第3話 君主会議

 フラム家の三女が辺境騎士団の砦を訪れてから、およそ1年後、アマーリエたちは自領から遠く離れた北の山岳地帯を越え、聖教皇国の都にいた。全ての剣の神々を祀るため、この都の一番高い場所に築かれた大トリスケル聖堂にて開催される、西方世界の君主たちの会合「君主会議」に出席するためだ。

 6組の人馬と20人ばかりでなる旅の一行は、乾燥した冷たい風が吹きすさぶ、雪と岩肌ばかりの山岳地帯を、細い石畳を頼りに黙々と歩き続け、出立より2週間後の昼過ぎになって、ようやく目的地の都に入ることが出来た。

 山肌に開けたわずかな平地にひばりつくように広がるその都は、まるで崖から滑り落ちぬようにと身を寄せ合うようにして、ぎっしりと隙間なく軒を連ねていた。岩肌の隆起がそのまま、屋根の高さの違いとなって知ることが出来る。軒並みを縫うように走る、細い階段の道を、色とりどりの衣装を纏った参拝者たちが行き交う。春先だというのに、屋根には雪が積もったままで、その雪を舞い上げて吹く空っ風は、来訪者たちの頬を刺した。

「天候が安定していて良かった。靴を修理しないと、もうこれ以上歩けそうもなかったからね」

「暗殺者に襲われなかった事の方が、神に感謝すべき慶事じゃないのか?」

 先頭で馬を進める女性は、深々と被った毛皮のフードをおろし、目的地の大聖堂を見上げた。

「暗殺者なんざ、俺一人いれば十分だったがな。危険な旅だというから付き合ったのに、これじゃ、腕がなまるぜ」

「…」

「おぃ、クルト卿、今、笑わなかったか?」

「なんだ?あれだけ歩いたのに、まだ運動不足なのか?相手ならいつでもするが、一応、言っておく。誰も笑っちゃいねーよ」

「いや、確かに笑った。それも鼻で笑ったろ?それは、俺が一番、許せない笑い方だ」

「二人とも、戯れ合うのは酒場までお預けだよ。こんなところじゃ、目立っちゃうでしょ!ちょ、アマーリエ、フードをあげるのは、まだ早いよっ」

流派同門の幼馴染ミュラーと、北方の森シュバインシュルト出身の騎士クルト。それに新参の騎士タンクレディのやり取りを他所に、白銀の髪をざっくり三つ編みにまとめた女性は、若草色の瞳を町の屋根越しに聳え立つ大聖堂の大屋根に据えたまま、めんどくさそうに応えた。

「私たちは正式に君主会議に招かれたのよ。各々が領地に戻るまでは、互いに一切の殺生は聖教皇の名において御法度。町の中なら、暗殺も露見しやすい。どうせやるなら、人気のない山道ですでにやってるはず」

「町の住民たちの反応を見ろ、馬に道を開けるのも慣れたもんだ。きっと、身分の高い者たちが頻繁に参拝しに来るんだろう。見ろよ、皆、気軽に握手を求めている」

 金髪をツーブロックに刈り上げたクルトが、馬の荷に手を伸ばした子どもの手を払いのけながら笑った。

「それはきっと、クラーレンシュロス伯の紋章を誰も知らないからじゃないのかな。先生はしばらく出席していなかったと聞くしね」

「“輪光のアマーリエ“を知らないなんざ、神の座の近くにいても、俗世に疎い連中だ。まったく、哀れだぜ」

「タンク、お前はまだその時、参戦していなかったろ!知った風な口をきくな、みっともないぞ」

 クルトとタンクレディの間に馬を割り込ませながら、ミュラーは提案した。

「まずは宿を探して、情報収集をしよう。君主たちの動向が気になる」

 タンクレディが天を仰ぎながら異議を唱えた。

「おい、嘘だろ?この一週間、寒さに喘ぎながら野宿してきたんだぞ?しかもそのの間、何度蛮族の襲撃に遭った?いち、に…三度だぞ?最後のは、オーガーが5体だ!雨の中、泥だらけになりながら、こうやって…首を裂いてやった時にゃ、血だか、泥だか、雨だか、汗なんだか、全く区別がつかなかった。…まぁ、とにかくだな、これだけ働いたんだから、少しは報われたいと思うのが、人の情ってやつじゃぁないのか?参謀殿よぉ、せっかく要人待遇で、西方一番の豪華な神殿に泊まれる機会なんだぞ、俺はそこらの安宿に詰め込まれるのは、ごめんだね。労多くして功少なしじゃ、従者たちも報われねぇ。なぁ?」

「タンク、事前に決めておいただろ?まずは身を隠して、君主たちが連れて来た戦力を知るべきだ。最低限、それだけでも、相手の腹の内を知る手掛かりになる。それに、従者は自前で宿を探すように、という決まりだよ。まぁ、悪いけど、仕方がない」

「あぁ…もうダメだわ」

 騎士たちの視線は、急に大きなため息をついたアマーリエに向けられた。

「ミュラー、作戦変更よ。もう、この通りに満ちる香ばしい薫りに耐えられそうにないわ。これはきっと、肉料理ね。でもおそらく、知らない香辛料を使っているのよ。まずは、腹ごしらえ!それから従者たちの宿を借りて、そこで身体を清め、大聖堂に向かいます!」

「あぁ、アマーリエまで…君の身を案じているのに」

 クルトはミュラーの肩をポンと叩くと、馬を降りて従者たちへ指示を出す。

「ま、郷土を知るのも偵察のうちだ。先に行って安全を確かめて来るぞ。団長、どこがいい?」

 タンクレディも早々に馬を降り、両手を頭の後ろに組みながら、軽い足取りでアマーリエが指差した店に入って行った。


 大聖堂の荘厳さは、辺境の騎士たちの目を釘付けにした。

 オーガーたちが肩車をしても届かないであろう、むやみに高い天井。そこに描かれた宗教画と精緻に彫り込まれた大理石のレリーフ。精緻なステンドグラスから差し込む、色とりどりの陽光。サバトンで歩くには向かない、床一面の化粧大理石。千本はあるかというほどの大理石の柱と、それぞれに手の込んだ神々とその子らの歴史を綴った彫刻模様。その研ぎ澄まされた美的感覚の結晶、労力と財力を惜しまない熱意。大トリスケル聖堂は、まさに西方世界の人々の信仰を一点に凝縮させた聖地だと、誰もが認めるに相応しい場所だった。

 アマーリエは大広間の壁沿いに立ち並ぶ、巨大な像の一つに歩み寄ると、姿勢を正して頭を垂れた。

 それは、剣を手にした女性神の像。

 3月の神のアドルフィーナは、戦勝と一貫した意志を象徴し、城と街を守護する。生前は、蛮族との大戦において、西方諸国を勝利へ導いた軍司令官だと言われている。神格化した彼女に見初められた戦士は、その死後に彼女の軍に招集され神々の世界でも活躍できるという。トリスケルは、正位置の剣に勝利を意味する二翼の印。クラーレンシュロス家の守護神でもある。また、新しく設えている軍旗にも、このトリスケルは引用される予定だ。異なるのは、光輪のモチーフが追加されるところだ。

 騎士たちも団長にならって、各々の神々の像に感謝と守護を願う。

 クルトは威厳に満ちた、巨大な狼の像の前に立った。

 白狼ベルナデットは、7月の神。繁栄、鍛錬、輪廻を象徴し、森と狩猟を守護し、弓の神でもある。もとは人間で、北方の森番を務める大男だったという。森に逃げ隠れた難民たちを統率し、侵略を繰り返す蛮族に抗い、森を守護した。死後も狼に転生し、北の森を守り続けているという。トリスケルは、白き狼の横顔の印。

 タンクレディは、鯨に跨る剣士の像に願った。

 白鯨の剣士リルは、8月の神。航海と漁、貿易の神であり、雨を降らす逸話から豊穣、農耕の守護神でもある。海賊の娘として生まれ、剣技に天性の才を持つリルは傭兵となり、ある時、商船の護衛を引き受けたが、無風が続き船は沖に流され、ひと月も櫂を漕ぎ続けたが、陸を見ることはできなかった。やがて飢えと渇きに船員たちが倒れる中、最後の力を振り絞り剣で自らの胸を突くと、自らの無力と神の無慈悲を嘆きながら海に落ちる。すると巨大な鯨が現れ、大量の潮を天に向けて吹いたと見るや、それは瞬く間に雨雲を呼び集め、生き残った船員たちは水を得て命拾いしたという。白鯨とカトラスのトリスケル。

 ミュラーは、二つの像をまわった。最初は、木槌を持った男性像。他の神々と違い、この男性は粗末な衣服を纏い、目鼻立ちも特徴に欠けていた。信仰の対象は男性ではなく、その手にある道具、ジョルジョの木槌だからだ。

 5月を司るこの木槌は、勤勉と忍耐、哲学、そして創造を象徴し、職人や大工、農夫たちを守護する。大工の生まれでありながら、哲学書を読みあさり、独学で習得したその知識を週末に開く私塾で、庶民に広めたという。彼の死後も愛用の槌は自ら動きはじめ、いつまでも働き続けたという一風変わった逸話を持つ。トリスケルは、木槌の印。

 そして、次に参ったのは、11月の神、知識の伝承者ライノア。

 真理、発想、寛容と自戒を象徴し、学問と医学、そして平和の守護神。古バヤール帝国の執政官に選出されたライノアは、いつも魔導書を小脇に抱え、深い知識と泉の如き発想で数多の難題を解決し、国を繁栄させたという。自制心と寛容を民に教え、属領との関係を強固にし、戦のない平和な時代を長く築いた。その治世において、彼はリベラルアーツの礎を築き、さらに医学を教える大学も開校する。当時の大学とは、私塾や家庭教師でリベラルアーツを習得した15歳以上の男子を対象とした、専門性の高い学舎だったそうだ。貴族の息子たちが競って学習し、将来の責任ある地位での仕事に役立てたのだ。彼の死後、いつも肌に離さなかった魔導書を開くと、なんと白紙だったという。魔導を行使できなかった彼の事を、知識だけに頼り真理の探究と実践の繰り返しという魔導の真髄を怠った異端者として、魔導士たちは一度、その足跡を抹消した。しかし、その後に学会が設立されると彼の功績は再評価され、彼を神格化した神殿を建立し、権威を取り戻した。トリスケルは、開いた魔導書から魔力が湧き出す図案。今日では、知識の神と言えばその代表格として、崇拝されるまでに至る。

 この円形の大広間には、暦に採用された十二柱が祀られているが、その選考にもれた者や、近代に神格化した者たちの像は周囲の回廊に立ち並んでいる。

 西方諸国の民は、誰もが剣の神々を守護神としている。先祖代々の信仰を守る者、自らの自由意志で守護神を選ぶ者、その信仰のスタイルや熱意はひとそれぞれであり、毎日欠かさず決まった時間に願いを届ける者もいれば、祭事の時にしか思い出さない者もいる。そもそも剣とは一様に魔剣を指すが、魔剣とは魔導具の総称であり、その形も実に様々、有形無形をすら問わない。その由来は、原初の創造神が持つ一振りの剣にまで遡る。故に、西方諸国の民は皆、自らを『剣の子ら』と呼び、蛮族との生存競争に勝ち抜くための結束の礎として来たのだ。

 剣の神は多神であり、その生き方、信仰のあり方すらをも束縛しない守護神であり、故に多種族からなる人族の緩やかな結束の基盤となり得たのであった。

 ひと所に十把一絡げとでも言うが如く、立ち並ぶ御柱たちと、寄進も不要で自由に参拝できる風習が西方諸国の民たちが築き上げた、信仰の多様性とその自由度を物語っていた。

「それにしても、犬猿の仲だったゾルヴィックと対極の位置に置くなんて、神殿も意地悪なモノよね」

 アマーリエがアドルフィーナに背を向け、広間の対極に鎮座する双剣の女性神を見ながら微笑んだ。

「俺は好きだがな。最も多くの竜を殺し、竜と共に朽ち果てた剣神。尊敬に値する」

 タンクレディの言葉を、いつぞやのお返しとばかりにミュラーが揶揄する。

「そもそも尊敬に値しない者が、人々の信仰を集めるわけ無いじゃないか」

「わからんぜ。案外こんな奴が、後世の人々から慕われることになるやも知れん」

 クルトの冗談に気を良くしたのか、タンクレディはほくそ笑みながら呟いた。

「愛と情熱を司る、若き美男子…って感じかな」

「それじゃぁ、ただの女好きだ」

 四人は、この頃になって周囲の視線に気がつきはじめていた。

 ふわっと細い美しい栗毛と透き通るような白肌の持ち主、良く言えば優しい雰囲気のミュラー。

 ひときわ背が高く、均整のとれた体躯と意思の強そうな目鼻立ちのクルト。

 一行の上役らしき、透き通る肌と若草色の瞳、白銀の髪を持ち合わせたまるで人形のような娘アマーリエ。

 しかし、一番視線を集めたのはタンクレディであった。

 背丈は人並み程度であったが、そのうねる滝のような長い金髪は乱雑に束ねられ、鋭利な刃のような眼光を縁取る、吊り気味の瞼を長いまつ毛が飾る。肌は浅黒く、体躯は細くしなやかに引き締まり、手脚が長かった。

 アマーリエは、内心この三人をこう評している。

 子犬と、狼と、豹、だと。

 その四人は、大聖堂に至る前に旅の汚れを落とし、アマーリエ以外の三人は儀礼用の甲冑に着替えている。甲冑には実戦用と儀礼用とがあり、騎士ともなればそのどちらも携えて戦に臨むものだ。騎士一人に対し、従者が最低でも二人、他に替え馬を従えた馬丁が最低でも一人必要とされるのは、このように予備の武具と荷物が多いからでもある。

 つまり、彼らは一張羅、勝負服ならぬ勝負鎧でこの場に臨んでいる。

 全身甲冑ともなれば、オーダーメイド。その価格は庶民の年収に例えるならば、20年分にも相当する。

 一般の参拝者たちがその大多数を占める、開かれた信仰の場である大トリスケル聖堂にあって、四人の出立ちは庶民の羨望と畏怖と妬みの的であった。


 流石に居づらさを感じた一行は、賑やかな大広間から離れ、指定されていた区画へ移動することにした。

静かな区画に入ると、さっそく衛兵たちに出迎えられた。

「妙な連中だな。世界中から集められた神官戦士たちか?」

 タンクレディの呟きに、ミュラーが小声で答える。

「彼らは聖教皇に雇われた、傭兵たちだよ」

 肌の色や瞳の色が様々な彼らは、西方諸国の各所から集結した傭兵たち。聖堂内の軍事力が、どれかの神官戦士やどこかの国の兵士に偏らないよう、バランスを取るためのしきたりだ。高水準の報酬と長期雇用を保証する代わりに、彼らには戦力としての実力に加え、多言語の習得と識字能力、加えて礼節を要求される。いわば傭兵界のエリートだ。長期雇用の方は、問題点が無いわけではないが、年に一度の募集への志願者に対して有資格者は極めて少なく、それ故に長期雇用にならざるを得ない。それがまた、安定雇用と快適で安全な職場というこの世界には類を見ない魅力さで持って、志願者を増やす要因にもなった。

 タンクレディに似た、浅黒い肌の傭兵が丁寧に一礼してから、アマーリエに語りかけた。

「これより先は、どのような身分の方でも武器の携帯は禁じられています。そちらの業物をご退席までの間、お預けいただきたい」

 アマーリエは何も言わずに従った。

 受け取った傭兵は、見事な設えの魔剣を手にしながらも、顔色一つ変えない。

「ご同伴の皆様は、ここまでとなります。控室にてお食事を用意しておりますので、御休憩なり散策なり、ご自由にお過ごしください」

 アマーリエは三つ編みをなびかせて、騎士たちに振り返った。

「では、主賓の仕事をしてくるわ。野良犬たちは、大人しく待っているように」

 それだけ言うと、鉄履をカツカツと響かせながら、彼女は回廊の奥へと消えていった。

「まるで、蛇の巣へ愛娘を送り出しているような、一抹の不安を覚えるな」

「当たらずとも遠からずだね。でも、これが彼女の、アマーリエにしかできない大事な役目だ」

 古参の二人が若き主君の背中を見送る一方、新参の若者はスタスタと別方向に歩き出した。

「おい、そんなに腹が減っていたのか?言っとくが、控室には諸侯の家臣たちがいるんだ。恥ずかしい真似はよしてくれよ」

「ははは、そんな小言を言うなんて、クルトも大人になったもんだね!」

 言われた方の、ひとまわり背の高い騎士は、驚くような顔で返した。

「…久々に笑ったな!?」

「えっ、僕が?」

「そうだ。それに、アマーリエもだ。剣を手放した途端、雰囲気が一変した」

「穿ち過ぎじゃないかな…」

「…そうかな」

「そうだよ」

「先輩諸兄方、置いていくぞ」

 タンクレディの声が回廊に響いた。

「どこにいくつもりだ?控室はこっちを指差していたぞ」

 腰に手を当てて、タンクレディはやれやれと身振りで応えた。

「呑気だな。ヴァールハイトが何処に持って行かれるのか、知っておくべきだろう?それとも、気にもならないってか?」

 二人の騎士たちは、互いに顔を見合わせると、慌てて跡を追いかけた。

 黒い肌の傭兵が辿り着いたのは、回廊の近くの小広間だった。

 そこでは、意外な光景が待っていた。

 飾り石で演出された壁一面に、まるで貴重な舶来品を展示するかのように、諸侯たちの預かり物を掛け並べ、その前を傭兵たちが半円形に警護していた。

 アマーリエの剣も、その中に並べられた。

「俺ゃぁ、てっきり、地下の密室にでも保管するのかと思ったぜ。こりゃ、意外な設えだ」

「見えないところに持ち込んで疑念を生むよりも、大ぴらな方が安心する、という事だと思う」

「諸侯らの魔剣が一堂に会するなんてな。これは、必見の価値ありだ」

「でも、全部が魔剣という訳ではないよ」

 ミュラーが水を差した。

「げ、まじか。でも言われてみりゃそうだな。諸侯だからって、そう易々と魔剣に出会えるわけじゃないからな。んーでも、どれもこれも魔剣に見えるっちゃ見えるんだが…どれがニセモンだ?」

 柵に肘をついて、身を乗り出すタンクレディの後頭部をクルトが小突いた。

「声がでかいんだよ。魔剣は君主のステータスだからな。皆、魔剣のような派手な設えを好むんだろう」

「じゃぁよ、アレなんて流石に違うんじゃないか?無骨な斧だ、左の…」

「どうだろうな、派手な設えって言ったが、実際のところ、見た目の派手さはあくまで現生の人間の好みだ。案外、ああいうシンプルなヤツが凄い力を秘めている事だってあるんじゃないのか?」

「二人とも、周りの人たちの耳に入ると後々厄介だよ。その話題は…え、タンクレディ、まさか…」

 ミュラーが声をひそめて、あわあわと狼狽えた。

 剣を見つめるタンクレディの表情が、いつになく真剣で、瞬きひとつせずにいる。

 彼はボソボソと何かを呟くと、その瞳の輪郭が、うっすらと赤く光り始めたように感じた。

「なんくせつけられる前にやめておけ!」

 後頭部をクルトに小突かれ、タンクレディは集中を切らした。

「何だよ、分かるもんかよ」

 タンクレディは口を尖らせながら、乱れた前髪を掻き上げる。

 ミュラー小声で聞いた。

「…で、どうだったの?」

「教えねぇし」

「えーっ!?」

 ミュラーは思わず声を上げ、はっと大人しくなる。

 周りの目を気にして、ひとまず閑話休題。だが、すぐにタンクレディが不穏なことを呟き始めた。

「あの中の一本でも盗めりゃ、全身甲冑も馬鎧も一級品をオーダーできそうだな」

 傭兵たちの目線が、彼に注がれる。

「ちっ、冗談だぜ。誰だって言うような、ありふれた冗談だろ?ピリつくなよ、番犬どもが!」

 背を向けて両手を広げる彼の元に、一人の騎士が近づいてきた。

「歓談中に失礼、騎士諸君。一つ質問があるのだが、エペ・デ・ヴェリテは片手剣だったと聞くが、よもや設えを換えたのかな?それとも、別の剣なのかな?」

 彼らに話しかけてきた男は、クルトにも劣らない身の丈と、立派な体躯、そして気品を兼ね揃えた騎士だった。

「クルムドか、久しいな」

 クルトが割って入った。

「なんだ、知り合いか?顔が広いな、敵国にもお知り合いがいるとは」

 西方共通語のルーツである言語を母国語にしているタンクレディは、クルムドの話す共通語が騎士国独特の地方訛りがあることを見抜いていた。

「おいおい、敵国だなんて、誰がいつ決めつけたんだ?彼はパヴァーヌの騎士だ、騎士国パヴァーヌは今でも良き隣人だろ?」

「ふん、そうかい」

 クルトの見え透いた社交辞令に、タンクレディが口を尖らせて、そっぽを向く。一方、クルムドと呼ばれた波打つ金髪の男は、大袈裟に手を広げならが笑顔で言う。

「やれやれ。ここは、信仰の中心地だ。世俗の争いごとはこの場にいるほんの一時だけでも、忘れるのが剣の民のルール。それに、私は一介の騎士にすぎない。王の腹の底は、ディナーの牡蠣にでもならないと窺い知れぬものさ」

 片目をつぶってそう返す異国の騎士に対し、タンクレディは両手を広げて応える。

「で、その時にはすでに消されてるってわけか、笑えねぇ冗談だ…」

頭を横に振りながら後退し、そのままどこかへと退場する。

 クルトとクルムドの二人は、話を再開する。

「もう、3年前になるのか。トーナメントでは、大活躍だったな」

「君が出場を辞退してくれたおかげだ。懐かしいな…あの事件以来、トーナメントもジョストも自粛ムードさ。グリッティ殿は人を集める不思議な力があったからな。彼に代わって主催を務めようとする者は、しばらくは現れまい。あぁ、あの華やかしくも、痛みに満ちた祭りが懐かしい」

「すっかり、鈍ったんじゃないのか」

「ひどいな。でもしかし、君に言われると、実感しないわけでもない。活躍ぶりは、聞き及んでいるよ。最も、両刀使いの不名誉な話ばかりだがな。しかし、一方で忠義と愛の狭間で葛藤する美談として、バードたちが酒場の客を盛り上げているよ。物は言いよう、とはこれ然りだ。君にも、ぜひ聞かせてやりたい」

「愛の狭間って何だよ、悪い冗談だ…願い下げだ」

「しかし、ようやく腿の贅肉を落とす機会が来た。パヴァーヌでは、今回の遠征話で皆、ジョストの前日のような浮かれ振りさ」

「騎士国らしい」

 この後も、しばらく続いた二人の騎士の会話に、ミュラーは加わることなく大聖堂の調度品の見物で時を埋めた。タンクレディも用意された無料の食事を味見するため、控えの間に向かう。三人の騎士たちは、それぞれに時間を持て余しつつ、会議の成り行きを待つしかなかった。

 アマーリエ一行が寒空の下、2週間を費やして訪れた聖教皇国の中枢とも言うべき、厳重に警備された会議の間では、一人またひとりと君主会議の参加者が集い始めていた。


 アマーリエが訪れたその広間は、内心想像していた陰鬱な秘密会議じみた雰囲気とは、まるで真逆のものだった。

 天地奥行ともに、十分すぎる広さ。天窓からそそぐ陽光は部屋全体を明るく照らし、雪の残る地方とは思えない暖かさ。壁一面を覆う巨大な硝子窓は、山海の先にバヤール平原を望むことができた。そして、部屋の中心部に小ぶりの円卓が一つ。すでにその半分ほどの席が、埋まっていた。

 アマーリエは使用人の勧めを聞き流し、窓の外を眺める。

 細かく仕切られたはめ込み硝子は、まるで雨が降ったように歪んでいる。雪の残る山並みの先に霞んで見えるのは、今まさに、多くの人々が苦しめられているハイランド王国の大平原だ。

 この会議場に集う者たちは、まるで天空の支配者たちの様だと、アマーリエは心の中で皮肉った。

 再度の勧めを遠慮がちに伝える使用人に、厚い毛皮の外套を預けると、ようやく小ぶりの円卓へ足を運ぶ。小ぶりなのは、互いの顔がはっきりと認識できるようにとの配慮か。革が鋲打ちされた、高い背もたれ椅子は全部で十と二つ。椅子に座る者、その側で立ったまま話し込む者、机にもたれて会議の始まりを待つ者。

 鉄履が大理石の床を叩くと、出席者たちは新たな参加者に目線を送った。

 銀色に輝く豪奢な全身甲冑の上に、テンの毛皮の縁取りをあしらった新品のサーコートは、太くこよった絹の糸で編まれている。見た目の光沢感だけに留まらず、剣の刃こぼれを捉え、剣戟を鈍らせる実用面も兼ねている。後頭部に結い上げた白銀の髪をまとめる髪飾りも、この日の為に設えたものだ。

 参加者たちの瞳には、細面の白肌に、年齢とともに精悍さを増した表情と相まって、無骨な騎士たちとは異質な、鋭利な美しさを纏った女貴族の姿があったに違いない。

「シュバルツェンベルグ式が好みか。意外、だな」

 派手な朱色のビロードマントを羽織る男が、低いが、よく響く声で語りかけてきた。

「意外なのは、装飾が、ですか?それとも機能面、ですか?」

 まさかの第一声が甲冑に言及されて、アマーリエは緊張が和らぐのを覚えた。もっとも、甲冑の方は儀礼用ではなく、普段使いだ。それに、これは魔法の鎧であって意匠は鎧自身の意志によるものだが。

「パヴァーヌ式の方が、装飾も機能も優れているぞ?特に馬上戦闘においては、どこの国の鎧よりも優っている」

 円卓の側まで来て、一度、意図せず自然と足が止った。

 マントの留め具にある紋章は、パヴァーヌ王家のそれであった。

 パヴァーヌ王オーギュスト・ファン・ラ・セラテーヌ。

 自然な振る舞いを装いながら、円卓に目を落とし、自分の名札を認めて静かに着席する。

「騎士を名乗る手前の習慣なのだろうが、儂個人の願望としては、“輪光のルイーサ“のドレス姿を拝みたかったものだ。期待を裏切られて、非常に残念だよ。ましてや、シュバルツェンベルグ式とは悲しいね」

 アマーリエは笑顔を作ってそれに応えた。

「世が平和になれば、いずれ甲冑を脱ぐ機会も訪れましょう」

「然り。その時が早く訪れることを願うばかりだ」

 さして関心もなさげに、パヴァーヌ王は短く返すと、近くの諸侯との話に戻る。その相手は、まるで商人かのような、威風を感じさせない初老の男だ。肩に紋章の入ったバッジを着けているが、どこの紋章か思い出せなかった。事前に諸侯の紋章と人柄については、ミュラーからレッスンを受けていたのだが…。

 列強の支配者たちの集う場で、今自分は一人である事を再認識させられた。

 ふと、思い出して、試しに心の中で甲冑に呼びかけるが、返答はなかった。

 仕方なしに視線を他に巡らすと、好意的な視線を感じて、思わず声が出た。

「これはっ。岩の斧、ご無沙汰しております」

 ドワーフ族の小集団は西方諸国にいくつか点在するが、辺境北部の洞窟に根を張る彼の一族は、アマーリエと優先的な通商条約を結ぶ外交的な部族だ。

「覚えておいでで嬉しいぞ、勇敢な白き鷹よ。儂も其方同様、初めての君主会議の招きを受けてな。幾分か心細かったところだ。知った顔に会えてほっとしたぞ。ところで、叔父上のことは、その…残念であったな。とても。その後、不自由はないか?我らの力を必要とするときには、如何様にも申しつけてくれ。儂は、其方を娘のように慕っておるに。そうそう、新しくした剣の設えはどうじゃ?馴染んでおるかの」

 アマーリエは、思わず腰に手を当てた。そこに帯剣はない。

「何から何まで、ありがとう。とてもいい具合よ、流石はドワーフの技ね」

「傾国の災厄が到来しているというのに、千夜話とは、気楽なものよな」

 ドワーフの隣の男が、足を揺すりながら愚痴をこぼした。眉間に険しいシワを寄せながら、陰鬱な表情で腕を組んでいるこの男の上着の紋章は…。

 ハイランド王だ。

 立ち上がって礼を示そうとすると、さっと手で制された。

「よい、無用だ。ここは君主会議の場。王も騎士も、平民出の市長であっても、ここでは同格なのだ」

 あたりを見渡し、思い出した。パヴァーヌ王と話し込んでいるのは、パヴァーヌ衛星都市の一つ、鉱山都市バートンの市長だ。共和政を布く都市国家群のひとつだ。

「すまなんだ。早く会議が始まらんものかと、気を揉んでいたのだ。無礼を申した。忘れてくれ」

 別の話題を、という雰囲気でも無かった。できれば、辺境北部の渓谷にある古都グラスゴーと国境を接するハイランドとは、付かず離れずの良好な関係を保ちたいものだが、いざとなると上手い言葉も思い浮かばない。

 アマーリエは机の下で、拳を握った。

 てっきり、会議の場に姿を現すやいなや、皇帝との一件を取り上げられて集中砲火を浴びるであろうと覚悟していたのだが、蓋を開けてみればどうだろう、他国の首長との話に夢中になる者、誰とも目を合わせないまま陰鬱な表情で座す者、せっかちでやきもちしている者など、まるで自分に構う素振りすら見せない諸侯らの反応に、正直拍子抜けした。

 膝の上に指先をトントンと付きながら、目線だけで顔と紋章とを確認していく。

 新たに入室してきた、高価な紫色の上着の男に視線が止まった。

 パヴァーヌを越えた西側にある港湾都市、スミゥナの公爵だ。

 船舶を多数所有し、貿易が盛んなこの海運国家と関係を持つことができれば…。

「スミゥナ公、お初に…」

 彼を目線が合わさった瞬間、好感を得た。貿易を主軸に据えた国家の主人だけに、彼の開かれた社交性を感じたのだ。しかし、次の瞬間に広間に轟く怒鳴り声で、ファーストコンタクトは中断させられる。

「前線では子どもも剣を取っていると言うに、ここはなんと安寧で快適なことか!」

 鉄履を鳴らしながら、足早に円卓へと進む甲冑姿の大柄な男。その外套は、土と返り血の黒ずみで臭いがするほど汚れきっていた。

 一同がげんなりとした表情を露わにする中、外套を背に翻すと、どかと自分の席へ腰を下ろす。

 マントが髪にかかり、迷惑そうにレースのハンカチで汚れを…汚れているとは思えないが、それを拭う隣の優男とは、対照的だった。

 アマーリエは、甲冑男が誰であるか推測できた。黒剣重騎兵団と称す、一般的には東方騎士団とも呼ばれる戦闘集団の長、ルノワール伯ユーグ・ド・デゼール。対蛮族との最前線を担うことを存在意義とした、独立軍事勢力であるが、資金面で聖教皇国の援助を受けているという噂だ。地勢的には、ハイランドの北東に位置し、蛮族たちとの勢力圏を分断する大河の中州に本拠地を置く。対岸に広がる砂漠と荒野をその主戦場としているらしい。

 ちなみに、隣の大人しい男は紋章から判断するに、パヴァーヌとルドニア古王国に隣接する小国家、アステリア伯領の領主ロンベルキア。如何にも、義務感のみで参列している空気だ。

「近い者ほど、遅れて来るものよ」

 今まで沈黙していた初老の男が、鼻持ちらなん、とでも言いたげに苦言を呈す。

「はっ!魔導士無勢が、脚で歩く人間の苦労を忘れたと見える」

 ユーグの返しに一同が笑った。

 魔導士と言うのならば、この老人はきっとルドニア古王国の執政、スッラ・ルドニウス・サルティアヌス。古の大戦で王を失って以来、新王を抱かない王国として続く古き国。西方諸国の西端に位置する。また、アマーリエとも因縁浅からぬ、“学会“の後ろ盾でもある。

 騎士たちの世界とは正反対に位置する、知識と魔導の探究者たちは、まさに今、流血の只中にいる無頼者よりも、この場においては立場が弱いものと察せられた。

 次いで、入室した者の姿を、アマーリエは注視する。

 季節を感じさせない、軽やかな薄絹のドレス。アマーリエも及ばないほどの白く美しい肌。握ったら折れるに違いない、華奢な細腕は優雅さを帯びたしなやかな仕草で髪へと伸び、水色とも金髪とも見える長い髪を撫で、その長く尖った耳を露わにした。静かに着席した彼女は、アマーリエの視線に気付き、ほほ笑みを返す。

「エルフを見るのは、初めてではないと伺っていますが、どうしても気になるようですね、クラーレンシュロス伯。ランツハイム諸族連合の代表を仰せつかっております、ノノ=ルと申します。御身の領土とはずいぶんと離れておりますが、人の縁に距離は無意味。これを機にどうぞ、お見知り置きを」

 アマーリエは、彼女に丁寧な会釈で返す。

 首筋に、冷や汗が伝った。

 こちらのことを相当に聞き及んでいるらしい彼女本人にも、どこか得体の知れない恐怖を感じる。これは、トラウマなのだろうか。かつて騎士団に協力し、そして離反した二人のエルフの行方は、いまだに知れていない。あるいは、この中の誰かの背後に、かの者は潜んでいるのかも知れない…。慇懃無礼でいて、どこか人を食った口調で、世界中の人族たちの生き様を、まるでひと時の戯言かのような、冷めた瞳で眺め楽しんでいる。

 あの女が。

 いや、それは些か、穿った、と言うよりも被害妄想が過ぎるかも知れない。戦争を商売としているだけの話だ。腕っぷしではなく、知性を武器として。

 ノノ=ルと名乗ったエルフの女性は、参列者皆に、一言ずつ流暢に挨拶を交わしていく。その彼女の後を追うように、絹の法衣を纏った背の低い猫背の男が席についた。

 西方諸国の剣の信仰をまとめ上げる聖教皇、この国の主人がまさにこの人だ。

 その風格は、さして特徴のない小柄な初老の男にすぎないが、諸侯たちを前にしても、それはさすがに人々に啓蒙を促す立場、冷めた平常心を失わない場馴れした風格。まるで威厳の衣を幾重にも纏っているかのようだ。

「ようやくお揃いのご様子、昨今、時間は我らに味方してくれぬゆえ、さっそく議題に則って進めさせていただく。私は、今回の君主会議の招集者である教皇座のルキウス・ティティアヌス・ウルヴァヌス5世。火急の課題ゆえ、諸侯の皆には遠路はるばるお越しいただいた。まずは感謝を」

 ミュラーは、アマーリエに伝えていた。

 聖教皇は、その就任と同時に名前を捨てる。自らが模範とする先人の名前をいくつか拝借し、その基本思想を公に示すと同時に、俗世との関係を白紙に戻すためだ。でも、聖教皇は各神殿からの投票によって選ばれるから、元々所属していた神殿の影響がどうしたって出てくる。さらに、聖教皇国内にある各神殿の本殿は名目上のもので、実質的な活動拠点は各々別々の国や地方にある。だから拠点が所在する国や地方の事情だって、教皇の治世に影響を与えずには済まない。現教皇のウルヴァヌス陛下は、シュバルツェンベルグの出身だ。前皇帝の同郷ってわけ。だから、今回の会議で君が皇帝に選出されるなんてことは、万に一つも無い。例え、現状ナンバーワンの覇権国パヴァーヌが辞退するようなことがあっても、それは無い。今回の君の目的は、顔見せだ。皆、皇帝を破った君の噂は知っている。どんな人物か内心気になって仕方ないはずだ。くれぐれも、揺す振りや鎌掛けに癇癪を起こさずに、文化的な交流が可能な文明人であることを演じてくれよ。

 この後、一発見舞ったことはさておき、この会議においては高望みは禁物である事は、肝に銘じてある。

 聖教皇は、三桁にも迫る回数を重ねた、此度の君主会議の開催を宣言した。

 だが、会議が始まった途端、それまでの穏便な交流の場は姿を一変し、各国の事情や各人の情動が一斉に吐露され始める。

「そもそも、アン・サン・シエルが落ちたのは、1年も前の事だ。皇帝が私利私欲のために軍勢を消費しなければ、この時間は無駄になることは無かったのだ。その責任をとる者は、今どこにいる!?」

「シュバルツェンベルグ王は、アーデルハイム・ハインリヒ四世に引き継がれたそうだ。前皇帝の三男で、未だ6歳のひよっこ。ヒルダ第一王妃が後見人として政治を牛耳る事になるだろう」

「そのおチビちゃんは、何故、この場におらんのだ?」

「妻は6人いる。他の動きを恐れて、おいそれと王宮を離れられんのだろう」

「はっ、既成事実を作るのに、君主会議ほど絶好の機会は無かろうに。女という者は、目の前の事ばかりで、大局を見れんものだ」

 アマーリエは気にはしていなかったが、存在の表明として発言者の顔に目線を向けると、片手をあげて謝意を示された。

「君主として、育てられた者は例外です」

「チビの他、後目はおるのか」

「直系の男子は、長男と次男はすでに病死。三男で最後だ。他の女との間にまだ、3人ほどいるらしい」

「あそこは、他とは多少事情が異なる。庶子も王宮で育てられているそうだ」

「それで、問題が起こらんわけがない。一体、どういう継承順位なのだ」

「詳しくは、知らんよ」

「皇帝新任とあれば、ご臨席のパヴァーヌ王の他、ありますまい」

「何を言う、北海帝国を統べる我こそ、皇帝を名乗るに自然であろう。何より、すでに皇帝であるゆえ」

「“自称“の呼び名など」

「蛮族の頭目風情が、口を慎め」

「なぜ、この席に座っておるのだ」

「大人しくしておったから、捨て置いてやっていたものを」

「パヴァーヌには、先祖伝来の多くの土地を奪われ、数多の戦士を殺された。その借りがある以上、この決議がどうなろうが、我は承知しかねる」

「それを言うなれば、我々の商船を襲い続ける貴国も同類」

「襲って奪うは大自然の権利、それに抗う術を持たぬ者が悪い」

「人語を解するだけの蛮族が何を」

「諸君、待ちなさい。一度、静粛に。静まらんかっ」

 議長を務める聖教皇は、額に汗を滲ませていた。

「本題がずれておる。世俗の情に流されては、蛮族…本物の蛮族の侵攻は到底、防ぎきれぬ。遺恨を忘れ、万難を廃し一致団結の場とするのが、本会議の主旨であることを忘れたか!」

「どうか、無礼にお許しを。ただ、釘は刺しておかねば。忘れたものと思われてはいかぬゆえ」

「それを言うならば、我が領土の村々のことも忘れてはおらんぞ」

「もう、それくらいに…」

 新皇帝の任命は難航すると判断したか、聖教皇は各国が動員できる軍勢の確認を先にすることにした。軍勢の規模によって、自ずから主導権が決まる、というその目論見は最もかと思われた。

「我が同志騎士250余名が奮闘中だ」

「騎兵1000と歩兵3万弱が散開している…集結させるとなると、その十分の一が限界だ」

「重装騎兵が300」

「歩兵2000」

「ガレー船20隻と屈強な戦士1000」

「魔導師100名と護衛兵500名ばかり」

 見栄なのか本音なのかはともかく、諸侯たちは事前に返答を用意しており、指名に対し即答で返してゆく。

 騎兵や騎士には、従者や馬丁がつくが、それは純戦力としては数えていないようだ。

 アマーリエが「騎兵500と歩兵3000」と答えると、パヴァーヌ王が鼻で笑った。

 王に忖度した聖教皇は、咳払いをひとつしてから問い返す。

「先の戦闘では、2万もの大軍を率いていたと聞いておるが、それが本当に剣の子らを窮地から救い出すための総兵力なのですかな。他の君主諸侯の皆にも、同時に尋ねておる。諸君らの提示する兵力は、あまりに少な過ぎる。これは、君主会議の軍勢ですぞ?ハイランド王と、東方騎士団を同席しながら、よくも過小な兵力を述べられるものだと、幻滅せずにはいられぬ」

 聖教皇は拳を握って力説する。

「人族の命運を握る対蛮族の連合軍が、これではあまりに貧弱すぎるではないか。剣の子らの不屈の精神は、共闘の掟は、一体いつから互いの牽制と、自己利益に変貌してしまったのか。クラーレンシュロス伯に改めて問う。私は、動員可能な兵の限界数を尋ねているのだ」

 白い肌と神秘的な銀髪を併せ持つ甲冑姿の騎士団長は、冷めた表情のままゆっくりと返答する。

「我らが国土は二人の男爵軍の奇襲により蹂躙され、軍は壊滅。次いで蛮族の略奪を受け、数多の民が畑と共に焼かれました。さらに加えて、漁夫の利を狙った皇帝軍の侵略という、まさに三重苦の様相。我らは、この三年の間に、これら全ての惨劇に襲われたのです。民兵や傭兵を募るにも、支払う金銭、支える兵站はもうどこにもありません。民たちから徴用しようにも、彼らの多くはそれを蓄え隠す家すら失っているのです。今年の冬でアマーリエ地方では、さらに多くの民を失うことになるでしょう。だのに、痩せた辺境の土よりも遥かに実り豊かで商いが充実し、多くの子を育てることができるほどの長い平和の時を享受してきた諸侯らが示す兵力よりも、多い数字を我騎士団は述べています。それを何故ゆえに、我らだけに訂正を求めるのか。それは、あまりに酷と言うものではありますまいか」

 威厳に満ちた法衣を羽織る猫背の男は、若草色の瞳の冷気を浴びて、幾分か目線が下がったが、口調の威圧感は衰えなかった。王や諸侯や潜王たちは、姿勢を崩さずにその声に集中した。

「辺境騎士団にだけ、問うてはおらぬ。だが、最も期待していた事も事実だ。お主の父は武勇と知性を兼ね揃えた、優れた君主であった。魔剣の束縛が強まる以前は、この君主会議にも幾度となく顔を出したものだ。その娘が、亡き父の跡を継いだのだ。ただの世にいう黄口の小娘ではない。あのシュバルツェンベルグ太公を破ったという実績を携えての登場だ。誰もが、貴殿の活躍を期待しておる。渇望しておると述べても良い。勝手な期待をかけられるのも無理からぬものとして、事情を飲み込んでおくが良い」

 諸侯の顔を順に見渡しながら、猫背の聖教皇は瞳に鋭い光を宿らせた。

「ここで言い訳を述べあっても、何も得るものはない。皆も忘れてはおらぬだろう。バヤールの大平原では、今この時でも蛮族たちが剣の子らを襲い、多くの命が失われている。老人も子どもも、男も女も区別なしに神の助けを願いながら…」

 ここで聖教皇は一旦言葉を切って、剣の神に祈る仕草を挟む。一同もそれにならう。冷や水とでも言うのだろうか。会議の空気が一変した。きっと、彼はこの場の空気を宗教色で塗り直し、自らの独壇場を拵えてから、次の言葉に繋げようとしていた。これは、そういう流れだった…。

 だが、その唇が息を吸い込む直前に、パヴァーヌ王が割って入る。

「騎兵2000に出陣の支度をさせている。民兵と補助兵を合わせれば、2万の規模だ。民兵といっても、辺境軍のように、畑を失った農民に錆びた鍬と棍棒を持たせただけの烏合の衆ではないぞ」

 一同の反応は、感嘆とため息が入り混じったものだった。

 アマーリエは、白昼夢から覚めたような、妙な感覚を得ていた。

 ついさっきまで、小柄な聖教皇の姿ばかり気になり、まるでその姿を大男を見上げるかのような印象を抱いていたような気がする。それはまるで、魔法にでもかかっていたかのような。

 気のせい…だろうか。

「では、此度の皇帝の任は、パヴァーヌ王に…」

 聖教皇の言葉を、王は遮った。

「否、そのような大任は恐れ多い。儂は辞退させていただく」

 いただきたい、ではなくいただく、と述べた。

 会議の空気が一刻前のものに戻った。

「なんのパフォーマンスだ?」

 ハイランド王がいかがわしい視線を露わに苦言を呈す。

「何度言えば解る。どう言えばお主の心に、我が声が届くのだ。前線では今も騎士たちが命を削っておるのだ。時間を浪費するような真似はやめろ。楽しんでおるのか?」

 パヴァーヌ王は、諸侯らを暗い瞳で睨み返した。

 聖教皇は、狼狽したように目線を泳がせた。

「話しが違うぞ、オーギュストよ。賛成多数ならば皇帝座を拝領すると、内諾しておったではないか。聖教皇の主催するこの場を侮辱する気でおるのではなかろうな!」

 王は静かに眼を閉じ、聖教皇の遺憾の念を受け止めると、指を三本立て、静かに答えた。

「まず第一に、ハイランド王の兵力には見劣りすること。指揮官の任を得るならば、誰にも及ばぬほどの資本を示さねば皆、納得すまい。次に、地の利はハイランド王にあること。儂は広大なバヤール平原について、ろくに地勢を知らぬのだ」

「嘘をつけ、把握済みだろ」

「最後に、共闘するにあたり、メリットを感じぬ」

「なんだとっ!?」

「聖教皇を前に、なんたる不敬」

「それは…君主会議の軍勢に轡を並べられぬ、という意味と取られますぞ」

「とどのつまり、ハイランド王の傘下でも、従わんというわけか」

「我の民と土地が失われているのだ。我は指名とあれば、喜んで討伐軍の指揮を執ろうぞ!」

 立ち上がったハイランド王だが、諸侯らは賛成しなかった。

「もともと高地民族であろう。失ったのは、バヤールの民から掠め取った土地にすぎん事を忘れたか」

「土地を奪われ、兵を損ね、民を失っている我が王国の、ここに至って先祖を愚弄するか、その意図を正さねば、もう収まりは付かぬ。ハイランダーの誇りはどの民よりも崇高な事を思い知る羽目になるぞ!」

「お主のソレが、軍を任せられぬだ」

「だから、任せねば良いのだ」

 パヴァーヌ王の言葉に、一同は束の間沈黙した。

「しかし、王よ。古来より将は一人。それは戦の鉄則ですぞ」

 東方騎士団のルノワール伯ユーグが、パヴァーヌ王に詰め寄るが、王は抑揚の効いた穏やかな口調で続ける。

「今回の敵は蛮族。戦場は広大。如何に動員を増やそうと、とてもまかないきれる土地ではない。よっていずれにせよ、戦力は小規模の部隊に小分けにし、分散させねばならぬ。そして、あたかも野焼きのごとく西からへ東へと蛮族どもを焼き払うのだ。だが、拡大した戦線では、互いの連絡にも時間がかかる。いかな優れた武将とはいえ、一糸乱れぬ行軍とはいかぬのだよ。ここで無理にでも司令を決めなくとも、各人の判断に任せて、大橋を目指すという方法ではどうか、と儂は意見を問いたい。互いに誰しもが腹のそこでは一物を抱えている間柄、いっそ競争意識を煽った方が、戦果も上がるのではなかろうか。それに、神がかりの小娘が連れた狂信的な野犬たちまで、面倒を見させられては、人界の王としてはいささか億劫、というのも正直なところではある」

 アマーリエは聞き逃さなかった。

「我が騎士たちは、昨年まで実戦を重ねてきた精兵たちです。数こそ少ないものの、毎朝の稽古を欠かさない事だけを誇りにしている自意識過剰な男たちと十把一絡げとされては、彼らが哀れでなりませぬ。独自の判断で指揮させていただけるのでしたら、兵士ごっこに興じる者たちとの物見雄山に付き合う足枷を外し、存分に能力を発揮できる事を、皆心より喜ぶことでしょう」

「クラーレンシュロス卿…」

 聖教皇はため息混じりだった。次の言葉の前にひとつ咳を入れた隙に、またもパヴァーヌ王が口を開く。

「辺境の騎士は、パヴァーヌの騎士たちを恐れぬと言いたいわけか」

「お望みならば、いつでもお相手を」

「おい、戯言はそこまでじゃ」

 岩の斧が咄嗟にフォローするが、パヴァーヌ王は不意に笑い出した。

「はははっ、良いぞ。それに勝てば…そうだの。儂の嫁となれ!さすれば、無用な血は流れず、お主の愛する民百姓たちも無駄に苦しまずに済む、天下泰平の世が到来するぞ」

 一同は束の間、沈黙したが積を切ったかのように、一斉に語り出した。

「蛮族を掃討した暁には、ハイランドへ来るが良い。東方の辺境都市群との陸上貿易、そして東南部の沿岸地域との海上貿易の双方が発展し、互いに栄華を分かち合えようぞ」

「其方のような美しい相貌には、エルフの血が相応しいぞよ。エルフは人間よりも、血の結束を大切にするでな。狐や狸どもと暮らすよりは、心清らかに安寧の日々を送れようぞ。何、性別などにこだわるのは、野性の動物どもだけじゃ」

 岩の斧は、困惑して立ち上がった。

「一体、なんの話を始めておるのじゃ。儂が可愛がっておる娘だぞ。薄汚い手を伸ばすでないわい!」

 アマーリエは眼を丸くして、この急な風向きの変わりざまに取り残されていた。

「あの、辺境はまだ未開の土地ばかり…隣の芝生は青く見えると言いますし…」

 微妙に感じていた歓迎ムードの謎を、彼女は今になってようやく理解した。

「国が豊かになってからでは、皆、お主の尻に惹かれてしまうぞ!」

「孕れる年齢のうちに、相手を選んでおいた方が、後々有利ではないか?旦那が死んだ後には後見人になれる。だから相手は年寄りな方が良い」

 談笑が沸いた。

「えい、いい加減にせい、諸侯らよ。皇帝の任について、決議をせねば帰さぬぞ」

 聖教皇は、赤い顔で声を荒げた。

「では、皇帝保留に一票」

 ハイランド王が意外な票を投じた。もはや、自らに求心力が無いのならば潔く諦め、しかし、誰にもその変わりはさせない、という意図か。

「一票」

「それがしも」

 アマーリエは内心、戸惑っていた。

 連合軍が、同じ目標達成のために行動するならば、代表の存在は不可欠だ。それが、命に関わる内容を伴うのならば、尚更、優れたリーダーの存在が、一軍の命運を別つ事になる。これは、戦を知る者ならば常識なのだ。当然、皆それを理解しながらも、その危険性と非合理性を把握しておきながらも、それでも尚、諸侯たちは代表の決議を見送るというのか。いや、パヴァーヌ王が望むのであったなら、一同は異論なく彼に一任するはずだ。故にこれは、パヴァーヌ王が描いたシナリオであるのかも知れない。代表となることで双肩に乗る、損害に対する責任と自らの支出の増大を回避するためか。あるいは他に何か、別の狙いが…。

 パヴァーヌ王オーギュストは、神妙な趣で、ただ髭を撫でているのみだった。

「はぁ。どうやら結論は出ぬようだな…では、席を変えるとしよう」

 聖教皇は打開策に、酒の力を期待した。


 従者たちも交えた豪勢な酒宴の場は、領土争いにしのぎを削る者同士の席とは思えないほど、賑々しく、そして和やかに過ぎた。

 男たち、いや、為政者たちは、様々な顔を使い分ける。

 公の場ではそれに相応しく、厳格で脅しに負けない堅固な意思の持ち主を。酒の場では、それに相応しく社交的で寛容さと既知に満ちたユーモアの持ち主を。

 その陰ではしかし、各々が利する策が円滑に進むよう、地ならしに余念がない。

 統治とは、剣ばかりを振るうものではないのは言うに及ばず。時に言葉で制し、時にペンで統治し、時に女を用い、時に酒を注ぐ。

 ハイランド王や東方騎士団がこの酒宴を時間の無駄と断じないには、そこにこの場でしか構築できない関係性、ここでしか腹を破れない密談など、絶好の機会とその必要性があるからだろうが、先ほどまで兵や民が血を流している、述べた舌の根も乾かぬうちに、これは一体全体、どうしたものかと我が目を疑わずにはいられない。

 しかし、こうして見るとどうであろう…。

 唾を撒き散らし、怒声をあげる者の都合など、どうとでもなれと思ってしまうが、一度、その者の笑顔を見ると、その者がどんな話題を好み、どのように考え、どのように笑うのかを見てしまうと、その辛苦を察する気持ちも芽生えてくるのだから、不思議なものだ。

 人は元来、笑顔を欲しているのかも知れない。

 酒は、容易に笑顔を引き出す、魔法の液体なのだろう。

 アマーリエも長年、亡き父の背中を見て育った。

 このような場が、如何に貴重な機会であるかを心得ているつもりだ。この時間をただ漫然と、旨い食事と上等な葡萄酒を満期するだけで過ごすことは無かった。

 数多の人々と会話を交わし、再会を約し、交流する意思を確認した。

結成したばかりで統治も安定していない辺境騎士団としては、これは大きな前進と言えた。

 代わりに、この場に同席していない諸侯らの話、ましてや前皇帝座の忘れ形見シュバルツェンベルグ王アーデルハイムの存在など、もはや誰もが忘れ去ったかのようであった。

 もはや、彼の国が君主会議を主導する時代は終わったのだ。

 この場に居合わせない、という一事が、それを決定的にした。

会議の延長としての酒宴の成果といえば、此度の大遠征において総司令官たる皇帝の任は空席のまま、代わりに盟主として聖教皇自らが神殿騎士団を随行して出陣することに落ち着いた。肩書は違えど、やはり総司令官を立てる必要性は、皆が感じていた事だったのだ。

 葡萄酒の杯を掲げる聖教皇に、一同は献杯で歓待し、武運長久を願う喝采が沸き起こった。その喧騒に紛れて、ランツハイムのエルフの代表は、アマーリエにだけ聞こえる声で呟いた。

「誰しも自分たちは損をせぬ腹づもりのご様子。このような状況では、誰しもが相応の振る舞いしか出来まいて。はてさて、此度の戦は、どうなる事でありらんや」

 ノノ=ルはアマーリエと杯を交わした。

「剣の子らの未来に」

「西方世界の栄華に」

 エルフの瞳の中には、まるで夜空を内包したかの様に美しくも底知れぬ、輝きと深淵があった。

 彼女がその瞳の中で描いた未来が、どのようなものであるかは測りかねたが、確実なことはただ一つだ。

また、戦が始まる。

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