緊急発進!兎鉄!

 アオサカ町に降りた遂行機、その姿は定かではないが、今まさに攻撃を開始しようとしているであろうソレの足音が、幾つかの薄い建造物を隔てた向こう側から重く鳴る。

 敵機は近いが、会敵まで少々ほどの猶予はある。

 幸い拠点まではそう離れていない、急いで戻れば兎鉄を起動し、迎撃を始めるのに十分足るだろう。


「迎撃する、兎鉄のエンジンキーをくれ」


 ライロウはできるだけ落ち着いて、かつ聞こえてくる足音に負けじと声を張る。

 ミクミは頭が回る、こういう時にどう行動すればいいかは彼女もよく分かっているはずだが、彼女は息を荒くし、不安げな顔色でライロウを見るばかりだ。

 騒いでこそいないが、軽度のパニック状態と見ていいだろう。


「……しっかりするんだ、ちゃんと僕がパイロットをする」


 彼女と目線の高さを合わせるように屈み、両肩を掴んで少し揺さぶってやると、彼女はゴクリと喉を鳴らし、確かに頷いた。


「ひとまず拠点に戻ります、ライロウさん、抱えてください」

「合点だ」


 ミクミを脇に抱え、踵を返すライロウ。

 重い足音を背に受けて全力で走り、一度も立ち止まらないままに拠点の扉を滑り込むようにくぐると、ライロウの腕から降りた彼女は、コートの中からシンプルな金属の鍵を取り出す。

 鍵にはウサギのキャラクターがあしらわれたストラップがぶら下がっており、言葉にせずともそれが兎鉄のエンジンキーだと分かった。


「私は拠点から通信でサポートします、道のナビゲートくらいなら──!?」


 その言葉を遮るように、先ほどまでの足音とは比較にならないほどの爆音が耳をつんざく。

 それも音だけではない、拠点全体が大きく揺れ、天井に設置されていた照明のいくつかが落下してガラス片を撒き散らし、2回目の爆音のあとに、今度は天井の一部そのものが崩れて雪崩のように降ってくる。

 兎鉄やミクミ達には奇跡的に当たらなかったが、山のように重なった瓦礫を見れば確信できる、アレの下敷きになれば助からないと。


「こ、攻撃してきた!? どうして!?」

「遂行機での人殺しはレギュレーションで禁止されていると聞いたけど、間接的ならアリなのか?」

「そんなわけないじゃないですか! なんで、どういう目的で……どうしようどうしようどうしよう……!」


 遂行機戦において人命が失われてはならない、だが拠点は敵機体からの襲撃を受けた、直接攻撃を受けていなくとも、この建物の崩壊に巻き込まれれば死ぬだろう。

 何かの手違いで起きた攻撃なのか、明確な殺害意思を以て行われている攻撃なのか、それを確かめるためにも兎に角安全を確保しなければ。


「すまないミクミ、今から嫌な思いをするかもしれない」

 

 ミクミは遂行機に乗る事を嫌がっている、だがこれから戦場になる拠点の外に単身放り出すわけにもいかないとなれば、いつ危険物が降ってくるかも知れないこの状況で安全なのはコクピットだけだ。

 返事を待ったり顔色を窺っている時間などは無い、ライロウは半ば奪い取るように兎鉄のエンジンキーを受け取り、彼女を再び脇に抱えて兎鉄の元へ向かった。


「嫌だ! 離して!」


 手足を暴れさせて抵抗するミクミだったが、サイボーグの拘束を解く力があるはずもなく、ほとんど押し込まれるような形でミクミが後部オペレータ席に尻をつく。

 頭を抱えて縮こまるミクミにシートベルトをつけてやり、パイロット席に座ると同時にハッチを閉めると、一呼吸置いて兎鉄のエンジンキーをキーシリンダーに挿しこんだ。


「素直に起きてくれよ!」


 キーを持ったままの手首をひねる──と、キーを通して振動がライロウの身体に伝達する。

 体をゆさぶるような強いものではないが、胸に手を当てれば心臓の鼓動が解るように、キーから伝わってくる確かな揺れと、獣が唸るような低いエンジン音は、まさにアオサカ町唯一の戦力“兎鉄393カスタム”が目を覚ました証拠だった。

 

 “HAL-OS ver.1978”


 メインモニタの中央に短くそう浮かび、入力信号が兎鉄のセンサーから受け取ったものに切り替わる、レンズのオイル汚れが少々邪魔ではあるが、周囲をしっかり視認できている。


「兎鉄! 緊急発進だッ!」


 コクピットの外から聞こえる爆発音と足音に急かされ、駐機状態の膝立ち体勢から動かさないまま脚部ローラーホイールを全速で回す。

 高速移動に適した体勢であればローラーによる走行は強力な移動手段となる、だがこのような無茶な体勢からでは上手くバランスをとれるはずもなく、兎鉄は走り出して早々に前のめりに倒れこみ、眼前の薄いシャッターを全体重で破壊しながら、地面を転がるように拠点の外に這い出るのだった。

 その直後に拠点はいっそう大きな軋みをあげ、先ほどとは比較にならない規模で天井が陥落する、あと少し遅れていれば生き埋めは免れなかっただろう。


「ミクミ、無事か」


 後部座席からは荒い息遣いと、時折呼吸に混じって小さく悲鳴が聞こえるだけで、ライロウの言葉に返事は返ってこない。

 だが、予想外の声が言葉を返した。


『遂行機だと? 聞いてねぇぞ!』


 雑音混じりの青年の声、当然ライロウやミクミのものではない。

 サブモニタに表示されている通信ステータスをちらりと見て、この声がオープン回線から拾ったものであることと、敵機のパイロットの声であることを理解すると、ライロウは機体を起き上がらせながら回線に声を乗せた。


「君が襲撃者か、人間が瓦礫の下敷きになったらどう責任を取るつもりだったんだ」

『弁解の余地も無ぇ、クライアントからはゴーストタウンだって聞いてたんだが』

「クライアントだって? 君は雇われか、目的は?」

『話せねぇな、仕事内容は』


 刹那、巨大な影が兎鉄の頭上を掠めた。

 空を滑るように移動する影は兎鉄の前で減速、ホバリングし、その姿をようやく露わにする。


『俺は“Xe-237 アオイ”、機体識別名“マスタング”』


 マスタングと呼ばれた機体は巨大なフライトユニットを背負った藍色の遂行機であった。

 武装類は極めて軽装に見えるが、フレームを覆う装甲は着ぶくれしているかのように厚く、空力特性を意識して曲面状や斜めに配置されたそれらは、高い防御力はもちろん、弾を受け流すことにも秀でているだろう。

 サメの背びれを思わせるアンテナが特徴的なヘッドパーツには一本線のようなセンサーが配置されており、鋭い目つきでライロウらを見下ろしていた。

 

『悪ぃが面と向かっての謝罪は後だ、退いてやれねぇ事情がある……!』


 マスタングの両手に握られている短機関銃が向けられ、間髪入れずに放たれた弾幕が兎鉄に迫る。

 わざわざ姿を晒してからの攻撃は、アオイと名乗った青年なりの誠意だろう、そんなことは命がかかった戦いならば絶対に行わない。

 彼の反応から鑑みるに、遂行機戦で人命が失われることはやはりあってはならないようだ。


「ミクミ、君の言ってた通りだ!」


 当然、誠意を見せられようが攻撃を受けてやる気はない。

 後方に飛び退き弾幕を回避、着地と同時にローラーホイールで後退、とにかく距離を取るために全速を出すが速度はせいぜい70km程度、相手は人型兵器を飛行させるほどの推力を持つフライトユニットだ、直線では追いつかれるのにそう時間はかからないだろう。

 左右に見えるのはは寂れたコンクリート達ばかり、時々曲がり道があるが、遂行機のサイズでは窮屈である。

 幸い車道の幅が広いため走行そのものに支障はないが、早急に直線を脱しなければ、結果の見えているレースを続けていても勝機は無い。


「武器は無いのか!?」


 サブモニタに機体の状態を表示させ、兎鉄が現在使用可能な武装を確認するも、そこには心許ない数行があるだけだ。

 兎鉄が現在使えるのは武器ですらない物ばかり、サブモニタには上から順に“くぎ打ち機”がひとつ、“多目的ワイヤーアンカー”が片腕に1つずつ、“発破用リモートダイナマイト”が5つ、名前だけで分かる通り、全て作業用の道具である。

 

「ぶ、武器、たくさん用意してた、のに」


 ミクミがひっくひっくと息を吸う音混じりに、オペレータ席でぼやく。

 拠点から無理やり脱出をしたのだ、戦闘用の装備の殆どは瓦礫の下に埋まってしまったのだろう。

 絶望的だ、速度も足りなければマトモに攻撃できる手段すらない、襲われても抵抗ができないのでは、遂行機に乗っていないのとほとんど変わらないではないか。


「ミクミ、頑張ってみるから」

「この戦闘をどうにかしたとして、今日の傭兵試験に合格できるんですか? 装備を回収する時間も、兎鉄を直す場所や時間も無いのに」


 ああ、そうだった──と、返す言葉を失ったライロウが押し黙ってしまう。

 この戦闘は完全にハプニングだ、試験のソレではない。

 ここを切り抜けたとして、本懐は果たされない。

 

「敵は目の前にいるのに、アレを倒しても何も変わらないのか」

「降参すれば、兎鉄だけは五体満足で確保できるかもしれませんが……この子そのものは少し硬いだけの作業機です、武器が無いのでは、もう……」

「ううん、降参か」


 全てを解決できるような天才的なプランは無い、だが、ライロウは心許ない兎鉄の手札と、メインモニタに映る景色と、彼女が発した“降参”という言葉を聞いて、ほんの少しの可能性を見つけていた。

 傷心のミクミに「なんとかする」なんて無責任は言えない、だから、全て正直に話すことにした。

 

「さっきからいいアイデアが浮かばないんだ、工具じゃ装甲に傷はつけられない、ダイナマイトも機動戦じゃ使えなさそうだし」

「はい……そうですよね」

「けど、上手くやればあのアオイって傭兵は倒せると思う」


 マスタングとの距離は縮まり続けている、射程内に入れば、兎鉄は一瞬のうちに弾幕に削り取られるだろう。


「遂行機戦って、要は降参させればいいんだろう」

「降参させるって……私たちには交渉材料もありませんし……」

「交渉なんかしないよ、ちゃんと戦う、そして勝ってからアイツの武器を奪う、そうすれば兎鉄は武装できる」


 兎鉄もできるかぎりの力で後退しているが、やはり振り切れない。

 モノアイはずっとマスタングを睨みつけているが、2機の距離が50mくらいになっただろうか、兎鉄の視界には2つの銃口が映り、今まさに引き絞られようとしているトリガーにピントが合ってしまう。 


「ミクミ、正直言って僕のプランは穴だらけで纏まりが無いんだ、けど、降参しようがしまいが、どっちみち泥船なら……」


 アオサカ町の構造を把握していないライロウでは、このまま直進を逃げ続けるジリ貧を続けるしかない。

 ミクミであれば上手く敵機の追跡を振り切れるルートを知っているかもしれないが、このまま全て諦めるつもりなら、もう協力などしないだろう。

 しかしミクミは少し背中を押してやれば必ず奮う、思い出すのは“シミュレーションモード”で散々駆け回った練習用のマップ──確信に近い感覚がライロウにはあった。

 

「……2秒後、右です」


 オペレータ席で、ミクミが意を決したように言う。

 1秒が過ぎ、2秒目に差し掛かる──瞬間に兎鉄の軌道を変え、ミクミの指示通り右折した。

 先ほどまで兎鉄がいた場所を無数の弾幕が通り過ぎ、少し遅れてマスタングの影が轟音を立てながら遠ざかる。

 兎鉄は直進を抜けた、右側の路地に逃げ込んだのだ。


「まだ敵機の視界から外れただけです、次の指示で左折してください! この先の廃工場に逃げ込んで緊急ブリーフィングを開始します!」

「了解、あとナイス! なんにも頼んでないのに道案内してくれるなんて!」

「作戦を話してほしければ落ち着ける場所に案内しろって、顔に書いてましたよ」

 

 降参して五体満足の兎鉄を試験に持って行っても、武器が無いのでは実戦形式の試験は突破できない。

 だが、ここで足掻けば、小さな勝利と武器を奪いとれるかもしれない。

 真剣師も裸足で逃げ出すほど分が悪いギャンブルに、身を投げることを選んだのだ。

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フロップニクHAL @POTOIMO

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