第38話 失望

 薄緑を抱えながらもがむしゃらに走って、俺達は皇宮のすぐ近くまで逃げ切った。


「――はあ、はあ、ここまで来れば、もう大丈夫だろう……」


 腕に抱えていた薄緑をゆっくり下ろす。薄緑は罰が悪そうな顔をして俯いていた。


「こんな夜中にどうやって皇宮から抜け出したんだよ。見張りとかいないのか?」


「皇宮には、皇家にしか伝わらない抜け道が、いくつもある」


「それって有事の際の緊急脱出路とかだよね!? こんな事するためにそんな大それた道を通ったのかよ!! 使い道を間違ってるわ!」


 抜け道だけに、ってやかましいわ!


「こんなこと、でも。国民は悩んでいる。私は外に出なければ、いけなかった」


「……そこまでして、なんで一人であんなとこを歩いてたんだ?」


「怒らない?」


「場合によるけど、多分怒る」


「うう……だよ、ね。実は、囮になろうかなと」


「はぁ!? 囮だ!?」


「やっぱり、怒った……」


「当たり前だろ!! なんで薄緑が囮になる必要があるんだよ!?」


「……正式な発表、ないけど。今回の事件は、妖魔が原因」


「……まぁ、それはさっき直接見たから解るよ。障気って言うのか? すげぇ禍々しくて、正直関わりたくないと思ったよ」


「……ん。あの妖魔は、隻腕の鬼女。遙か昔から、目撃証言がある」


「そう、なのか。それでも調伏されていないってことは、何か理由があるのか?」


「そう……。彼女は、すごく強い力を持った妖魔。そのうえ、自由に隠世と現世を行き来できるから、退治も調伏も難しい」


「それが放置されていた理由か」


「実は、それだけじゃあ、ない。……昔、皇家に連なる人が、彼女を鬼に変えちゃった、らしい」


「――え?」


「この事は、皇家と陰陽寮、警察――治安維持組織の一部だけが知ってること。……表沙汰にはしたくないこと。だから、治安維持組織も陰陽寮も、本当は今回の事でまともに対策なんて、する気はない。そういう、圧力がかかってる」


「もし過去の行いが露見したら、皇家の威信が低下する。だから放置しておくってことか?」


「そゆこと。……それに、あの鬼女は数十年おきに、出現するの。何人かの女性をさらったら、しばらく姿を現さなくなる。しかも、攫われた人も、そのままの姿でいつの間にか現世うつしよに帰ってくる。何があったかの記憶はなくなっている、らしい」


「……なるほど。大体わかったよ。でも、なんで薄緑が囮になる必要があるんだ? 囮とかいったけど、本当は人質になるつもりだったんじゃないのか?」


「……」


「なぁ。立場とか持ち出して話すのは、好きじゃあないんだけどさ」


 沈黙を続ける薄緑の様子から、俺は核心をついてしまったのだと理解した。


 この少女は自己犠牲の精神で生きている。

 雫の言葉じゃないが、間近でこんな姿を見ていて心が痛まないはずがない。

 だから俺はなんとしても、薄緑の蛮行を止めたい。


「これ以上の被害を増やしたくない薄緑の優しさは解る。でも、薄緑は皇姫という立場だろ? 立場を考えたら、皇家の不正が許せないってのも理解出来る。それでも大切な身体を危険に晒していいことにはならないだろ? 相手が皇家に連なる者に強い怨念を抱いているなら、命が危ない可能性だってある。……こう言っちゃ難だが、人の上に立つ人間の命は、人質とかの賭け事にベットするんじゃなく平穏のために護られなければならない」


「……何も、わかってなぃ……ね」


「……」


「安綱は、皇宮にいる汚い大人と同じ考え。……私もう、大丈夫だから。あんがと。さよなら」


「待てよ!」


「……安心して良い。安綱は知らないみたいだけど、私は第三皇女。皇家の人間ではあるけど、他に代わりが効く。大して重要じゃない、むしろ争いの元になる存在。だから、私が死んでも、国の平穏は護られる。あんま、悲しまれない。懸念は無用。ありがとね……さよなら」


 俺は落胆して立ち去ろうとする薄緑を――絶対に逃がさないよう背後から強く抱き寄せた。


 薄緑が驚愕に身を固めるのが、腕を――彼女に触れている全ての部分を通して伝わってくる。


「違う!……本当は、俺は!」


 俺は本当は日本国民で、大八洲皇国なんて関係ない。

 そんなことは言えなかった。


 だから話せる限りで――偽らざる本音を告げた。



―――――――――――

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