第9話 花嫁の矜持

 パンノニール伯ランメルトは、軍師デジレと共に執務室にいた。

 暮れかかる丘の日差しは、部屋の床から壁へとじりじりとせり上がっていく。

「その、リルの神官の娘と、ホーランドは関係を持っていたのだな。そして、神官がこれから施しのために村を出立しようとした際に、荷馬車に積んだ小麦が盗まれていることに気づいたと…」

 ランメルトは、椅子の背にもたれて、天井を見つめた。

「丁度、買い付けたばかりの小麦を満載にしていたホーランドは、借用書を書かずに神官に馬車を預けた」

「借用書の代わりに預かったのが、小麦の代金です。借用書をしたためるよりも、現金の方がよほど良いと判断するのは、無理なきものかと」

 蒼く染められた麻の外套を羽織った軍師は、独り言のように報告内容を咀嚼する司令官に注釈を添えた。

「神官も、その一人娘も行方知らず。小麦を売った商人の方はどうだ?」

「その後、店にも、その上階にある自宅にも姿を現しません」

「この辺境の村で、いったいどこに逃げるというのだ?集落など、たかが知れているだろ」

「神官の馬車の痕跡を負わせたところ、村外れで人為的に跡を消されておりました。おそらくは…」

 ランメルトはうめいた。

「せめて、亡骸でも発見できれば論破できようものを」

「騎士団を相手にしているのです。そこは、流石に抜かりないでしょう。次の日の早朝に、会計官が出納帳を確認し、副官の不正を暴き、村でそれを同僚に相談した際、一部始終を誰かに聞かれ、瞬く間に村人たちに広められてしまう。不自然などと言う類の流れではないでしょう。複数の者たちが連携し、計画的に成されたことは明白」

「その会計官も、今は行方知らず…どんなやつだった?」

「夜な夜な、村に出て賭け事をしていたようです」

「さぞや、負けが込んでいたのだろうな!」

 ランメルトは机に拳を叩きつけた。

「動きを見せているのは誰だ?」

「村長が、苦言を呈しに来ております。不正があったことにとやかく言うつもりはないものの、複数の村人が失踪していることについて、証拠隠しのために、騎士団が絡んでいるのではないかと訝しんでおります。どのような状況であるのか、失踪者に関してだけでも公表して欲しいとの要望です」

「騎士団による、証拠隠しか…なるほど、それは痛い。失踪者は、三人だけか」

「いえ、フラムのお嬢様が連れて来ていた侍女もです」

「まさか、絡んでいるのか?」

「だとすれば、もう戻りますまいが、まだその点は腑に落ちない部分も」

「イヤナ嬢は、失踪していないのか?」

「はい、その通りです。侍女を探して村を回っているようです」

「フラム家が絡んでいる可能性は最も高い。しかし、確実な証拠が欲しい」

 ランメルトの瞳に、夕日が差し込み、まるで研いだナイフのような光を帯びた。

「このような搦め手を画するに、軍事衝突を避けながらの弱体化が狙いだと推測できます。民たちの心象を操作して辺境騎士団に与しようと考える者たちを思い留まらせ、不審を植え付け、そして反感を煽っていき、ついぞ軍事衝突が起こる際には、一致団結して反抗できるよう、その素地を築きたいのでしょう」

「影響力工作か…では、これはまだ序章に過ぎないわけだな」

「対応を間違えれば、隙が生まれ、次々とそこを狙われる羽目に陥ります」

 二人の間に、しばしの沈黙が訪れた。

 夕日はその強さを弱め、落日が迫りつつあることを告げていた。

「ホーランドの様子を先ほど、見に行った」

 ランメルトが、重い口を開いた。

「やつは、神官の娘が行方知らずだと知って、衝撃を受けていたよ。そして、全ては自分の不注意が招いたことで、汚職の罪は濡れ衣だが、この状況は断じられるに値する脇の甘さがあった所為だと」

「人々に、辺境騎士団の正義と威厳と、公正さを証明する必要がございます」

「だが、それでは相手の思う壺ではないか」

「相手の思う壺とは、辺境騎士団がこの南方の住人たちからの信頼を失うことにこそあります。騎士団は、自分たちの事しか考えない、身勝手で利己主義な征服者であり、だたその目撃は搾取にあると、思わしめることが目的です。不正を許さぬ断固たる姿勢が、民たちの信頼を勝ち取り、画策した者への牽制にも役立ちます」

「甘く見られたら、負けか」

「戦も政治も然り。ホーランド卿の処遇は明白です…」

 言いかけたデジレの口を、ランメルトは片手を上げて制した。

「解っている。軍規は当然、理解できている。現地の司令官として、成すべきこともな。決断と実行は、迅速に成されねばならない。躊躇するそぶりもなく、果断に、衝撃と畏怖を込めて、この辺境南部の民たちに騎士団のありようを轟かせるべきだ!」

 ランメルトは、静かに、しかし力強く拳を握り締めた。

「…だが、私は司令を一任された立場である以上、これを思わずにはいられないのだ…」

 彼は立ち上がり、壁に掲げられた軍旗の前で一礼した。

「姫ならば…クラーレンシュロス伯ルイーサ・フォン・アマーリエ閣下ならば、このような事態をどのようにご采配なされるのか、と…」

 デジレは、かの地にある者に思いを馳せるように、目を閉じてつぶやいた。

「平素は湖面をそよがす風の如き」

 ランメルトは続けた。

「そして時として、御身を焼かれようと相手を打ち滅さんとする、烈火の如くでもある…あのお方ならば、何を優先なされるものか…」


 深夜になって、ランメルトの居室にイヤナ嬢が訪れた。

 面会することの多い彼の執務室と違い、居室は寝室を兼ねた質素な小部屋に過ぎない。

 寝付けなかった彼は、寝台の上で半身を起こしながら、水で薄めないままの葡萄酒をちびちびと舐めていた。

 従者が肩を貸しながら姿を現した彼女は、気を取り乱した様子で、従者を振り払うと、彼の足元に倒れるように跪いた。

 ランメルトは銀の器をサイドテーブルに置き、寝台から降りると、彼女の衣服がところどころ黒ずんでいることに気づく。

「どうしたのだ、何があった。どこか、怪我を…?」

 イナヤを抱き起こしながら、黒ずみは血であると確信した。

 彼女は咳き込みながら、ランメルトに訴える。

「サリサが、瀕死です。どうか、お助けを」

 従者に視線を送ると、彼はすぐに意図を悟って、二人の居室にと飛んでいく。

「騎士団には、神官もいる。きっと大丈夫だ。これは、侍女の血か?君は怪我をしていないのか?」

 イナヤは、何度も頷いた。

「そうか、良かった。いったい、何があったのだ?」

「先ほど、急にサリサが戻って来て、そうしたら血だらけで…背中に…背中にひどい傷があって…」

 灯りを携え駆けつけて来た兵たちに、ランメルトは、フラム家の侍女の負傷を神官に癒してもらうよう、彼らに手配する。兵の一人が居室のランタンに火を灯すと、すっかり憔悴したイヤナの白い顔が照らし出された。

「彼女には、私も話したいことがある。傷はきっと治させる。安心したまえ」

 兵が、イナヤのことを警戒し、腰を落とした姿勢でそばに待機するが、ランメルトは退室するように手で指示を出す。兵は一度躊躇するが、再び指示を出されて、不承不承に扉を閉めた。

 咳き込むイナヤに、これしかないが、と銀杯を差し出すと、それをぐいと飲み込んだ彼女は目を大きくして再び咳き込んでしまった。

「すまない、酒は苦手だったのか」

「そんな、ごほっ…そんなことよりも、お伝えしたいことがございます!サリサを監禁したのは…」

 その名を聞いて、若き司令官の瞳には、青黒い炎がちろりと灯った。

「報復は必ず行う。今夜は、侍女のそばにいてやるといい。気の知れた間柄なのだろう」

「まだ、お話はございます。私がする事を、これからお伝えします。どうか、ご承認いただきたく」

 明け方、サリサは神官たちの祈祷の甲斐なく、意識を取り戻すことなくそのまま息を引き取った。

 拘束を無理やり剥がしたようで、痛々しい手首の裂傷と、何度も転倒した際についたであろう、脚部のあざが複数発見された。死因は、肺を貫通した背中の刀傷による失血死だと判断された。衣服に付着した血痕はすでに黒く固まったものと、まだ半乾きの赤いものとがあったことから、拘束されていた場所から逃げ出し、ここまで移動する際に、再び出血がひどくなったものと推測された。

 そうまでして、彼女が持ち帰った情報は、翌日、彼女の主人が白日の元へさらけ出すことになる。


「…こうして、犯人はホーランド卿に罪を着せたのです!私の侍女は、命を燃やして、この事実を私に持ち帰ってくれました!この不正は、捏造されたこの罪は、本来の主人の元へと戻すべきものです。私は、フラム伯爵家の娘イナヤは、公式な立場からこの犯罪を暴きます!」

 騎士団の招集により、村長以下、周辺集落の名だたる者たちが集められていた。

 司令官ランメルトをはじめ、騎士一同、そして後手に縛られた騎士ホーランドの姿もある。

 招集の理由は開示されていなかったが、多くの者たちは内心見当が着いていた。昨今、巷を騒がせた騎士団副官による、物資横領に対する軍罰がくだるのだと。

 先頭に立って語るイナヤの目は赤く腫れ上がり、今もなお、涙を流し続けていた。しかし、彼女は咽びつつも気丈に立ち続け、その声はしかと大きく、人々に向けて、強い意志を込めて、鋭い槍のように放たれた。

「私は、この首謀者ハルラーンを断罪します!」

 人々から、どよめきが起きた。

 騎士団がそれを言うのならば、怒声が沸き起こったであろう。

 だが、彼らの主人たる、騎士団とは敵対してもおかしくない、フラム家の令嬢からの宣告であった。

 一番に驚いたのは、誰あろう、当のハルラーン自身である。

 騎士団による騎士の処罰か、あるいは身も蓋もない言い逃れでその威信を失墜するものかと、観客に紛れて楽しみにしてたのだ。不意に身の危険を感じて、群衆から離れようとしたが、すでに逃げ道は騎士たちによって塞がれていた。

「ハルラーンの処遇は、取り調べの後に正当な判断を下すものとする。なお、フラム家のご令嬢の証言により、ホーランドの罪状は冤罪によるものと断ずる」

 ホーランドの縄は、ランパートによって断ち切られ、二人は握手した。

「本当にこれで良かったのか?せめて、騎士団に留まるべきだ。私も軍師も、配下の騎士たちも皆、誠心誠意、御身をお守りするつもりでいる」

 ランメルトは、イナヤの肩にそっと手を置きながら、彼女にしか聞こえない声で語りかけた。

「いいえ、私にもフラム家の者としての矜持がございます。このまま残れば、人質としてフラム家の重荷に成りかねません。たとえ、此度の婚姻話が、その可能性も考慮した上でのことだったとしても…」

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