第31話 え? 俺死ぬの?

「ふふ、そういうことにしておいてやろう」


「しておくも何も、そういうことなんです!」


 顔を真っ赤にして否定する長光。


 前向きに解釈すると照れているのだろう。

 だが、長い社畜生活で培われたネガティブ思考は悪い方向を想定してしまう。

 これは赤面症せきめんしょうか怒りによって血が上って顔が真っ赤になっているのだ。


「長光、血圧上がってるよ」


「誰が原因ですか!!」


「失礼しました」


 反射的に謝罪してしまったが、冷静に考えて『え、俺が原因?』と疑問を感じてしまう。


 まあ、口に出せない辺り、上下関係がきっちり構築されていますね、はい。


「こほん!……とにかく、義兄さんと雫さんの部屋は分けます! これは決定事項です!!」


「ふむ、そこまで言うなら此方は意見を退けてもよいが……」


 長光の表情が一瞬ほっと柔和にゅうわになる――が。


「その結果、長光は愛する大切な兄を失うぞ?」


「だから愛し……え?」


 続く雫の言葉に、長光のみならずその場の全員が表情をこわばらせることになる。


「ちょっと待ってください。義兄さんを失うって、どういうことですか」


「言葉のままの意味じゃ」


 人の死を宣告しておきながら、なんてことないように続ける。


「このままでは、数ヶ月もしないうちに安綱の魂は崩壊ほうかいする」


「え。俺、死ぬの?」


狭義きょうぎの意味では死ぬが、正確には死ではない。そなたの魂が崩壊し、ただ生命活動を続けるのみの存在となる。言ってしまえば、何の意思決定力も有さない抜け殻、廃人はいじんじゃな」


「な、なんでそんな事に?」


「安綱、そなたには心当たりがあるのではないか?」


 そう言われて改めて思い返した。


 そう。

 いつの間にかこちらでの生活にすっかり慣れていたが――俺は本来違う世界を生きてきた存在。

 三十五歳の社畜だ。

 こちらの世界の安綱の身体にいつの間にか居座っている存在だ。


「この世界の万物は陰と陽のバランスによって成り立っている」


 太陰対極図の話だろう。


「どんな陰なる存在にも陽はある。逆も又しかり。だからこそ万物はこの世に安定して存在することができる。――だが、お主の身体に宿す魂は今、極めて不安定である」


 それはきっと、異なる魂が肉体に存在していることによる不一致が生み出した歪みだ。


 思えば心当たりはあった。

 大して気になる程ではなかったものの、目眩やふらつきは日を増すごと感じる量が増えている。

 夜を中心に胸痛がすることもある。


 それに自分が情緒不安定になっている気もしていた。

 妙に生真面目に打ち込むときもあれば、意思に反して破壊衝動に駆られ乱暴な言動をしていたこともあった。


 今までは自制が効いていたが、今後の自分について疑懼することもままある。

 きっとこれが雫の言う魂の不安定さなのだろう。


 頻度や程度は今ほどではないにしろ、以前の人生でも感じていた感覚であった。

 だからこそ気にとめなかったが、魂が崩壊する程の大事に繋がるとは思わなかった。


「陰が極めて強い存在、それが妖魔ようまと言われる存在である。対して極めて陽が強い存在が此方こなたのような神格化された存在である。主の魂の場合は、不安定すぎてどちらかに変貌する可能性もあるが……どちらにも落ち着かず、魂がストレスで破砕する可能性が最も高いな」


「そんな……なんで義兄さんだけ?」


 怪訝けげんな表情をしている長光。


 長光は俺の身体に何が起きているのか解っていないのだから、いぶかしむのも当然だろう。


「人は誰でも陰陽どちらかへ極端に傾く可能性は秘めている。――が、安綱が特別不安定な存在である理由は、此方こなたから話すことはできぬ。此方が教えてやれるのは、丑三つ時を中心に安綱という存在は、一瞬で消失する危険が高い」


 食卓に沈黙が流れる。


 皆、顔を俯かせている。

 浅井安綱という男が、愛されていたということが解る。


 それだけに俺は勝手に身体を借りている事に申し訳なさを覚え、閉口してしまう。

 時計の針を刻む音は……こんなに大きかっただろうか?


「だが此方こなたそばにおれば、さして心配はない」


 気楽な雫の声に皆が顔を上げる。


「此方は安綱の式神として召喚された。此方は仮にも神格者である。此方が傍におれば歪んでいく陰陽おんみょうバランスを常に整えることができる。魂の崩壊を心配する必要はない」


「……それが義兄さんと居室を同じくする理由、ですか」


「いかにも」


 これには皆閉口している。


 今までは男女は部屋を分けるべきだと主張していた長光。

 それに同意していた義父母も今では居室を一緒にするべき、という空気感になっていた。


「ふむ。それでは、此方の居室を安綱と同室とする。この提案に対して今一度、多数決をとるとするか」


 結果は、賛成四票。

 長光は賛成にも、反対にも手を上げられず――身を震わせていた。



―――――――――――

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