第2話 明るさを知るのは、暗さを知ってから!

 私はため息を一つつき、帰宅する準備をした。


 着替きがえを済ませ、職員用出入り口から外へ出る。


 白い吐息といきが空に浮かび消えていく。


「十二月の夜は、よく冷えるなぁ……」


 身体にも――すでてついていた心にも。


 私のストレスは、既に限界に近い。


 私は就職して僅か数年――二十代の若さで、ストレスに起因するEDとなってしまい、今に至るまで耐え忍ぶ生活を続けている。


「学生の頃は、やり投げで全国大会にも出場してた屈強な男だったのに……。情けないなぁ、俺」


 真剣に相談した上司からは、『自分のやりの扱いに関しては投げやりなんだな!』と一笑いっしょうされた。


 ははは、馬鹿たれが。

 はいはい、面白い面白い。


「……本物のやりを投げつけて殺りましょうか、と思ったよな」


 相談した上司から話が広がったのだろう。

 私がEDに悩まされているという事実は、瞬く間に病院中へ拡散した。

 病院職員は、人のおもしろおかしい噂がとかく大好物なのだ。


 一部職員は、『イーディーン元気』などという……。

 あらゆる意味で無礼極まりない渾名あだなまで付けているらしい。


「どっちなんだよ。元気なのか、元気じゃないのか。――少なくとも股間は元気じゃねぇんだよ、この野郎め」


 誰が上手いことを言えと言ったのか。


 そんな切ない人生を過ごしてきた私にも、リラックスできる、いこいの場がある。


「――失礼いたします」


 自宅と勤務先の間に、とある神社がある。

 あまり社格しゃかくは高くないが、美しく手入れされ管理されている。

 鳥居前で私は小さくつぶやきながら一礼し、境内けいだいへ入った――。


 手水舎ちょうずしゃけがれをはらい、参道さんどう玉砂利たまじゃりを踏みしめるジャリジャリという音に心身が清められていく様を感じる。


 やがてお宮の前に辿り浮くと、お賽銭さいせんを投げ入れ二例二拍手にれいにはくしゅした後、小声で呟く。


「今日も一日、お見守り下さり本当にありがとうございました。――明日も、多くの患者さんの幸せがあふれる病院を作れるよう、邁進ひびまいしんしていきたいと思いますので、どうかお見守り下さい」


 実に簡単なものだ。


 一般的に、神社というと願い事をする場所――というイメージが強いだろう。


 それが悪いなどと言うつもりは全くない。


 だが、私の中では少し違う。

 無事に過ごせた事に感謝し、明日への決意を改めて語る場だ。


 『参道さんどう』は『産道さんどう』とも読める。

 本殿ほんでんこと『おみや』に関しては、女性の『子宮しきゅう』と同じ字を書く。


 私にとって、神社参拝じんじゃさんぱい――お宮参みやまいりというのは、一度生まれたところに戻り、新たな決意をちかい、また『新しく世界に生まれ出づる』といった意味を持つ。


 これは、あくまで私の勝手な解釈かいしゃくなので、正しいかどうかはわからない。


「この神社の境内けいだいは、なぜか温かい何かに包まれているような気分になるんだよなぁ〜……」


 それは、今は亡き母の温もりにも似た何かだが――とにかく心地よい。


 常時は感謝と決意を告げて去る。


 これだけで手早く済ませる私だが、今日は外の寒さと内心の冷え切った感情などが重なり、随分と心が弱っていたのだろう。


 両手を合わせたまま、気が付いた時には口が勝手に動いていた。


「――私は、高校生の時から真面目だけが取り柄でした。ひたすら勉強し、人生の分岐点ぶんきてんとも言える進路選択に限り、なんとなくで進んできました。その結果が今に続いている、言ってしまえばそれまでです」


 何を言っているのか、どこに話を着地させたいのか。


「……やり直せるのであれば高校生時代に戻って、毎日心から笑っていたあの頃に戻りたいです」


 どうしよう……。

 話していたら、目頭が熱くなってきた。


「……なんとなくで選択をしない。真面目ながらも……不真面目に。――楽しく、全力で生きたいです。――本音を言えば、今がどうしようもなく辛いんです」


 自分が何を伝えたいのだろうか。

 ただ弱音を吐くだけでは駄目だと心を持ち直す。


「……一人で見る夢はさみしく、道は険しいものですが、れることなく精進しょうじんしますので、何卒なにとぞ、お見守りいただけますと幸いです」


 うん、我ながら上手く軌道修正きどうしゅうせいし、締めくくれた。


 最後にお宮へ一礼し、私は参道を歩いて再び境内けいだいから俗界ぞっかいを目指す。


 足取りが宙に浮いているかのようにふわふわと軽い。

「これで明日も頑張れる――」


 ――ゴッ!!


 そう思った瞬間、私は後頭部こうとうぶに激しい衝撃しょうげきを感じ、地面に突っ伏していた。


 バットで殴られ続けているような痛みだ!

 視界はぐるぐると廻り、余りに強い嘔気おうきから呼吸もうまくできない……っ!


 必死に転がりながら周囲を見渡すも――誰もいない。誰か、誰か助けを呼ばなければ――。


「ぁ――……ぁぁっ、ぅ」


 助けを呼ぶため声を出そうと試みるも、声は掠れ上手く出ない。


 これは、本当にまずい!

 せめて少しでも人目につきやすい場所へ……っ。


 視界が廻り続ける中、輪郭りんかくだけでとらえた鳥居とりいの外を目指し必死に這いずり外を目指す。


 一際ひときわ強く後頭部に衝撃が走り、嘔気おうきを感じた瞬間。

 ――限界を悟り、微かにつなぎ止めていた意識が遠のいていくのを感じた。


 ……こんな所で、何も成せず一人寂しく人生を終えるのか。


 これが、俺が生まれた意味なのか?


 毎日、患者さんを幸せにできる病院を作ろうと、目の前にいる患者さんを、より良い未来へ導けるようにって――理学療法の勉強に、毎日毎日毎日、必死に生きてきたのにっ……。


 こんな所で、終わりかよっ……!

 何も、何も成せずに、終わりなのかよっ!


 ――でも、やっと……自分で作ったこの呪縛じゅばくから、開放される……?


 そこまで考えた所で涙があふれ、いよいよ視界はよどんで見えなくなる。


 最期の時がきたようだ。


 来世らいせいがもしあるなら私は――、俺は自分に素直に、不真面目に楽しく生きたい。

 そう願ったところで――停電ていでんしたように、私は五感ごかんを感じなくなった。


『魂は――……いつ……いく……でも……』



―――――――――――

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