第14話 暗夜光路
銀光が黒い森を照らし、正体を暴く。
目の前にいるのは、黒い鎧を纏う狂戦士。
右手には黒斧を持ち、前屈態勢で待ち構える。
出で立ちだけで分かる。相手はとんでもなく強い。
今の実力じゃ到底敵いっこない、圧倒的に格上の存在。
(勝てるか、勝てないかじゃない……。やるんだ……)
恐らく、これが最後の戦いになる。
正気でいられるのは、この戦いまで。
それでも、立ち向かいたい理由がある。
相手が格上でも、挑戦したい根拠がある。
(まだ俺は……自分一人の力で、何も成し遂げてない……っ!)
抱えるのは劣等感。コンプレックス。
ジェノは、その力を右手に凝縮していく。
そこで、見えたのは、周りにいる人たちの姿。
誰も戦おうとしていない。萎縮してしまっている。
好都合だ。これなら、やりたいことだけに集中できる。
「――」
地面を蹴る。右拳を振りかぶる。狙いを定める。
真っすぐ一直線に、なんの迷いもなく、狂戦士に迫る。
反撃されることも、避けられることも考えない、愚直な一撃。
「
思いを乗せた拳は、真正面に放たれた。
「――――」
ガキンと音が鳴り、狂戦士は黒斧の腹で拳を受け止める。
放ったのは、必殺技。渾身のセンスを込めた右ストレート。
でも、これで倒せるなんて思ってない。意思の力は発展途上。
数メートルその場から動かせただけ。思い描いた威力は出ない。
(やっぱり……。本気のリーチェさんより、格下だ……)
だけど、収穫はあった。
手応えから力量が把握できた。
今まで最も手強い相手は師匠だった。
黒い鎧を纏い、獣化をしたリーチェだった。
比べれば劣る。似て非なるものだからこそ分かる。
(やれる……。相手が最強じゃないなら、俺でも倒せる……っ!)
ジェノは己を鼓舞する。自分に自信を持つ。
最大火力の必殺技でも倒せない相手に、光明を見る。
誰かに理解や共感を得られないとしても、もはや関係がない。
これは感覚の問題だ。これは経験の問題だ。これは、センスの問題だ。
「「「「―――――」」」」
その時、森にさらなる光が満ちた。
背後にいた四人が臨戦態勢になったんだ。
何も言わなければ、たぶん共闘が始まるだろう。
「手を出すな!!! これは、俺だけの戦いだ!!!!」
ジェノは声を荒げた。敬語を使わなかった。
仲間だと思える人たちに、偉そうに命令した。
本当は、言いたくない。命令なんかしたくない。
それでも、この戦いだけは邪魔されたくないんだ。
「……」
異色の光が、収まっていくのが分かる。
その場に残っているのは、銀の光と黒濁の光。
(ありがとう……。これで、心置きなくやれる……)
ジェノは、胸の内で感謝を告げる。
同時に、大事な何かが欠けた音がした。
構わない。全部分かった上でやったことだ。
「来なよ。君も戦いたくてウズウズしてるんだろ」
手を招き、斧を構え直す狂戦士を挑発する。
今までの自分らしくない、不遜な行動だった。
だけど、今までにないセンスの高ぶりを感じる。
キャリアハイ。限界点の更新。その上をいく存在。
楽しくて仕方ない。胸の高鳴りが収まる気配がない。
今の実力を、今の限界を、試したくてたまらないんだ。
「――――」
狂戦士は挑発に応じ、勢いよく地面を蹴り、迫った。
ここが、正念場だ。勝っても負けても思い残すことはない。
(俺が死んでも、リーチェさんは復活する)
心置きなく戦える理由を脳裏に浮かべ、ジェノは戦いに没頭した。
◇◇◇
バッキンガム宮殿に飛ばされる前日の深夜。
ドイツ。ミュンヘン。レジデンツ宮殿。白の間。
目の前には、黒スーツを着た、角刈りの男性が立つ。
体はフランクという名前のマフィアだけど、内面は違う。
魔術で憑依した、組織の上司。ダンテ・アリギエーリがいた。
その証として、彼の右手には黒色の魔術書『神曲』を持っている。
「……黒鋼を俺の代わりに、持ち帰ってもらえませんか?」
ジェノは懐から黒い鉱石を取り出して、話を切り出す。
黒鋼という鉱石の回収。ドイツでのやるべきことは終わった。
これを持ち帰れば、植物人間状態の師匠リーチェを復活させられる。
だけど、懸念点があった。帰りの便で何かしらの事故に遭う可能性だった。
「なぜだ。理由を説明しろ」
フランクに憑依するダンテは、すぐに受け取らない。
成長させるためなのか、貸し借りを明確にするためなのか。
胸中は分からないけど、聞かれた以上答えないわけにはいかない。
「魔術書を持ってるってことは、本体が近くにいるんですよね」
ジェノが行ったのは、前提の確認。
他人に憑依する能力の源は、あの魔術書。
貸しを作った相手を一時的に操ることができる。
そんな大事なものを他人の体に預けておくわけがない。
万が一のためにも、近くに本体が隠れているのが予想できた。
「……よく見抜いたな。ただ、それを預かる理由にはならない」
ダンテは前提を認めて、話が一歩進む。
簡単に受け取ってくれるとは、思ってない。
受け取れば、三つある貸しの一つ分がなくなる。
こちらを支配できる手札の数は、多い方がいいはず。
だから、ここはどうにか交渉に持ち込まないといけない。
「あなたもリーチェさんを復活させたい。目的は共通のはず。だから、これはリスクヘッジです。もし、マンハッタンに帰る便で襲撃を受ければ、俺の実力だと守り切れないかもしれない。……でも、ダンテさん。あなたなら、安心だ」
リーチェの復活。それに必要な素材の一つが黒鋼。
互いの共通目的なら、受け取れば、計画は大きく進む。
ダンテにとっての貸し。こちらにとっての借りを返せる形。
今までは当人同士での取引はなかった。あくまで、任務の形式。
だから、借りを返済できなかった。でも、今回は直接交渉している。
能力の条件が、貸しを作るなら、借りを返せば、一つ分減るはずなんだ。
「お前の目で、師匠の復活を見届けたくはないのか?」
その条件のせいか、ダンテは黒鋼を受け取らない。
反応的に、空路以外の移動手段があるのかもしれない。
渡せば、マンハッタンに着く前に復活が終わるって塩梅だ。
「必ずしも、俺がそこにいる必要はありません。体の問題もありますしね」
白き神による病状は、日が経つにつれ、悪化している。
空路が襲撃される可能性もあるけど、こっちの方も深刻だ。
マンハッタンに帰るまでに正気を保てる自信は、正直なかった。
「そうか。それなら、受け取ってやろう。……これでお前との貸し借りはなしだ」
ダンテは黒鋼を受け取ると、不意にそんなことを言った。
リーチェの情報開示。体を操ってもらう。セレーナの安全の保障。
ダンテへの借りは、全部で三つあった。今返したのは、たった一つのはず。
「勘定が合わなくないですか。今のはどう考えても……」
なんだか、申し訳ない気持ちになる。
借りを返せたのはいいけど、割が合わない。
相手がすごく損をしているように感じてしまった。
「帝国、イタリア、ドイツ。課した任務は三つ。それをお前は全て達成した。その成果を私は今、一括で受け取った形となる。今までは直接的な交渉がなかったが、こいつを受け取ったことで、お前を縛る条件はなくなったわけだ」
なるほど。そういう、仕組みか。
本人間の取引がなければ、使役し放題。
組織の犬として、死ぬまでコキ使われるんだ。
気付かなければ、ずっと従うことになったんだろうな。
「じゃあ、俺はもう『ブラックスワン』の一員じゃない……?」
納得する一方で、ふとした疑問が浮かぶ。
組織に入る時、あの魔術書に誓約して始まった。
貸し借りがなければ、命令に従う必要がないことになる。
「何もしなければそうなる。ただ、新たに貸し借りを作れば、話は別だ」
すると、ダンテは再誓約の可能性を告げる。
一瞬、家の外に叩き出されたような気分になった。
残りたいなら手段はあるけど、結局は利害関係の繋がり。
家族や仲間のような、見えない信頼で繋がる関係ではなかった。
(うーん、どうしたらいいんだろ……)
今までは、リーチェ復活のことしか考えてなかった。
今後のことなんて考慮にない。すぐに答えが出そうにない。
ここで再誓約も可能なんだろうけど、何か違うような気がしていた。
「焦らず考えろ。帰りの便は暇だろう。帰ってこられたら、続きを聞いてやる」
ダンテは妥協案を提示し、魔術書『神曲』をおもむろに開いた。
このままいけば、誓約解除のための儀式が、つつがなく行われる。
(組織か、自由か……。確かに、後で決めた方がいいかもな……)
ただ、彼の言い分も一理ある。急いで人生の岐路を決めなくてもいい。
流される形で答えを出し、魔術書に手を置き、結んだ誓約は解除される。
この日、ジェノ・アンダーソンは『ブラックスワン』所属ではなくなった。
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