第14話 前世の努力を活かす機会だ

「えっとね、お義兄ちゃん、こういう下品なことに麗しい女の子が混じるのはよくないかなーって」


「へえ、下品な話の主役は――私のフィギュアなんですよね?」


「そんな事はなかったり、あったり? 解釈の違い、みたいな?」


「では、よく見て解釈をする必要があります。それをよこしてください」


「に、任意ですか?」


「違います」


「じゅ、授業に必要なものだから……」


「いいから渡しなさい!」


 はぐらかす俺に耐えきれなくなったのか、長光がパラフィン長光を力尽くで奪い取りにきた。


 やめて!

 これは俺の努力の結晶なの!


「――国行っ! こいつを、せめてこいつだけでも助けてくれ!」


 俺はパラフィン長光を国行に投げ渡した。


「逃げなさい、お早く!」


「――え、お、おうッ?」


 突然のことにどう行動したらいいのか解らない国行が手元の人形と、鋭い目をした長光を見比べて戸惑っている。


「長篠さん。それをこちらへ渡して下さい。……早く」


 感情のこもっていない、長光の言葉。

 率直に言って怖い。


「は、はははい、どうぞ!!」


 おのれ臆病者め裏切りおったなっ!


「……義兄さん?」


「はい、ごめんなさい」


「まだ何も言ってないですよ? 不思議ですね、なぜ謝るのですか。なにかやましいことでも?」


「聞いて下さい! 俺はただ、自分の側に常に置く形代ぐらいは綺麗な人をかたどった像を造りたかっただけなんです! そうしたら自然とパラフィン長光になっていただけなんです!!」


「に、義兄さん……っ」


 必死な説得と綺麗な人だと言われたことに心を打たれたのか、長光の頬は少し紅く染まっている。


「――まあ、そんなことで納得するわけがないですよね。……えいっ」


「あ」


 気のせいでした。長光は人形をぎゅっと握り潰すと、こちらに返してきた。


 みるも無残に豊満だった胸は凹み、全体的に輪郭が不細工に歪んでしまっている。

 ある程度パラフィンも固まりきってしまっているし、ここからの救出は無理だ。


 ――俺は、救えなかった。


「ああ、長光が貧乳に……」


「私じゃありません!」


 長光は一喝すると自分の席に座った。

 残されたのは気の毒そうに俺を見つめる男子生徒諸氏と、蔑むような女生徒諸君の視線。


 そして無駄に悲愴感ひそうかんを漂わせて地面にひざまずく俺だけであった。


「――ふふっ……」


 どこからか笑い声が漏れて聞こえてきた。


 ああ、いいさ笑えば良い。

 今の俺は滑稽こっけいなピエロさ。


 俺は声の漏れ聞こえてきた方をちらりと見る。


 声の主は――薄緑殿下うすみどりでんかだった。

 表情を僅かにほころばせている。


 薄緑殿下はこちらを横目に見ていたが、直ぐにはっとして視線を紙面に戻し、無表情で読書を再開した。


 なんだろう。

 笑わせるのは好きでも、笑われるのは好きではない。

 しかし、いま笑われたのは――嫌な気分にならなかった。

 むしろ、よかったとさえ思えるぐらいだ。


 俺は歪んでしまった形代を無造作に鞄に入れ、自分の席へと戻った。


 左の隣人はもう俺に興味を示さない。

 誰も薄緑を見て騒いでいないところを見るに、きっと彼女が笑った事に気が付いたのは俺だけなのだろう。


 そう考えると――言いしれぬ喜びが湧いてきた。


 何より、彼女も本当は笑いたいのだ。

 そして普段はその感情を、抑圧よくあつしているのだ。


 その事が認識できただけでもよかった。

 今日はいい一日になりそうだ。

 こちらの世界に元からいた俺には悪いが、ずっとこのままでありたい。


 ――合同クラスとなってから、約一週間が経過した。


 慣れてしまえば、非日常も日常となる。

 俺もこの世界に随分慣れてきたと思う。


 多くの学友と勉学に励み、専門科目では別教室に移動し、陰陽科のみとなる。


 そして陰陽科が体術や剣術の授業をしている間に、普通科は体育のようなことをしている。

 サッカーだったり、バレーボールだったり。


 この辺りは以前の世界とあまり変わらないな。


 世界移動直後はからっきしであった体術や剣術に関しては、かなり上達したと思う。

 講師の先生の意見を聞きながら、自分なりにどうすれば効率的に力を発揮出来るか。

 動きやすいかを考えていた。


 この辺りは理学療法士だったころに得たバイオメカニクスの知識が活きた形となる。


 特に剣術は楽しい。

 この辺りで抱く感情は、俺も血気盛んな男だったという事だ。

 幼い時分には刀剣の美や戦国武将、武士道といった存在に憧れたこともある。


 好きこそものの上手なれ、興味がある剣術の腕はめきめき上達し、今では防具付稽古での試合では一、二を争う結果を残している。


 汗が眼に入ってしまったため柔剣道場から外に出て、水道場にきた。

 頭からを水をかぶり、ばしゃばしゃと顔を洗う。


 こういった一つ一つの事でも自分の若かりし頃が惹起されて感慨深いものだ。

 格好つけて言うと、青春の香りがすると言うか……。


 髪の毛から滴り落ちる水を振り払うように、俯かせた顔をふり上げる。

 ふと、校庭でサッカーをしている女生徒達が眼に入った。


 ミニゲームをしているようだ。

 長光にボールが集まり、楽しそうに運動している。


 思わず薄緑姫殿下はどこだろうと探してしまう。


 薄緑はグランド内で――ぽつんと立っているだけだ。

 彼女にボールがパスされる気配はない。

 一応ボールが近くに来ると、動こうとはしている。

 身体と目線は常にボールに向いている。


 しかし、何が彼女を留めるのだろう?

 数歩歩いたところで、その動きを止めてしまう。


 ふと、俺は彼女の歩きに違和感を覚えた。

 もう一度よく動作を観察してみる。


 ふむ……。

 なるほど、な。



 ――体育と修練の授業が終わった。


 俺は友人達を置き去りに足早に校庭へ出ると、長光の元へ向かった。


「――義兄さん?」


「長光、ちょっと聞きたいことがあるんだ」


 ちょいちょい、と手招きしてあまり人に聞かれないよう配慮する。



―――――――――――

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