第3話 初めての喧騒

「お兄ちゃん、どこだろう……」


 少女は不安がない声音でそう呟いた。

 今日は気合いを入れるべく、おろしたての白いコートに、真っ赤なミトンを付けてきた。中学二年生のあどけなさを残した顔立ちは、皆からすると童顔に見えるらしい。

 兄を探し、キョロキョロとあたりを見渡す。クリスマスの駅前広場は人が多く、探し人は見つからない。携帯で連絡するが、画面を見ていないのか返信も来ない。

 もしかしたらまだ高校から駅に向かう途中なのかもしれない。兄探しを諦めて手頃な壁に寄り、しんしんと降る雪をぼんやりと眺める。思わず漏れた吐息が、白く染まっていく。

 その時、隣でバサッガサッと荒々しい音がして、少女はびくりと体を震わせた。恐る恐る音の発信源を見ると、顔に疲労が滲んだまだ若い男が、荒々しく鞄を漁り、携帯で何事かを確認している。


「クソッ……! どうしてこう、いつも……」


 急いでいるのだろうか。何事か吐き捨て、頭を掻きむしり早足に歩き去ろうとする。往来の人々は多くがその荒々しい男性を遠巻きにしている。関わりたくないなと思っていると、少女の目はあるものを捉える。

 迷いは一瞬だった。少女は男性が落としたものを拾って、歩幅の違う彼へ駆け寄った。

「……っ、あのっ!」

「…………あ?」

 上擦った声に、恐ろしい剣幕のまま男が振り返る。遠慮もなく漏れた舌打ちに、少女は身を震わせながら拾った『それ』を差し出した。

「あの、これ……落としましたよ」

 粗暴な男が少女の手の中のものを見て目を見開いた。申し訳程度に花のシールで飾られた、透明なビニール。その中には、およそこの男が使うとも思えない繊細な装飾の施された髪飾りが入っていた。

 怯える気持ちを振り払うように、少女は笑った。

「……彼女さんへのクリスマスプレゼント、ですよね? 落ちちゃったけど無事だから、渡してあげてください」

「……」

 男はバツが悪そうな顔をした。

「…………いらねぇ。捨てといてくれ。それかお前が使え」

「え?」

「いらねぇっつってんだよ。それは彼女へのプレゼントとかじゃねぇ。お前が拾ったんだ、お前が使え」

「でも……」

「っせぇ!」

 怒声に、周りの目が男へと集まる。中学生くらいの女の子を、若い男が怒鳴りつけている。そのただならぬ様子に近くにいた大人が一人、二人に歩み寄ろうとする。

 しかしそれを遮るかのように、少女が大きな声を上げた。


「なんでですか!? 違うんですか!? こんな素敵な髪飾りなのに。渡したい人がいるなら、渡さなきゃ!!」


 少女は早口に捲し立てた。もはや恐怖などどこかへいってしまっていて、ただ髪飾りと姿も知らない女性しか頭になかった。

 それまで少女を睨みつけていた男の表情が一気に驚いたような顔になる。二人に歩み寄ろうとしていたスーツ姿の男性も大声に驚いた様子で足を止め、踵を返して去っていった。

「渡さなきゃ! こんな素敵な髪飾り、私が付けたんじゃ似合わないですよ!!」

「……な、」

 男はしばらく言葉を失っていたが、しばらくすると冷静さを取り戻し、宥めるように少女に言う。

 想像以上の剣幕に、すっかり毒気を抜かれたようだった。

「わかった、わかったから。そんな大きい声出すな」

「本当ですか? ちゃんと渡しますか?」

「渡すかは、わかんねぇけどよ……」

「なんでですかっ!」

 先程までの怯えていた様子はどこへやら、だ。男は調子が狂うなという風に頭を掻いた。

「あいつ……彼女に何が似合うかとか分かんねぇし、渡せば何でも喜ぶから、ぶっちゃけ何がいいのかわかんないまんま買ってきちまったんだよ。だからお前が貰ってくれ、そんなもん」

 その言葉に少女はすぐさま反論する。

「絶対似合いますよ! だって彼女さんなんでしょ?」

「は?」

「彼氏にとって彼女は、何やってたって、それこそ、どんな髪飾りをつけてたって似合ってて、可愛いんですよ!」

 男は心なしかげんなりとした顔をした。一方、少女は目を輝かせて言う。だってそうだろう?

「だって、好きなんですから!」

 男はその言葉にわずかに眉を顰めた。

「……そうかよ」

 男の微妙な心情には気づかないまま、少女はまくし立てる。

「そうですそうです! ……それに、そんなに考えて選んでくれてるって、それだけでも嬉しいことですよ、きっと!」

 男はとうとう黙り込んだ。

 少女は暗い夜を照らすような笑顔で、髪飾りを男へと差し出した。

「というわけで……はいっ!」

 男は黙ったまま素直にそれを受け取り、じっと中の髪飾りを見つめた。

「……悪かったな、乱暴な態度とって」

 ややあって、男がボソリと呟いた。少女は少し驚いたが、すぐに自分の言葉が相手に響いたのだと思い、明るい声を出した。

「いえいえ! 全然気にしてません!」

「そうか。……じゃあ」

 男は少女に背を向ける。少女は最後その背中に言葉を投げかけた。

「彼女さん、喜んでくれるといいですね!」

 馬鹿みたいに明るい声に顔を顰めた男の表情は、少女には見えなかった。その表情に怒りはなく、困惑に僅かな悲しみの感情が混じっていた。

 歩き去っていくぶっきらぼうな背中に、少女は手を振り続けている。

 よかった。あの髪飾りをつけた彼女さん、きっと素敵なんだろうな。

 さっきから、口元から溢れる笑みを抑えられない。あぁ、素敵だ。お兄ちゃんに報告しないと。

 自分がもらった訳ではないのに、不思議と満たされた気分だ。少女は軽い足取りで兄を探すためまた歩き始めた。

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