やり直したからには、レッツゴー陰陽師!~社畜予備軍おっさんの青春リスタート~

長久

第1話 辛い現実と夢への努力

 誠に唐突ではあるが、こんな言葉を聞いたことはあるだろうか?


 崇高すうこうなる故人曰こじんいわく、あなたが他の人々に求める変化を自分で行いなさい。


 有名なる故人曰こじんいわく、年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。


 偉大なる故人曰こじんいわく、今から一年も経てば、私の現在の悩みなどおよそ下らないものに見えるだろう。


 私は成功者が残してきたこういった名言が好きだ。

 実に前向きであり、その人柄と人生の歩みが如実にょじつに表れている。


 こういった名言を目にする、あるいは耳にした時、折れそうだった自分の精神を持ち直すことも出来る。


 偉大なる故人こじんの言葉は実に素晴らしい。

 成功する為の経験に基づいた重みのある言葉だ。


 だからこそ、今の私は視線は目標物から逸らさず、適度に傾聴けいちょうしながらしみじみ考えてみる。


 私は現在、周囲の変化に染まり続けるカメレオンのような姿をしているのだろう。


 周囲から私の背中は――丸まってしまった虚弱高齢者きょじゃくこうれいしゃに見えることだろう。


 今から一年経てば、私の現在の悩みなどくだらなくみえる?

 全く持って、その通りだ。


 なぜなら一年前の私は、おおよそ今より辛い悩みを抱える一年後など、想像したくもなかったのだから。


 頭の中で私は無駄に逡巡しゅんじゅんしつつ――目の前の問題が、理不尽の嵐が過ぎ去るタイミングを心静かに待っている。


「だから院長出せよ! 俺が直接話つけてやるから! なんで俺がこんな辛い思いしなきゃならねぇんだよ!? もう俺は家に帰れるって言ってるだろうが!? お前みてぇな融通ゆうずうが効かない奴に話したって無駄なんだよ!! だいたい――」


 ナースステーションの前で激昂げっこうしている、車椅子に座ったこの男性。


 この方は私が勤めるリハビリテーション病棟に入院している人物だ。


 そして、男性の前で怒声を浴び続けるのは、理学療法士りがくりょうほうしとしてこの病棟に配属されて十五年目。


 本年度より、主任という有り難い役職についた西野安綱にしのやすつな


 年齢三〇代半ばを迎えた、私自身である。


 目の前の男性の主義主張は、まあ簡潔に言ってしまえばこうだ。


 ――もう俺は病院にいたくないし、一人で這ってでも生活するから家に帰せ。


 内心、別にいいのではないか。

 それも人生選択の自由ではないか、とも思う。


 だが、もし帰宅を許可すれば、ほぼ間違いなく一週間も待たず再入院することになる。

 下手をすれば死んでしまうだろう。


 この男性が車椅子に乗って生活することを余儀なくされている上に、面倒を見てくれる身よりもいない。

 状態から見れば、男性を家に帰すことは明らかに無謀むぼうなのだ。


 それを解っているにも関わらず『退院させろ』との願望を通すのは、果たして人道的にいかがなのであろうか?


 例えては失礼だが、自分で食糧をとることができない。

 怪我をした鳥がケージの外に出たがっているからといって、外に逃がすことは果たして正義なのだろうか?


 私には――解らない。


 男性はどんなに恐喝きょうかつじみた怒声を浴びせて懇願こんがんしても、無駄だと判断したのだろう。


 備品として置いてある杖を奪い、私に殴りかかってきた。

 私は迫り来る杖を避けることも無く、勢いよく腰を打たれる。


 ――ここまで来て、やっと病院全体として対処ができる。


「――暴力はよくないですね! 部屋に戻りましょう!」


 私が殴られたのを確認してから、拘束具こうそくぐを持ったスタッフ、暴れるのを取り押さえてベッドに連行する筋肉質な男性スタッフ達が出てくる。


 人権保護的側面から、拘束具は他者、あるいは自身の健康を大きく損ねる危険性が極めて高い緊急時でないと使用ができない。


 大概は暴れたときなどに安全を守るため、やむを得ない一時的対処として用いる。

 まさに今回のようなケースだ。


「――怪我、大丈夫ですか?」


 ある程度事態が落ち着いてきた頃、思い出したかのように若い看護師が心配して声をかけてくれる。


「ああ、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。湿布ってある?」


「ありますよ、どうぞ」


 そういって、若い看護師は病棟に余っていた湿布しっぷを一枚私に渡すと、電子カルテに向き合う。

 もう通常業務に戻ったようだ。


 たったこれだけの善意。

 それでも疲れ果て懊悩おうのうしている私には白衣の天使に見える。


 一瞬の好意だけで女の子に好きになってしまう思春期の男の子のようだ。


「イケないイケない……。歩くワイドショーどものネタにされてしまう!」


 自分をいましめる。

 病院内恋愛はリスクが高い。


 おっちゃんである私が若い看護師に好意を持つなど、ハラスメントに繋がりかねない。


 私が求めた理想は、患者さんのための医療は、いかに身体をはったところで伝わらない。


 もやついた気分のまま、私は与えられたリハビリテーション科のスタッフルームへと向かった。


 勘違かんちがいされては困るし、私自身も自分に改めて思い起こさなければ忘れてしまいそうなので、一応。


 理学療法士の仕事とは、決して患者さんに殴られることではない。


 患者さんが元の生活に戻れるように援助する、やりがいのある仕事だ。


「……いつの間にか、日付けが変わりそうな時間じゃないか」


 無論、勤務表上での私は十七時三十分の定時に帰宅していることになっている。


 以前、労働環境改善を求めた労働組合があったが、圧倒的権力の前にあっさりと潰された上、年に三回支給されていた賞与は二回に削減された。


 いわゆる見せしめ、というやつだ。


 先月の残業時間も実際は百五十時間を超過している。

 だが、監査対策はばっちりというブラックさだ。


 僅かな休日は、技能向上のために行くのが当然だろ? という無言の圧により参加している学会や研修会で消える。


「次の休みも研修会、2万円の出費か……。暫くはサバ缶だけの生活だな。はぁ〜……」


 憤懣ふんまんやるかたない思いを抱いてしまう、この私の心情を一体誰が責められようか。


 無論、私個人にも学会や研修会参加の成果に対する恩恵はある。


 得た知識や技能をリハビリテーションの臨床に用いて、患者さんの悩み解決の一助となった時は、非常に嬉しい。


 『ありがとう』、『嬉しい』、『助かった』。


 この温かな言葉がなければ私の脆弱な心は――とうに潰れていた。


 丸一日理学療法を忘れ、自由に過ごせた休日は……一体何ヶ月前だっただろう。


 最後に心から笑えたのは、何年前だっただろうか。


 この仕事に見切りをつけて辞めることはそう難しいことではない。


 ――しかし、そうなった時に残された患者さんはどうなる? 


「私がいることで、大きく変わることは現状無いけど……。でも、患者さんが安心してサービスを受けられる病院を作りたい」


 それが、私の描いている夢物語ゆめものがたりだ。


 そのためには権力がいるし、実績がいる。

 ――発言権がいる。


 苦労して十五年目で多くの研究発表実績と、先輩達を差し置いて主任という立場にも就けた。


 しかし、夢を――理想を達成するまでは程遠い。


 ともすればそれは、そのような事は永久に不可能なのではないかと挫けてしまいそうになるほどに。


 一人で見る夢は所詮しょせん、いつの間にかすっとはかなく消えていく夢でしかない――。



―――――――――――

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