第2話 山の神様

丁度10歳の頃だった。

僕は祖母にお使いを頼まれて、信夫山を越えた先にある七峰家へ行った。

小包を届けるだけの簡単な仕事で、お土産におはぎを貰った。おはぎは僕の大好物だったので僕は早く帰って祖母と一緒におはぎを食べようと僕は帰りを急いだ。

信夫山の周囲を迂回していくその道は思いのほか遠かったので、帰りは信夫山を突っ切って帰ろうとした。

祖母に言われるまでもなく夕方の信夫山の道路に入るのは危険だと言うのは分かっていたが、良く知る道路だったしまあ大丈夫だろうと幼い僕は浅はかにも考えてしまったのだ。それにおはぎは出来立てが一番おいしいのだ。


ぐねぐねと入り組んだ坂は昼間見るよりも長く思えた。辺りは外灯も殆どないので、そこまでの道は余りに暗く、僕は普通に信夫山を迂回すれば良かったと後悔した。心細いと言うより、どんどんと気持ちが冷えていくようだった。


それでも交通のあるうちは車のヘッドライトが道を照らしてくれるので何とかなるが、瞬間交通が途切れる時があって、その時は本当に何も見えない。

やがて車も通らなくなってきた。


気持ちが冷えていくのをこらえ、途中にぽつりぽつりと点在する外灯を頼りに何とか進んでいくと、曲がり角の脇の外灯の下に細い道があるのが見えた。そこは下りからの道では森が被さっていて見えないようになっていた。誰も通った形跡の無い道だったが、その方向は確かに祖母の家の方向で、真っ直ぐ向かえば曲がりくねった坂道を上るよりはるかに早く着く。

そう考えた。

夜露に濡れた地面を踏み、しだれ掛かる木の枝を押し分けて進んで行く内に、僕は徐々に不安になってきた。本当にこの方向は祖母の家へ向かっているのだろうか。もしそうであっても、夜の森の中で確かでない道を歩くのは無謀ではなかったか。特に今夜は月が無い。星の明かりは山道を照らすにはあまりに心許ないものだった。


道はどんどん細くなり、終いには足元どころか周り全体が完全な闇に包まれていた。僕は自分が何処にいるのかも分からなくなって途方に暮れてしまった。来た道を引き返そうにも、今自分が上っているのか下りているのかも分からなかった。とにかく手探りで前を確認しながら進むしかなかった。


誰もいない、星すらも見えない空の下を延々と歩いていると、空恐ろしい気持ちになる。脇の闇が森なのか崖なのかも見当がつかない。次第に歩みは遅くなり、足が思うように動かなくなる。


 突然真後ろで明かりが灯り、僕の影が手前の道に長く伸びた。

驚いて振り返ると、見た事も無い小男が立っていた。彼はその手に枝の様なものを持っていて、その先にぶら下がっている提灯が夜道を照らしていた。


「やあ」


 小さなその男は、子供とも年寄りともつかない真ん丸の顔に満面の笑みを浮かべてそう言った。


「どうもこんばんは」


 僕が返事をすると、「やあやあ。」と言いながら先を歩いていく。また闇に残されてはかなわないと、明かりに引かれるようにして僕は男の後をふらふらとついて行った。提灯はふわふわと宙を浮かび、こうこうと森を照らす。僕達が歩くたび、茂みや枝の影が様々な形に変わって僕達の横を凄い勢いで通り過ぎていく。


「やあやあ」


男は小柄な割に速足であり、僕は後をついて行くのに苦労した。明るくなって気づいたのだが、僕が歩いてた場所は最早舗装された道路でなく、完全なけもの道であった。だが、あまり心配はしていなかった。この男からは嫌な感じがしなかったので、何も考えずについていけた。ただ足元の石や木の根に躓かないように注意すれば良かった。

5分ほど歩いた後だろうか、広い舗装された道に出た。その道の先に祖母の家へ続く石畳の小路のくだり坂があるのが見えた。


「あの、すいません!」


 大声でそう言うと、小男が止まりこちらを見た。


「ありがとうございました。」


 僕が頭を下げると、小首を傾げ不思議そうな顔でこちらを見た。何を言っているのか分からないと言う顔だった。

なので僕は行動で示すことにした。風呂敷を開けておはぎを一つ差し出すと、男はよちよちとこちらに近づいてきて、おはぎをくんくんと嗅いでいる。おはぎを受け取ると驚くほど大きな口を開けて食べた。

 食べた後に、細い目を真ん丸に見開いてこちらを見た。そして、


「やあ!」


と叫ぶと、ピョンピョン飛び跳ねながら何処かへ行ってしまった。

 とても喜んでくれたようなので、僕も嬉しくなった。

 祖母の家へ帰る途中、やけに風呂敷つつみが軽いので中を確認するとおはぎが全て消えていて、空になっていた。

 家へたどり着いて祖母にその話をすると


「それはこの山の神様や」


 と答えた。

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