後の瞬間を待った。


 ――ザンッ!!


 鋭い爪が、肉を切り裂く音が聞こえた。


 ――俺の目の前から。

 ……目の、前?


 目を開けると、そこには――


 自らの背を鬼女に向け、俺に優しい微笑みを向けてくれる――。

 二人の女性が腕を広げながら、立っていた。


「……え」


 訳がわからず、声が漏れる。


「長光? うす、みどり?」


 その声は、果たして届いただろうか。

 空虚な、漏れだすような弱々しい声音であったと思う。


「義兄さんは――無茶、しすぎなんです、よ……」


「ごめん、ね。痛い、よね。……あり、がとう。もぅ、いいから――逃げ、てね」


 二人の目が光を失い。ぐらり、と大地に崩れ落ちた。


「え……。お、おい、長光? 薄緑?」


「……義兄さん、まだ生きてますか? 逃げて、くれましたか?」


「……安綱は、いい人。優しい、人。――大切、な人。……だから、私は、大切な国民を、大切な人を……」


「二人とも、視えて……ないのか?」


 長光と薄緑は、掠れて消えてしまいそうな声を絞り出す。


 二人の背部からは、血がドクドク流れ出している。

 紅い欄干らんかんを、二人の鮮血が急速に赤黒く染めていった。


 背部から強い衝撃を受けたからだろう。

 深く呼吸するのも非常に痛そうで、大きな声は出したくても出せないと言った様相だ。


 美しく輝いていた瞳はおぼろげに揺れ、ピントが合わないのか苦しそうに閉じたり開いたりを繰り返している。


 距離感がつかめないのだろう。

 長光は手を中空に彷徨わせて何かを掴もうとしている。


 薄緑と長光は俺の隣に横たわっていて、なんとか立とうとしては失敗している。


 改めて、二人が身を呈して己を守ってくれた事がわかった。

 おかげで俺は即死せずにすんだ。 


「長光、長光……!」


 普段は美しい、今は土埃に汚れてしまった手を握った。

 何度も何度も握り直した。


「ごめん、ごめん……」


「義兄さん……温かい。やっと、です。義兄さん、本当はもっと早く。こうして、いたかった。努力する義兄さんは、格好良いです。でも……遠くて。私の前から今にも消えちゃいそうで……やっと、素直になれました。最後まで、ごめんなさい。逃げて、ください……」


 長光の顔が、何かから解放されたように、にこりと微笑む。


「あう……」


 立ちあがろうと足掻いていた薄緑が、上手く力が入らず失敗し地面に、どしゃっと音を立て突っ伏していた。


「薄緑、なんで……皇家の人間が、俺なんかのために大事な身体を……」


「ん……。皇帝は、皇国民のために、命をかけて生きる。生きなければ、ならない。でも、ごめんなさい。私は、まだ未熟で、しかも、お飾りの第三皇女。私に、初めて優しくしてくれた、そんなたった一人の国民に、死んで欲しく、なかった。……からだと、思う」


「薄緑……」


「安綱、あり、がとう。楽しかった、よ。頑張る姿、応援しくなる。幸せになって、欲しい。だから、逃げて。皇姫じゃない私も、大切に想ってくれて、ありがとう。……巻き込んでごめん、ね」


 そう言って、また薄緑は立ち上がろうとする。


 そして、また地面にどしゃりと崩れ落ちた。

 傷つき地に倒れる二人を茫然と見つめていると、嘆く女性の声が聞こえて来た。


「ああぁ、綺麗な女性を傷付けるつもりなんてなかったのに……勿体無い。でも、ぼろぼろなのに美しい? これは、散り際の美しさ?」


 鬼女の発するその声で、改めて現実を他者から突きつけられた。


 俺は護りたい、護れるようになりたくて、この二人の笑顔を護りたくて。

 護れるようになりたくて努力してきたのに。


 何もできなかった。


 それどころか命を張って護られてしまった。

 美しい二人の女性を、咲き誇る花のように美しい二人を、散らせてしまった?


 己がいかに無力か理解してしまった。

 愚劣な己を呪わずにはいられない。


「嫌なんだよ……。もう、目の前で誰かが死ぬのを唯見ているなんて」


 今までの病院勤務中に亡くなった患者さんの顔が浮かび上がる。

 情景が、フラッシュバックのように流れてくる。


 深夜。

 残業していると聞こえてくるモニター心電図のアラーム音。

 ドクターコールに走り、処置の準備を慌てて始める看護師のバタバタと動く音。

 慌てて駆けつける当直医師がくるまでの間。


 汗を振りまきながら、一体深夜までどこにこれだけの体力を残していた、と思うほど必死に行った心臓マッサージ。


 ――俺は、全く救えなかった。


 尊い命を、存在を、護れなかった。



―――――――――――

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