第10話 白鯨の騎士

 私がその人間に出会ったのは、6年ほど前のことになる。

 原始的な戦闘民族の中でも、特に秀でた筋力と反射速度とを持ち合わせたウルファ族の総代。それがその時の私の立場だった。ウルファ族の数は誰も知らない。だが、部族の数は5つに分かれる。それぞれに20万程度がいると目されているので、私の配下は100万ということになる。ひどく、ざっくりとだが。そして、その中で精鋭は20万。とはいえ、これも類推に過ぎないが。ウルファの他にも、ゴブリンやホブゴブリン、オーガー、ハーピー、リザードマンなど数多の種族と、それぞれに分岐した部族が存在するが、統率力と武力だけを比較すれば、ウルファ族が頭一つ分、抜きん出ていた。

 ウルファの総代、と言ってもさしたる感慨もない。

 永劫の時の中、ほんのひととき、今はこの役回りを楽しんでいるだけに過ぎないからだ。

 役割があるということは、実に良い。

 めまぐるしく状況が変わり、1年という歳月を数えることにさえ、大きな意味を感じる。

 何より、退屈しない。

 ウルファの一族を傘下に収めるまで、私は8年の歳月をかけた。

 その時間が、長いか遅いかは私には判断できるだけの材料はないが、当面のところこの身体はいたって健全、もうしばらくはこの役を楽しんでいられそうだ。だから、次の目標は、付近一帯に生息する戦闘民族の中央集権化とした。

 とは言っても、農耕民族たちから学んだこの社会構造が、そのままこの哀れなほどに利己的で刹那主義な連中に根付くとは到底思えない。目下のところは、軍事同盟で満足すべきだろう。

 その方法は、至ってシンプルだ。

 戦い、奪い、脅す。

 その結果、受け入れるのならば自治を許し、拒絶しようものなら、認めるまで同じことを繰り返すだけだ。

 これが間違って、交渉などを始めようものなら、騙し打ちを喰らうだけ。

 まず右手に剣、次いで左手に盃。

 これが、私が彼らから学んだ戦闘民族の流儀なのだ。

 戦闘民族という言葉も、少々長ったるい。先に述べた西に住む農耕民族たちの言葉を借りれば、前者が蛮族、後者が人族となるが、正直なところこれは私にはピンとこない。何が野蛮な行為であり、何が人たる所以なのか。だから、私は今後こう表現することにする。

 戦人(いくさびと)と、国人(くにびと)。

 では、その戦人たちとの軍事同盟を拡大するにあたり、私が選択した方法は何かといえば、彼らの流儀に則った剣と盃である。しかし、盃を満たすのはどぶろくでも、葡萄酒でも、はみ蜜酒でもない。

 それは、私の血だ。


 その血を呑ます相手を求めて、私は国人たちとの生息域に近い海辺の都市に来ていた。

 ここは、内陸部の戦人たちとは異なり、国人たちと共存し、交易を行うことで富と知恵を蓄え、どの部族よりも栄えていた。

「定住は弱さを生む」

 遊牧と他部族の襲撃を主な生業としている戦人にあって、それは鉄の掟の如く語り継がれている。

 しかし、石造りの都市を築き、金属製の通貨を蓄えることで生活水準を引き上げていくこの都市の戦人のありようは、私の好奇心を大いにそそったのだ。

 この都市の周遊は、楽しいひとときとなった。

 改築と増築を繰り返し、幾層にも積み上げられたチグハグな様式のコンドミニアム。

 無理な改築が祟って、崩れ落ちた瓦礫の上に、それでもびっしりと並ぶ色とりどりのテントの集合体。

 別の部族からの度重なる襲撃によって、焼かれ、崩されたカーテンウォール。

 崩れたカーテンウォールに広げられた、原色の洗濯物。

 狭い路地をかき分けて進む戦人と国人たちの混成集団。

 そして、それらを轢き殺さんばかりに強引に進む、衣を満載した荷馬車。

 喧騒と怒鳴り声、商いの呼び込みに、何が原因か知れぬ喧嘩沙汰。

 路地裏には、汚物と死体が蓄積し、カラスとネズミが蠢く。

 疫病が発生することさえお構いなし。

 実際、私の護衛役が数十名、この都市について一週間ばかりのうちに立て続けに病にかかって死んだ。

 都市の基本構造は、国人たちのそれを模倣したか、彼らに造らせたものに思えた。

 上水を引く錫の管、通りの中央部分、半地下を流れる下水路などは、到底戦人の発想とは思い難いからだ。

 いかんせん、維持管理、修繕の概念は乏しいようで、雨が降れば腐臭のする汚水が通りに溢れ出した。

 この都市の名は、クェルラート。

私の想像では、元々決まった名はなく、この都市に来た国人たちがそう名付けたのだろう。

 なぜなら、一部の国人たちの言葉で、それは「あちら側」を意味するものだからだ。


 膨大な時間を持て余す私だが、かといって遊んでばかりではない。

 私の仕事は常に効率的で、的確であり、且つ確実性を持って実行される。

 5万の兵を都市外縁部に配置し、代表者との面会を求めたところ、スムーズに実現することができた。

 あとは、いつものやり口である。

 一通り、この地方の食文化を堪能した後、この都市の代表を名乗る戦人の部族長と、商人の代表を名乗る国人の大商人を一人ずつ残し、一斉に殺した。二人には銅板の宣誓書に著名させ、私の血を呑ませる。仕事は、短時間のうちに効率的に済ませるべきだ。おかげで、鼻をつく臭いがする妙な草を使ったスープや、舌が痺れるような赤い色の鶏肉などではなく、慣れ親しんだ新鮮な肉をゆっくり時間をかけていただくことができる。

 労働後の食事を済ませた私は、大きく開放された窓辺から外の景色を眺めていた。新しく支配下、もとい同盟都市となった街の様子を一望していたのだが、そこでさらに興味をそそるものを発見した。

 ややあって、港から聞こえて来たのは、忙しなく鐘を連打する音。

「あれは何か」と、族長に尋ねると、国人たちの軍艦ではないか、と答えた。

 私はこの都市とは、良い縁で結ばれているようだ。

 こうも立て続けに、楽しい出来事に相見えようとは!


 40隻ものガレー船団による襲撃は、クェルラートの防衛能力のみでは抗いかねた。今日、この日に、私と私の配下の5万がこの場に居合わせたことは、星々の思し召しだったのかも知れない。私と私の配下の魔術により船を焼かれ、海に飛び込む国人の兵士たちを、港と沿岸部に押し寄せる5万の兵が出迎えた。

 生き残った指揮官を捕え、私は服従の証として血を呑ませた。

 血は、私の全てであると同時に、端くれでもある。

 指揮官の性格、記憶、人生の全てが、その体内の私に影響を及ぼし、渾然一体となって新たな命が芽吹く。

 私の中の一つが新たに生まれ、私はしばしの間、それに意識を集中することにした。


 私―いや、俺はモルテ=ポッツの王族として生まれた。

 病気がちな長男を残し、一族の男たちは全員軍艦に乗った。

 クェルラートは蛮族、魔族、悪魔たちが築いた悪夢の街だ。俺たちの民は、年に数回訪れる奴らの略奪船に怯え、その都度多くの民が攫われる。今回の戦は、攫われて奴隷として売り買いされた民たちを開放し、金輪際二度と、その恐怖に民たちが怯えないで済むようにするために起こした報復戦だった。

 俺が上陸した港には、同胞たちの死体で浮き橋ができ、その海水は同胞たちの血によって、すでに真っ赤に染まっていた。炎上した軍艦は、夜半になってもなお、波間を赤々と照らし続け、動かなくなって久しい死体の山を、蛮族たちは歌いながら槍で突いて遊んでいた。

 俺は、この景色を決して忘れることはない。

 捕われた際の記憶はあまりない。傷を負い、海に落とされ、しこたま海水を飲んだ所為で、生死を彷徨ったからだ。気がつけば、地下牢の中で鎖に繋がれていた。

 開放されたのは、5日後のことだ。

 白く濁った水と、ウジの沸いたしけったパンを与えられ、それを与えた者が、俺の支配者だと告げられた。

 混濁とした意識の中で、俺は困惑した。それを俺に伝えたのが、同じ人族、しかもモルテ=ポッツの地方語とほとんど変わらない言葉を話す者だったからだ。

 俺がこの都市のあり様に適応するには、12回の逃亡と12回の折檻を受けるまでの時間を要した。

 蛮族どもの兵力、指揮系統、城砦の構造から、人族を交えての社会構造までをその過程で学んだ。

 どうやら俺は捕虜の身でありながら、二等市民資格を持つらしい。他の同胞たちとは異なる待遇のようだ。なんでも俺のご主人様とやらは、この都市を牛耳る部族長よりも階級が高く、しかも何故か、すでにこの都市には滞在していないという。捕虜であり、奴隷でもあり、二等市民という不可思議な立場が、今の俺だった。もしかすると、捕虜に対しての「貴族待遇」という文化が、この都市にもあるのかも知れない。

 二等市民とは、いくつかの制約を受けた市民を指した。

 働いて売上の5割の税金を族長に納めること。上級市民や軍属に対して、道を譲り、その際には首を垂れること。神に祈る行為の禁止。子を儲けてはならない。都市の外壁から外へ出てはならない。その他は、盗みや喧嘩、徴兵などに関するものだが、この都市では誰一人、それらを気にかけている者はいなかった。路地裏での強盗や、酒場での喧嘩沙汰は日常茶飯事で、他部族の襲来時には自前の武器を携えて、略奪目的で意気揚々と応戦するのだから、わざわざ徴兵されるまでもなかった。しかし、指揮系統も何もあったものではないのだが。

 そして、上級市民は、一部の裕福な人族たちと、力の強い血統種にあたる蛮族たちから成り、それらは税金を納める義務がない。逆に言えば、二等市民はこの10万を超える人口を持つ、大都市の大半を占め、独自に商いをし、奴隷を買い、不動産を所有する権利さえ有している、いわば労働階級だった。

 意地を忘れ、よくよく考え直してみると、解放奴隷並みの一定の自由を有している。ガレー船団に乗る前に考えていたクェルラートの姿とは、大きく異なっていた。蛮族が優位な立場であるが、ここには悪魔もおらず、悍ましい邪教の噂もない。野蛮で生命の価値が著しく低い文化だが、武力背景さえあれば人族の商売も蛮族たちを相手に、対等に渡り合っている様に見えた。

 兄弟たちの消息は、死亡と聞いていたが、それもこの粗雑な社会では当てにならない。先の戦の戦死者数など、誰一人として数えていないのだから。

 俺は、ひとまず食いぶちを稼ぐために、傭兵稼業を始めることにした。

 路地を張り、人族の商人の護衛になんくせをつけ、大した理由もなく打ちのめす。すると、簡単に雇われた。しかし、それは呪いのおまけ付きだった。雇い主を裏切れない、という主従契約の呪術だ。まぁ、そこは甘んじて受けることにした。

 商人の護衛役は、俺にとって有益な情報を得る恰好の生業となった。

 蛮族たちの好みと、人族たちの好みは全く異なる。故に、需要が異なる二者間での商売が成り立ち易い。金銭での取引以外にも、物々交換という手法をとれば、換金の際に生じるいざこざを回避できる。大きな取引となれば、駆け引きも苛烈になった。相場の概念を覆す手段として、代理人の決闘が行われることさえあった。この場合の代理人とは、つまり護衛役だ。

 貴族として生まれた俺は、物心がついた時から、リベラルアーツをはじめ、武芸と馬術、そして操船術を教わっていた。その中でも特に、俺は武芸と馬術に秀でていた。徐々に、蛮族たちの使う言葉にも慣れ始めた俺は、雇い主にとって重宝する人材として認めれた。

 ある程度の賃金が貯まった頃合いを見て、俺は雇い主に持ちかけた。

 独立して西方貿易を始めたいから、しばらく後援についてくれ、と。当然、今後は利益誘導を行なってあんたにも儲けさせる、という内容だ。

 正確には、船に乗って買い出しができる身分にない俺にできる仕事は、仲買人だ。その仕事に役立つ隠し玉を俺は持っていた。幼少期に、家庭教師から魔力を視認できるようになる魔術を習得していたのだ。貴族時代に養った工芸品、美術品の鑑定眼に合わせ、この力を使えば、真に価値のある品を見定めることができるはずだ。これなら、神に祈る行為に当たらないため、二等市民の掟に抵触しない。

 呪術の効果を過信したのかも知れないが、雇い主は数日だけ保留にしたのち、貿易商を紹介してくれた。ダメ元ではあった。だから、些か拍子抜けしたものだが、その内情を…商人同士の事情というやつを聞くことで、納得がいった。

 異なる分野には、手を伸ばすな。

 武器は良いが、食糧には手を出すな。

 奴隷の派遣業は蛮族たちの専売特許だから手を出すな。

 貿易は目をつけられやすいから、護衛の数を増やせ。

 要は、稼ぎが目立つ奴は、いわれのない恨み、妬み、あるいは単に目障りだからという理由で、簡単に消されるという話だ。雇い主は食指を伸ばしたいものの、尻込みをしていた貿易業に、呪術で縛った傘下の人間が参画することに新たな利潤獲得の機会を見出したのだった。

 言葉さえ獲得すれば、西方出身の俺にとって、貿易業は水を得た魚だった。どういうわけか、西方から物資を買い集めた帆船は定期的に寄港し、物品は競市にかけられる。なぜ、これほどまでに多くの物資がやりとりされるのか、理解しかねた。俺の知らない裏のルートが、航路には存在するのかも知れない。何はともあれ、今の俺にとって、流通が盛んなことは慶事だ。

 蛮族のガレー船が寄港すれば、略奪品の競売となるが、これには欠かさず参加することにした。簒奪者はとにかく早く、金に変えたがる。船を空にしないと、次の略奪に向かえないからだ。往々にして、奪った物の価値を知らない簒奪者相手の取引は、大きな利潤を産むことになった。

 元手が増えると、取引量も増える。取引量が増えれば、利益も上がる。そして、俺は裏路地で通り魔に襲われる回数が格段に上がった。最初に雇った奴隷による護衛役は、すぐに消費してしまった。値は張ろうとも、もっと腕の立つ護衛役を仕入れる必要があった。俺は、モルテ=ポッツの奴隷の中で、腕が立つ奴を見つけては、護衛役として買い取り始める。彼らには、呪術による拘束は不要だったことも、その理由の一つだ。

 一度、人族からの支払いが滞り、兵隊を引き連れて債務履行を「交渉」した際、タブーと言われていた小麦を引き取らされる羽目になった。実のところ俺は、タブーの理由を遠回しに二通りあると、勝手に勘違いしていた。蛮族たちの食糧の中には、人肉も含まれているから、取引はやめておけ、という「人道的な理由」と、人族、蛮族の間では食糧の物々交換は成り立ち辛いので、取引が滞る「不動在庫」となる危険性からと思い込んでいたのだ。

 だが、理由はもっと単純だった。

 どこから情報を仕入れたのものか、小麦を保管した倉庫が襲われたのだ。

 この都市では、飢えた人族の二等市民や、奴隷たちはありふれた存在だった。

 途方にくれた俺は、元の雇い主に援助を申し出に出向いた。

 そこで知ったのは、雇い主の死だ。

 最後まで、ヘンテコな名を覚えることはなかったが、宝石や絹の羽織を好んだその人族の男は、魔術を使う蛮族の奴隷に服従の呪術を破られ、所持品目当てに殺されたのだった。

 奴の死には、特に感慨はない。強いて言えば、売上の1割を納めていた上納金が、無駄になったことくらいだ。しかし、世帯が増えていた俺は、護衛役や荷運び役たちの腹を満たすために損失を回収する責任があった。また、常に下剋上を狙う同業者たちから、舐めた目で見られ続ける訳にもいかない。

 正直なところ、この都市の蛮族と人族たちには、怒りと共に嫌気が差していた。教養もなく、節度もなく、娯楽と言えば奴隷や恨みを持つ相手を捉えていたぶり、なぶり殺すばかり。音楽を嗜み、詩を紡ぎ、歴史から教訓を学ぶような輩には、一度も出逢ったことがない。富と暴力と性と食欲。この都市にいるのは、蛮族、人族の区別など最早存在しない。そんな自暴自棄にも似た心境に達していた俺は、手早く量を売れる商法に切り替えた。

 品質の良い商品を高く売るには、この都市は向いていない。例えるならば、ピーチよりもレモンだ。要は、質が悪かろうが安く大量に捌くことが、安定した取り引きを確保する秘訣なのだ。こんな連中を相手に、品格の高い商売をする気には、もうなれなかった。

 5年か6年か、何せ10ヶ月しかない暦のルールを正確に理解できていない俺には、どれほどの年月が経ったのかあやふやだったが、この都市の雰囲気を一変させる日が訪れるその日には、50人の私兵を常駐させる中堅の貿易商となっていた。

 俺の正式な主人が再度、来訪したのだ。

 要塞と化した俺の商館に訪れたその男の目を見た瞬間、俺はあっさり正気を失った。


 自分の身体が縦に伸び、天井へめり込んでも止まらない。手足の先から泡のように分解し始め、俺はこの世から消失する。暗い世界、全天に光る星々たち。美しく七色に光る雲海。目がくらむほどに巨大な、ゆっくりと回転する蒼い球体。空をふわふわと降る白い雪。うっすらとした光しか届かない海底。腹をぼんやりと光らせながら泳ぐ魚たち。天空へと白い柱を打ち上げる大海の大噴火がもたらす灼熱。大地を焼き尽くしながら、天を泳ぐ巨大な獣たちの咆哮。洞窟に群がる無数の人々の祈りの唄。赤く燃える鋼を叩く槌の叫び。


 気がつけば、俺は支配者の前にただ、立ち尽くしていた。

 初めて見たはずのウルファ族の男に、まるで育ての父親と出会ったかのような錯覚を覚えていた。俺の全ては、俺の中にある血の一滴に至るまでは、こいつに支配されていることを何故だかは解らないが、確信を持って俺は悟った。

 それは、この男の魔術か、あるいは神通力の類なのか。俺は無言で俺の瞳を見据えるこの男の、その目するところを完全に理解ができた。

 これから俺は、兵を従えて「向こう側」へと侵攻するのだ。

 全世界を支配下に置くための、戦人による国人の世界への大侵攻の始まりだ。

 彼が今ここへ来て、それを思った。

 故に、この大侵攻は開始されるのだ。


 彼は都市の者たちに『バルバロイの導き手』を名乗り、迅速な侵攻開始を命じた。異を唱える者は、その内容の如何を問わずに首を落とされた。戦人も国人も、商人も奴隷も、今までこの都市を形成していた社会構造、風習、文化に至る何もかもが一夜のうちに消え失せた。

 私掠船の一隻を任され、俺は私兵たちとウルファ族の兵士たち、そして櫂こぎ役の奴隷たちを乗せて出航した。

 季節は夏、海は稀に急激な荒れ模様になることはあっても、大方は凪の季節。しかし、食糧や攻城兵器などを積み込む時間的な余裕も、またその準備すらもないまま、まるでバルバロイの導き手から逃げるように、クェルラートの港からは、次々とガレー船が出港していく。艦隊すら組まずに、指揮系統は船ごとにバラバラなまま。

 その目的は、国人世界への侵攻。


 俺が正気を取り戻したのは、荒海と呼ばれる二つの半島の中間地点を過ぎた頃だった。

 港を出港した際の記憶は、朧げだった。

 俺は、一体何をしている?

 蛮族を乗せた船を操舵し、人族の住む町を襲撃するのか?

「どこまで来た?」

 俺が操舵手に話しかけると、彼は仰天した表情で俺の顔をまじまじと見据えた。

「なんだ、どうした?」

「い、いえ。正気を取り戻したのですね」

「いいから、質問に答えろ。ここは、どこだ?」

「ちょうど荒海の中央付近、出港から丸一日、経っています」

 その間の記憶はある。だが、妙なことに思考した記憶がない。すると、ずっと呆けていたのだろうか。

 それでもここまで無事に航海を続けられたのは、モルテ=ポッツの船乗りたちを手勢にしていたからだ。このまま風に恵まれれば、2日後には対岸にあるはずの港町へ到着する。あるいは右手へ舵を切れば、3日でモルテ=ポッツの故国へ辿り着ける。

 俺は甲板の端に腰掛け、酒を煽ることにした。

 海風と夏の日差しをアテに。

 俺の動きを、ウルファ族の戦士たちが目で追っていた。

 筋骨は逞しく、背丈は標準で2mもある。前屈みの姿勢が多い蛮族の中で、ウルファの民は人族とほぼ変わらぬ直立型。顔は顎と下側の牙が発達しているが、オーガーのような極端な形相ではない。むしろ、これも人族に近しい。装備はほぼ均一。上半身は裸で、守護神への目印として白い塗料を塗っている。その塗り方が異なるので、かろうじてウルファ族を見分けられない俺でも個体差を識別できる。おそらく一生洗濯をしないつもりであろう、半ズボンか長ズボンを履き、その上に毛皮か革の腰巻きなどを装着している。武器は、槍、弓、弩、曲刀、棍棒、モール、モルゲンシュテルンとまちまちだ。

 妙に生真面目な風格を漂わせていることが不気味で、気がかりだ。

 甲板で腰を下ろし、同じように酒を煽っていても、ホブゴブリンのように食い物を口からこぼしながら、面白くもない冗談を言い合ったり、居眠りをしたり、賭け事をしたり、喧嘩をしたりという事はない。戦闘前に体をほぐしながらリラックスでもするかのように、静かに筋を伸ばしたり、干し肉をちぎったり、声をひそめて談笑する程度。

 まるで、いつでも臨戦体勢だ、と言わんばかりじゃないか。

 ざっと数えたところ、ウルファ族の数は、およそ100。モルテ=ポッツの兵たちは半分の50。甲板の下層にはおそらく、下級蛮族と奴隷人族からなる、鎖に繋がれた漕ぎ手たちが150ほどいるはずだ。

 頃合いを見て、手勢の中でも頼りになる者に、つまみを持ってくるように命じ、一緒に酒を分け合った。世間話をするふりを装いながら、誰にも聞かれぬよう、話をするためだ。幸い、喫水線をうつ波の音と、風を孕む帆の音が、会話を打ち消してくれた。

「合図をしたら、蛮族どもを海へ落とすんだ」

「いよいよ、ですね。この6年ばかり、耐えた甲斐がありました」

 兵士の目は、輝いていた。こんな瞳を見るのは、何年振りのことだろうか。

「ずっと名を聞いて無かったな。何と言う?」

「モントレイです」

 俺は、何年間、こいつを従えていたのだ。今まで何故、こいつの名を知ろうとも思わなかったのか。

「ではモントレイ、今の言葉を他の者に伝えろ。同じように、別の者にも広げさせろ」

 彼が去った後、周辺の海原を見渡した。

 船影は二つ。

 あの状況下で、出港できた軍船は、5から7隻程度だろう。近海にいる大型船など、せいぜいそんなもんだ。十全に準備した結果であれば、小ぶりの私掠船も含めて100隻以上は動員できたはずなのに。

 クェルラートでは、漕ぎ手は鎖に繋いだ下級蛮族か奴隷が務めると相場が決まっているため、漕ぎ手の数は戦力に入れる必要はない。よって襲撃部隊の純戦闘力は、700から1,000程度。迎え討つ準備が整っていれば、圧倒されるほどの兵力差ではないはずだが、何しろ出港の段取りがあの状況だ。例えクェルラートに人族側の間者がいたとしても、先回りできるとは思えない。この海洋上で、できるだけ数を減らしておく必要がある。

 船影二隻のうち、一隻は人影が見えるほどに近かった。

「船底!第二戦闘速度だ!速度を上げろ!」

 漕ぎ手を管理する蛮族が俺の声を聞き、太鼓を鳴らすように指示する。すぐさま、規則正しい太鼓の音が響き始めて、船は50本の櫂の力で速度を上げ始めた。

「なぜ、速度を上ゲル」

 ウルファの指揮官らしい蛮族が、俺の元へ来て質問した。

「あぁ?俺は『バルバロイの導き手』の直属だぞ?他の有象無象どもに先を越されたら、主君の名に傷をつけてしまうだろうが。俺が一番乗りでなくてはならないんだ!他の誰よりも早く、俺が一番でなくてはな!」

 ウルファの指揮官は、俺の三文芝居に感銘することはなく、三日月刀を抜いて命じてきた。

「意気込ンでいるのは理解スタ。だがマラ距離がある。このペースでは漕ぎ手が持たナイ。速度を落ドせ」

「なら、俺に剣を向ける前に、自分で命じたらどうだ」

「ゴれは、お前の船ダ。しガし、お前のイノシは俺たちのモノ。俺たちの命令、お前ガ従う。ダカラ船には、お前が指示出ス」

 俺は、辟易した。

「お前な…馬鹿なら馬鹿らしく、余計なことは考えるな。妙なところで察しがいいから、こうやって命を落とすんだろうが」

 司令官の刀身を左手で上へ叩き上げると、その脇腹に肩を突っ込み、抱え上げ、そしてそのまま海へ放り投げた。2mもの巨漢を放り投げたのは、今日が初めてだ。俺は覚悟を決めて、おお!と怒鳴った。

「蛮族を海へ!」

 俺の号令に反応し、兵士たちは一斉にウルファ族の戦士に襲いかかった。

モルテ=ポッツの兵士たちは精鋭揃いであったが、長年にわたる不衛生な環境と、満たせなかった栄養の所為で、痩せほそろえている。反して、ウルファの戦士たちには、今まで数えきれないほどにのしてきた、ゴブリンやホブゴブリンなどの中堅部族たちとは、比較にならないほど抜きん出たポテンシャルを持っていた。

 剣を振り回す人々で溢れた甲板の上は、たちまち血と臓器と油の溜まり場と化していく。

 横なぎに首を切ろうと繰り出される刀に、長剣を下から突き出して軌道を逸らしながら、ウルファの胸に切先を突き通した。それを素早く抜くと、今度は喉笛を薙いでとどめを入れる。

 どしどしと床を蹴り、背中から襲い来る気配を察し、半歩移動し脇腹すれすれに突き出された槍を躱わす。振り返りざまに剣の石突で鼻先を砕き、怯んだ隙に自分の刀身を左手で掴み、首元に押し付けるようにしてスライスした。

 お次は、胸元に飛来した矢を剣の背で受け流し、次の矢をつがえる前に、手斧を拾ってその額に投じる。

 肩で押し退け、膝を蹴って体勢を崩し、左手の肘で顎を砕き、頭突きで鼻を折る。

 30体ほどが倒れ、うごめき、死に絶えた頃、船首と船尾とで二つの勢力は向かい合う形になった。

 味方は、10人ほど殺られた。好敵手相手に善戦と言えるが、残り40人…元から少ないだけに、損害が大きく感じずにはいられない。俺も兵士たちも、全身を鮮血で染めていた。興奮状態の今は、それが自分のものか誰のものかも、区別がつかない。

「このまま横一列で戦え!盾を持つ者は前に!」

 指示を出した直後に、俺は目を閉じた。

 心の奥底にある静かな海原を求める…これは、いつもの手順だ。

『我は大いなる犠牲を憂い、御身の高潔さを称賛す。白鯨に禊げしその神力をリルの子に貸し与え給え。御願わば…』

 腕と背中に寒気が走り、それは首元を抜けて頭頂に達する。

俺の身体を神殿にして、遥か古の時代に神格化を成した先祖の力が降霊する。

『鮮血は刃となりて、蛮族どもを切り刻まん』

 刹那、視界が真っ赤に染まり、背骨が皮膚を突き破って抜け出すかのような異様な痛みに襲われた。耐えきれず、甲板に両膝をつく。両目からこぼれ落ちた血が、パタパタと音を立てながら、甲板にいくつもの丸い模様を描く。

「司令官、どうしました!?」

 俺は、泣きそうなツラをした兵を見上げ、手を取って立ち上がった。

「大丈夫だ。これは、成功の兆しだ…」

 鉄の味がする唾を甲板に吐きつけた。

 摂理に干渉した反動、常人ならば瞬時に気を狂わすか、身体を異様な姿へと変容させてしまう、魔剣の神々による呪い。これに耐え得るかどうかが、神の奇跡を具現化できる資格を持つ者か否かの分水嶺。

 次の一瞬、風向きが急に変わり、敵味方の区別なく、その髪を巻き上げた。

おおお!

白鯨リルに願った奇跡が発動した。

 甲板の上の死体という死体から明るい色の鮮血がいく筋も迸り、ウルファの3列目ばかりまでが、その身体を二分、三分されて転がった。

「まぁ、これでもまだ劣勢だわな…」

 近くにいたガレー船は、この船の異変を悟り、櫂をフル稼働させて急接近して来ている。

 吐血を拭い、俺は三度叫んだ。

「ぶち殺せー!」

 怒号と剣戟と断末魔の叫びが、甲板の上でひしめいた。


「目が…白目が真っ赤です」

 俺の隣に座る兵士が、声をかけて来た。

「リルは、こういう力の使い方を好まない。これは、罰なんだろう。何、すぐに治るさ」

 そういうお前は、手首がちぎれかかってるがな…とは言わないでおいた。

 海上での海戦と、陸上での会戦との違いは、一言でいえば『総力戦』か否かだ。

 いや、会戦なのだから、後者が総力戦なのだろうと思うだろう。

 だが、違う。

 陸上では、全員が一度に戦える訳でないからだ。

 まずは、弓を放ち、次に槍を投げ、石を投擲してから、長槍と剣の出番であるが、剣を振るのは最前列の者から順番である。激動とうねりの中で、相手を包み込んで押し勝てば、圧縮された敵側内部の者たちは身動きすら取れない。陸上だから、後列の者たちは逃げ出すだろう。その大きなうねりを制すれば、一方が圧勝することだってある。

 では、海上はどうか。

 操舵の技術が優った船が、有利な体勢を勝ち取り、取り残された船を複数の船で囲み、袋叩きにできるし、うまく船を操れば戦場を離脱することだってできるだろう。

 言っている事が違うって?まぁ、それは認めよう。正直、理路整然とした思考ができる状況ではない。

 だが、ここが大きく違うって部分がある。

 それは、船の上では百人単位での総当たり戦だってことだ。

 うまく船を操れたって、結局最後は相手の船に乗り込んでの白兵戦となる。

 波に揺られながら、隠れる場所が多い相手を弩だけで殺し切ることはなんて出来ない。無限の矢を生む魔法の矢筒でもあれば、話は別だがな。最後はやはり、白兵戦なんだ。そして、双方の戦闘員の数は、そんなに差が無い。巨大なガレー船なんて、稀な話だ。そんなものはコストがかさむから、どこの軍勢も予算が許す範囲で、手頃なサイズのガレー船をなるべく多く建造する。だから大抵は、純戦闘員の数は100人から200人の範囲に収まることになる。

 次に問題なのは、逃げ場がないことだ。

 矢を避けるために、皆、鎧を着ている。海兵として訓練を積んだ者たちならば、革鎧程度を着たままでも泳げるが、徴兵された者たちはそうはいかない。まして、陸が近いとは限らないのだ。血の臭いに集まった鱶が湧く海に落ちることは、死に直結する。

 結果、どちらかの兵士たちが全滅するか、降伏するかまで、局地戦は続くことになる。

 陸上では大勝、大敗はあっても、海戦では常に、双方の戦死者数に極端な偏りが生まれた例がない。

 ま、嵐や突風、急激な潮目の変化や、いつぞやのような船を燃やすような魔法でもあれば、違っちゃくるがな。


 だから、まぁ、これは頑張った方…と言ってもらいたい。


 わずかに生き残った俺たちの船に、蛮族どもを満載したガレー船が横付けされた。

 雨霰と降り注ぐ弩の矢を、盾と物陰に隠れてやり過ごすうちに、鉤爪の付いたロープが渡され、二つの船を寄せていく。次に来るのは、網目に編まれたロープの束だ。これを縄梯子として、海に落下する危険もかえりみず、先陣を切る者たちが来艦する。やがて板が渡され、まるで蟻の行軍よろしく、増援部隊が甲板に殺到した。

 ひと所にいては、たちまち囲まれてしまう。

 死ぬ気で挑めば、もう一度くらいは奇跡の発動を挑戦できよう。命を代償とすれば、その発動も確かなものとなる。だがしかし、トランス状態に至るまで数秒の時間が必要だった。

 今の俺には、瞬きすることさえ、命取りだ!

 時に同胞を助け、時に挟撃し、そして助けられながら、縄で足を掬い、樽を飛び越え、猿のように蛮族の背を飛び移り、船首から船尾までを戦いながら移動した。敵を5人倒せば、味方は6人やられた。もう、どこもかしこも敵だらけだ。

 躱わしそこねた斧の一撃を剣の腹で受けてしまい、刀身はぐんにゃりと曲がってしまう。

 蛮族の股間を蹴り上げ、後頭部を掴んで欄干に顔面を叩きつけ、脚を持ち上げ、海へ落とした。

 斧を拾って次の相手に応戦しようとしたが、とんでもなく重い斧だった。逆手に持ち、柄を口に突っ込んで、またも股間を攻撃して難を逃れる。

 斧は諦めて他の獲物を探そうと、あたりを見回す。すると無人の橋桁が見えた。俺は、蛮族たちをあしらい、橋桁を渡ると、敵船の船尾楼へと疾走する。

 戦闘員を放出しきった船尾楼には、船長らしき小柄な蛮族と、数人の側使い、操舵手しかいなかった。

「決闘だ、おらぁ!」

 船長らしい羽根つき帽を被った蛮族は、雄叫びをあげつつ、大振りのカトラスを抜き放つ。だが、速度を緩めずに両足で飛び蹴りをした俺の動きには、対応できなかった。雨除けの壁を突き破り、船長らしき輩はそのまま海へと落ちた。

 側使いと操舵手は、両手を上げて、後退りする。

「ちょっと、失礼!」

 斧の一撃で、船尾中央舵へと繋がる操舵管は粉砕された。

「ま、嫌がらせとしては、上々だろ」

 俺の船の上では、立っている味方の姿はすでに無い。

 橋桁を渡って、蛮族たちが雲霞の如く舞い戻ってくる。

 ここまで…だ。

 俺は白鯨の剣士リルに祈ると、船を飛び降りた。

 

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