第39話 一緒に

「第三皇女とか、そんなこと本当はどうでもいい。建前だ。……薄緑は俺に笑顔と安らぎをくれた人なんだ。そんな優しい存在とせっかく出逢えたんだ。大切な薄緑という一人の人間を、失いたくないんだ。周りを、頼れよ。無計画に一人で寂しく死ぬ危険を晒すのは、止めてくれよ」


 俺の言葉を少しずつ咀嚼するように、薄緑は深呼吸を何度も何度もする。


 社畜だった俺が。

 汚くて理不尽な世界に浸って、心からの笑顔と安らぎなんて感じていなかった俺に笑顔をくれたのは、薄緑を含むみんなだった。


 薄緑と触れている部分が汗で湿ってくる。

 果たしてそれはずっと走っていた俺から出た汗か、それとも目の前で身を固めている彼女のものか。


 正解は誰にも判別しようがなかった。

 やがてふっと固めていた身の力を解き、抱きかかえる俺の腕に自らの手をそっと重ねた。


「ありがとう……。安綱、本当にありがとう」


 俺には、なぜ彼女がこんなにも救われたような声で礼を言うのか理解出来なかった。


「もう、勝手に危険な真似は、しない、よ」


 重ねられた手をゆっくりと自らの頬に押しつける薄緑。

 『一人で危険な真似をしない』、その言葉にほっと胸を撫でおろした。

 説得が成功した。

 と、実感した瞬間に自分がとんでもないことをやらかしている事に気が付いた。


 皇宮の直ぐ側――具体的には三の丸の外壁沿いで、皇姫を後ろから抱きかかえている。

 実年齢三十超えの俺が現役女子学園生を。


 その事実を改めて認識して俺はしゅばっと薄緑から離れた。


「あ、あのごめん!! 焦って興奮してつい抱きついてっ……ってこの表現もヤバイ!?」


 俺の弁明をきょとんと聴いていた薄緑だったが、何故俺がこんなにも焦っているのか理解したのか、ふふっと笑って嗜虐的な眼をした。


「安綱に、私の初めて、奪われちゃったー。奪われちゃったよー。わー、うばーわれたーぞー」


 最初は俺に向かって、後半は皇宮に向かって訴えるように言う。


「誤解です!? 本っ当に止めて!! 誰に聴かれてるか分からないじゃんっていうか!?」


「冗談、だよー」


「冗談にならない場合もあるんだけど!?」


「ふふ、ごめん、ね」


「勘弁してくれ……」


「うん。勘弁する、さー。でも、代わりに安綱には……御願いがある」


「……何?」


 口調は軽い悪戯口調でも眼は真剣そのものだ。

 正直嫌な予感がするし、聴きたくありません。


「私と一緒に、鬼女を調伏して欲しい。……もう、いい加減、彼女を救ってあげて欲しい」


「それは……」


 大人の事情で陰陽寮の力は借りられない。

 でも心優しい薄緑は皇家の影響で鬼女となった存在を救い、攫われた女性達も救いたい。


 欲張りなお姫様というか、現代教育が生んだモンスターというか。

 強欲にも程があるよね。


「わかった」 


 彼女の決意と行動に水を差したのは俺だ。

 力尽くで水を差しておいて、無責任に『はいオッケー、ではさようなら』という訳にもいかない。


 俺が断ったら、彼女は今日のような行動をまた起こすだろう。

 それだけは確信がある。

 この皇女とはまだ出会ったばかりだが、それぐらいは理解できる関係になってきている。


「――一緒に鬼女を解放しよう」


「安綱……!」


 自分の力を過信している訳ではない。

 明日クラスの仲間に話をして、土下座してでも助力を請うとしよう。

 他の仲間も絶対に護り通したいが、危険に身を置く女性を護るのは男の誉れというものだ。


 目的遂行のために、俺も鬼になろう。

 いざという時には薄緑やみんなだけでも逃がせるように布陣を敷こう。


「ありがとう」


 とにかく今日はもう遅い。

 明日詳しく打ち合わせをすることを約束し今日は家に戻ることにした。


 三の丸外壁に薄緑は右手を当てる。

 眼を閉じ何か念じると右手第五指に填めた指輪が輝き、外壁が歪んで右手が沈み込んでいった。

 これも陰陽術か何かの応用だろうか。


 何でもありなのかこの世界。

 深く考えたら負けだね。

 薄緑は壁の中に消えていった。


 俺に深く頭を下げて――。


「なるほど、そんなことがのう。……それで、なぜ此方を式として召喚しなかったのじゃ?」


 家に帰ってから鬼女と遭遇したこと、これからの予定を雫に説明すると『訳がわからん』という顔で詰問してきた。

 正直、雫が力を持つ式神で俺はいつでもどこでも術で召喚できるなんて失念していました。


 俺は頭を抱えた――。

 のっけから重大なミスしてるじゃん。

 大丈夫かよ、俺……。



―――――――――――

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