第43話 開戦
気が付けば元通り図書館で黄の灯籠に触れていた。
自分の身体も濡れていない。
時計の針が示すのは、一六時三分三秒、四秒……。
俺が仮称黄泉の世界に行っていた時間は、現実世界の時間進行に反映されていなかった。
この事実を知ったは良いが、テスト週間が始まっていたため奥へ進んで確かめる余裕は中々作れなかったし、多少の恐怖もあった。
正直、知ってしまった謎とその危険性を持て余していた。
勉学に励む学生の横でせこせこと灯籠の位置を変えていると、周囲に不審な眼を向けられるという寂しい理由もあるが。
とにかく、あの鬼女に挑むのであれば既存の知識では心許ない。
未だたいした呪力も戦闘経験もない。
起死回生に繋がるような新たな知識や能力を授かる事を夢見て、俺は再び図書館から仮称・黄泉比良坂へと移動した。
僅かな不安と沢山の期待を抱いて坂道を降り、やがて洞穴に辿り着いた――。
「全員、集まってくれたみたいだな」
「ああ、お前に言われた通りの準備も整えてきたよ」
「それにしても義兄さん、本当にこの格好で大丈夫なんですか?」
「ん。みんな、不審者だね」
『此方は太刀の姿で本当によかったと思っているぞ』
率直に言って夜間という場に即していない。
際立つ怪しさだ。
いつもの袴とは違い、全身黒づくめの狩衣。
制服よりも運動に特化した服装にしてもらった。
格式だの学生としての世間体だのに拘りそうな長光や金平は、少々不満そうな表情を浮かべている。
「問題ない。さて、作戦の成功率を高めるためにみんなに渡す物がある」
「え、なに?」
ごそごそと持って来た鞄から荷物を取り出し、一人1人に手渡していく。
「これは……サングラスと狩衣か?」
「ああ、男性陣にはこれから先サングラスをかけてもらう」
「メールで知った時は良い作戦かもって思ったけど、夜中にサングラスって本当に見え難いね」
「ああ、周囲のいろんな物に当たりそうで戦いにくいぜ」
「大丈夫だ。作戦通り、俺は必ず初撃を当てる」
それを聞いてとりあえず納得したのか、男性陣は黒い狩衣を着込みサングラスをかけた。
完全無欠の不審者ができあがった。
「……義兄さん、それ私は聞いてない作戦ですよ?」
「ん、私も、聞いてない。不公平、よくないね?」
「人によって役割が違うからな。送ったメールの内容も少し違うんだよ。女性陣にはこの羽織だ」
そういって手渡したのは、黒い羽織と金銀糸を交えた煌びやかな紅色の長羽織である。
「……囮役とはいえ、これだけ派手な服装を着る機会はそうないでしょうね。ちょっと恥ずかしいです」
「私は、着れれば何でも良い」
黒い羽織を身に纏った後、上から紅色の長羽織を身に纏う。
うん、素材はいいんだが着こなしも大事だな。
違和感しかない。
「全員、黒い羽織と狩衣は絶対に脱いではダメだ。これは約束だからな」
「メールでも伝えられていましたが、詳細は教えてくれないんですか」
長光の質問にどう答えるべきか少し悩んだ。
「戦闘を有利に進めるためだ。あと、ほんの少し御守り的な意味もあるかな」
いたずらを考える子供のような笑みを浮かべ、そう返した。
作戦決行地点は、先日薄緑が襲われていた紅い欄干を備えた橋にした。
一度現れた犯行現場だ。
また現れる可能性は高い。
女性陣には橋の中央部に立ってもらった。
俺はそのすぐ横、欄干辺りに立っている。
もちろん俺には気配遮断の呪を使ってある。
だがこれはあくまで自然と一体化することで外界から認識されなくなるという術でしかない。
自然に逆らうような動き――音を立てたりすれば直ちに呪の効果は切れ、存在は知れる。
多少の身じろぎでさえも呪の効果を弱める可能性がある。
長期戦になったら集中力がきれるかも知れない。
そのまま三~四十分ほど待ち続けていたか。
橋の中央、中空でぐにゃりと空間が歪むのを感じた。
囮役の二人も異変に気が付き視線を向ける。
空間の歪みはやがて亀裂となり、障気が溢れ出てくる。
と、凄まじい早さで亀裂をこじ開け飛び出てくる生物がいた。
「ぃや……ッ!!」
飛び出てきたのは、障気を身に纏っていながらもわかる鬼の角。
隻腕。
今日、ここで俺達が退治してやろうと息巻いていた隻腕の鬼女に間違いない。
飛びつかれた長光は必死に振りほどこうと身を捩るものの、片手と両脚でがっしり捉えているからか全く振りほどける様子はない。
そのまま空間の切れ目に連れ込もうとしている。
「ほい!」
もう一人、今回先に狙われていなかった薄緑が紅色の長羽織を鬼女に投げつけた。
長羽織が隻腕の鬼女にばさりと絡まるのを確認した俺は、弾かれたような勢いで懐の銃を握り鬼女に向けて走る。
「……ッ!」
突如として出現した俺の気配に鬼女が気が付き、長光から離れようとする。
距離は約三m。
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