第36話 誘い
「いいか、不審なことがあったらすぐに警察に連絡しろ。しばらくは複数人数で下校しろ。妖魔の関与が疑われる以上、必ず陰陽科の生徒を交えて下校するんだ。世間からどう思われようと、妖魔に襲われたら真っ先に自分の身を守ることを選択しろ。お前等は学生なんだ、逃げることを恥じる必要は全く無い。では解散だ。さっさと下校しろ、ガキども。今のうちに楽しめ……けっ」
北谷教諭は注意事項だけ告げると、悪態をつきながら足早に教室を出て行った。
これからテスト採点や成績付けなどの事務作業に追われるのだろう。
ご苦労様です社会人。
俺はそちら側の苦労、わかりますよ……。なるべく早く帰れる事を祈っております。
さて下校しろ、と言われた訳だが俺は本が読みたい。
図書館にいきたいんだ。
勉強や修練というのは一度習慣化してしまうと、止める事に強い違和感とストレスを感じる。
――とはいえ、だ。
「長光。先生もああ言ってたし、一緒に帰ろうか」
自分の欲望より家族が大切だ。
「え、義兄さんと一緒に、ですか……?」
表情を変えずに長光が考え込む。
おい、そんな考えることか。
一緒に住んでるんだし、いいじゃんこんな時ぐらい。凹むぞ。
「……わかりました。合理的な理由ですし、いいですよ」
感情的にはあまり気乗りしないのだろうか。
先日、長光の部屋で見た愛らしい姿は夢か蜃気楼でも見ていたのか。
くっしょんに顔を埋めながら『お義兄ちゃんが大事だから、身体を大切にしてよ?』的なことを言っていた気がするんだが。
「そのような事実はないぞ、さびしんぼ義兄よ」
「うるせぇんですよ、思考を読むな現実を突きつけるな」
思考を読んだのか表情を読んだのか解らないが、雫はやれやれと全身で表現して嘲笑う。
こんにゃろう、またお仕置きしてやろうかとか思っていると。
「安綱、安綱」
ちょんちょん、と肩を叩かれた。
振り向くと薄緑が表情を変えずにこちらをみていた。
「私は?」
「え?」
「下校、友達と下校」
眼を輝かせながらずいっと顔を寄せてくる。
もしかして、俺と一緒に下校しようって言っているのか?
「一緒に下校するのは構わないけど……薄緑の家、皇宮だよな?」
「うん」
「俺達の家、反対方向」
「……些末な問題、だと、思うの」
「俺はそうは思わないの。それに薄緑は学園から出たら本職の護衛がついてるんじゃないか? 俺達、役立たずの邪魔者扱いされない?」
「……些末な問題、だと、いいな」
「もう願望になっちゃってるじゃん」
声が萎れて寂しそうになる薄緑は凄く微笑ましい。
きっと彼女は友達と一緒に下校してみたいのだ。
彼女の笑顔は、美しい。
もっともっと、心から素直に笑うべきだ。
「この事件の犯人が逮捕されたら、みんなで一緒に遊んで帰ろう。なぁ、光世?」
「ぅえ!? 僕?」
ずっとこちらの様子を見ていた三人――金平、国行、光世。
中でも光世は表情を柔らかくしてこちらの様子を覗っていた。
どうもみんなは皇家の人間に対する敬意が強すぎて、級友として気安い仲になるのに強い抵抗を抱えているようだった。
だから頼まれたら嫌とは言えなそうな、優しい光世にあえて声を掛けた。
嫌がらせじゃないよ。
「そ、そうですね。姫殿下さえよろしければご一緒させてください」
ほら上手くいった。
でもね、光世。
そんな弱い物腰だと、いずれ社会に出た時良いように使われて気が付いたら大ッ量に仕事を押しつけられてしまうからな。
注意しろよ。そのくせ、仕事をこなしてもまともに評価されない……みたいな、な。
「誰のせいじゃ、とも思うが。そなたが言うと説得力が違うのう」
「俺いま何も言ってないじゃん? 人の心を無闇に侵害してくるの辞めてくれるかな?」
「これだけ距離が近いとお主の心はよーく伝わってくる。ちょっと意識すれば深層心理まで読めそうじゃ」
「お前さ、もう俺の近くにこないでくれるかな? ナチュラルにプライバシー侵してくるし」
「義兄さん、帰らないなら私は一人で帰りますよ?」
「はい行きます。今、超行きます!」
それじゃあまた明日、と告げ先に教室を出た長光を追おうとすると。
「安綱……ごめん」
なぜか神妙な面持ちで小声で謝っている薄緑が見えた。
すっきりしない何故か嫌な予感を感じつつも、既に視界から消えそうになっている長光を追って走った。
そして長光を無事に家へ送り届けた後。
俺は一人静かに学校へと戻った。
やはり図書館に行きたいという欲求は捨てられないんだ。
家は結界が張られて施錠もされているし、なんだかんだ式神の雫もいる。
有事の際には頼りになるだろう。
多分、きっと……なるといいよなぁ。
家の安全性は高いと言えるだろう。
図書館通いと修練は、継続していこう。
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