お祖母ちゃんと僕
野墓咲
第1話 てぐう
その日の日曜は、珍しく晴れていた。
一昨日の夜から祖母は、「日曜は洗濯会やから頼むで。」と何度も言っていた。
僕の生まれ育った町は年中天気がぐずついてるので、部屋干しが基本になるが祖母はそれが嫌いだった。
天気の良い予報の日があればその日まで洗濯物を溜めに溜めて、当日は洗濯会になる。それが休日となれば、子供の僕も洗濯の手伝いをさせられ、大洗濯会の開催となる。
その日はこどもの日だったと思うが、特に子供の日らしいことはしなかった。洗濯会を本格的にやるとそれだけで一日潰れてしまう。
だが、僕自身も部屋干しが嫌いだったので、手伝いをする事に異論はなかった。部屋干しされた服は、何だかちっとも汚れが取れてない気がするのだ。
幼少期の僕の育った家は昭和初期に建てられた昭和モダンの香りのする古い建物であった。僕は家の隅々に感じる昭和臭をかぐと不思議と落ち着くのだが、一方で部屋干しすると、洋服にそのどこかかび臭い昭和独特の匂いが染みつきそうで嫌であった。
庭は広く、70坪もあった。僕達2人暮らしでは完全に持て余すだけのその庭が、洗濯会の時は洗濯物で一杯になる。
晴れの日で、尚且つ僕が休みと言うのは夏休みなどの長期休暇を除けばそう多くないものだから、洗濯会が行われるときは、溜めていた服や靴下、パンツだけでなく、布団やシーツや祖母の着物など、家の中にある全ての布製品が引っ張り出される。
勿論、それら全部を洗うのはとてつもない作業量であり、朝早くから始めないと間に合わない。6時には起きて、早めの朝食をとると、昼まで休みなく動き回る事になる。
乾きにくく大きいものから先に干す事にしているので、まずカーテンと言う難物から始める。これが重労働で、まず家じゅうのカーテンを外すと言うのが子供の僕にも腰のまがった祖母にも中々難しい事だった。更に、洗濯したカーテンは死体のような重さになる。
それを抱えて庭を走り回りながらあちこちに干して周るのは大変だった。万一落とせば祖母が烈火のごとく怒りだす。怒られるのは嫌なので、必死になって落とさないよう気張っていると、腕の筋肉がぶるぶると震えて、くすぐったいような気持ち悪いような、変な感じになる。 張り切って機敏に動き回った結果だろうか、その日の11時ごろには、大きな洗濯物は大体が終わった。
白いシーツやカーテンなどが、突き抜けるような青空の下でぱたぱたと風に揺れている姿を眺めていると、家全体を征服してやったかのような達成感があった。 まだ洋服や靴下など細かいものは残っていたが、ここまでくればほとんど終わったようなものだ。
ほっと一息ついてふと見上げた空に、僕は異様なものを見つけた。
それはとてつもなく長いものだった。
何かが東から西へ延びていて、雲一つない青空を真っ二つにしていた。初めは飛行機雲だと思ったが、すぐに違うものだと分かった。それはぬめぬめと鈍い銀色の光沢を放っていて、僅かに揺れている。 信じがたい事に、それは生き物だった。
あまりに遠いので分かり難いが、とてつもなく巨大で長い蛇のような生き物が世界を分断している。どちらが頭でどちらが尻尾なのかは、その両方が地平に呑まれているので分からない。
「ねぇ、お婆ちゃん!何だか凄いものがあるよ!」
興奮する僕に、祖母はその名を教えてくれた。
「ああ、あれは、てぐうや。」
それは、あの巨大な生き物の名前としては、不当に思えるほどみすぼらしい名前だった。
「あれは何なの?おばあちゃん。」
祖母の説明によれば、あれがある日は天候が崩れる心配が無いと言う事だった。
逆に、どれだけ晴れていてもあれが空に無い時は、天候が崩れるので洗濯会はしないそうだ。
「神様なの?」
そう聞くと、祖母は不思議そうな顔を僕に向け、ちょっと考えた後にこう言った。「よう分からん」
一体何なのかは考えた事も無いと言った。てぐうはてぐうだと。
後から思うに、祖母にとって、てぐうとは神でも生き物でもなく、虹のような事象の事だったのだろう。
それ以来、その生きる事象を僕は度々見かけるようになる。それと意識するまでは全く見た事が無かったのに、注意して空を見上げると割とそれはあった。時に曇りの日や雨の日にも見かけた。
だが、そう言った荒れた天候の時に見るてぐうは随分小さく、空の隅の方で縮こまっている。余程注意して空を見ないと見逃してしまうだろう。 祖母によれば、それは数日後に晴れる予兆なのだと言う。祖母は今まで天気予報とてぐうが空の何処にいるかで洗濯会の日取りを決めていたのだそうだ。僕はそれを聞いて、どうりで洗濯会の時に雨が降ったりして中止になった覚えが無いわけだと、祖母の知恵にしきりに感心していた。
僕は天気の良い日の朝は決まって空にてぐうがいないか確認するようになった。それがある日は晴天の楽しみを急な雨や雲に邪魔されないと言う事なので、てぐうを発見できた日は、安心してその日を過ごせた。 洗濯会は、僕が高校生の頃に我が家に乾燥機なるものがやって来てからはあまり行われなくなった。やりようで変な匂いはしなくなるし、何より狭い家の中に洗濯物を干さなくても乾くと言うのは非常にありがたかった。 無論洗濯会が行われなくなった背景には、祖母の体力が落ちてきたと言う事情も少なからずあるだろうが、一番は楽だからだ。 結局、祖母も僕も本質的には怠惰な人間であり、楽なやり方があればそっちに行ってしまう人間なのだ。大洗濯会が行われなくなってからは、不思議とてぐうを見る事も無くなった。
今でも、雲一つない日はたまに空を見上げるのだが、やはりてぐうは見えない。
もう一度見てみたい気もするのだが、祖母の死んだ今となっては、もう2度と見る事はない気がする
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