第4話 大人は大変
大人は大変だなと、つくづく思う。
男子高校生はコートの襟に顔を埋めて白い息を吐きながら、昨日と今日出会った不思議な女性のことを考えていた。
おそらく会社帰りなのだろう、スーツを着て、まだ若いはずなのにやけに疲れた顔をしていた。どうやら社畜にはクリスマスなど関係ないようで、世間に対して毒を吐いていたのが印象に残っている。
そうやって、大人になっていくと楽しみが減っていくんだろうか。
それなら、大人にはなりたくないなと思う。
「お兄ちゃん!」
駅の広場のベンチでエナジードリンクを飲んでいると、正面から歩み寄ってくる人影がある。
白いコートに、真っ赤なミトンが映える。中学生とは思えない童顔で、性格も幼い。自分とは四つ離れた中学生二年生の妹、舞花だ。
「おう、舞花」
「お兄ちゃん、それどうしたの?」
舞花が持っていたエナジードリンクとコーラを指さす。先程あった年上の女性に買ってもらったものだが、素直にそう伝える訳にも行かない。
「クリスマスプレゼントだよ、サンタさんからの」
「えー! なんで」
「いい子だから。コーラ飲む?」
「いらないよ、寒いのに」
舞花は苦笑する。いかに精神年齢が幼いとはいえ、もうサンタさんの正体は知っている。
そうか、とだけ答えて男子高校生はエナジードリンクを煽った。人工甘味料の味と強い炭酸が口内を刺激する。
「そんなことより、お兄ちゃん。さっき凄く素敵なことがあったんだよ!」
「へー、どんな」
舞花は目を輝かせて話し出す。舞花の話を要約すると、先程会った男性が髪飾りを落としたらしく、舞花がそれを渡したが、要らないと返された。それは明らかに彼女へのプレゼントだったので、舞花は彼女に渡すように説得した。結果、男性は考えを改めて彼女への想いがこもったその髪飾りを、きちんと彼女に渡すことに決めたそうだ。
ぼんやりと話を聞きながら、男子高校生はその二人は結局上手くいかないだろうなと考えていた。そんな男なら、正直女の方も別れた方がいいだろう。
舞花の話は脚色や誇張も混じっているようで、語る表情から舞花の感動が伝わってきた。こういうところが幼いんだよな、と思う。なんで恋愛にここまで夢を見られるんだろう。感傷に浸りたい訳でもないのに、元カノのことが思い出される。
別れは自分から切り出した。理由は進路にした。別に、嘘をついたわけでもない。今年で高校を卒業するし、家族の引越しについて行くから遠くの大学に進学する。これからは勉強にも専念したかった。もっともらしい理由で、それでも彼女にすぐ納得して貰えなかったのは、多分言い方が悪かったのだろう。さっきまで付き合っていた相手の傷ついたような顔を見るのは、こちらも辛かった。
恋愛ってそんなにいいものだろうか。
いつか別れて嫌いになる相手と、傷ついてまで好きになることに、なぜ憧れるのだろうか。
「ちょっと、聞いてる?」
気づくと、舞花が顔を覗き込んでいる。
男子高校生は自分の髪の毛を撫でるように弄りながら、
「聞いてない」
「もー!! だと思った」
舞花はもー、と拗ねたような口調で不満を表す。
男子高校生は少し躊躇ってから、思い切った尋ねてみることにした。
「なぁ、舞花。お前今日のことどう思ってんの」
「今日のことって?」
「……マナベ、さんのこと」
あぁ、と舞花はなんでもない事のように続ける。
「どうも、なにも。お母さんが選ぶことでしょう? 2人ともそれで納得してるなら、それでいいんじゃない?」
「本人たちがよければいいってこと?」
「そういうこと」
そう、と男子高校生は気のない返事を返した。
舞花は恋愛に夢見ていて、恋愛が絡むと価値観がいまいち分からない所はあるが、今回に関しては言葉通りには思っていないだろう、と感じた。
マナベというのは、母親の再婚相手のことだ。今日、これから母と兄妹とマナベの三人で夕食に行くことになっている。
父と母が離婚したのは二年半前、自分が高校に入学してばかりの時だった。元々喧嘩の多かった両親は、ついに夫婦であることをやめた。
マナベとは、離婚後始めたパートで出会ったらしい。そこで関係性が発展し、今回再婚することになったのだという。
再婚も離婚も、母がそれを選んだならしょうがない。
しょうがないとしか、言うことが出来ない。
しょっちゅう両親が口喧嘩していたのは分かっていて、でも自分たち子どもはどっちの事も好きだったから離れて欲しくなかった。
本当にマナベのことを父親と思えるのかと疑問に思っていても、毎日仕事を詰める母親の負担と、これからの母の人生を思うと何もいえなかった。
舞花が携帯で時間を確認する。
「まだ約束の時間までは余裕あるね。ね、お兄ちゃん、ここの駅のドーナツ屋さん寄ってかない?
「なんでこれからご飯食べるのにそんなん買うんだよ……それに、マナベさんも何好きなのか知らないだろ」」
「あー、そっか。でも、スタンダードなやつ買っておけば大丈夫じゃない? さっ! いこう」
舞花は行く気満々といった様子で駅を指さしている。こちらからしたら毎日来る駅で日常でしかないが、舞花はまだ中学生で、駅が物珍しいのだろう。
「……しょうがねぇな」
言いながら、財布の中身まだあったかな、と考える。舞花は大仰に喜びながらドーナツ屋へ歩き出した。
舞花は素直だ。子どもの時からずっと。親戚の集まりでも、舞花はよく可愛がられて、兄である自分はお兄ちゃんは面倒みるの大変だな、と言われるまでがセットだった。
その天真爛漫さが羨ましいとつくづく思う。
舞花が早く、と言って振り返るので、仕方なく自分も腰を上げる。
空になったエナジードリンクとまだ未開封のコーラを持ち上げて、ふと思う。
――さっきまで、あの女性といた時は、図らずも『天真爛漫』出来ていたのではないか?
知らず笑みが漏れた。そして同時に悲しくなる。あの女性との会話は楽しかったが、もし母親が再婚すれば自分はこの地を離れることになる。
ただ、もう会えないとしても、今日の出来事は自分の中でひとつの指標になるような気がした。
すっかり暗くなった空、周りが明るいせいで全く見えない星を探しながら、その中で一つくらいは星を見つけられた気がした。
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