第13話 黒い森
現実世界。第二森林区。南端に位置する場所。
ベクターと門番が消えてから、しばらく経った頃。
ルーカスは、黒い手に捕まるジェノの様子をうかがう。
パオロは焚火を消し、休憩は終わりを迎えようとしていた。
「何か、来る……」
サーラは自身の感覚を従い、口走る。
そう確信を持てるほどの異様な気配があった。
「恐らく、独創世界での決着がついた。役目を終えれば、元の場所に戻る」
ベクターが消えた場所を睨みつけ、パオロは語る。
言ってることは分かる。知識も理屈も十分教えられた。
(そうだけど……そうじゃないような……)
ただ、拭いきれない違和感があった。
何かを見落としているような、そんな予感。
「問題は……どっちが帰ってくるか、ですよね……」
そう考えていると、ジェノが口を挟む。
どうにか、まだ正気を保っているらしい。
顔色は悪かったけど、話はできそうだった。
「あんまり無理すんな。後は俺っちたちがなんとかするから、黙って見てろ」
次にルーカスはジェノの肩をポンと叩き、言い放つ。
返事を待つまでもなく、全員が同じ方向に意識を向けていた。
すると、ゴンゴンゴンというゴングの鐘がどこからともなく聞こえる。
(やっぱり、気のせいか……)
独創世界の終わり。ベクターと門番との決着。
役目を終えた世界は閉じ、住人を元の場所に戻す。
サーラは杞憂だと割り切り、正面に意識を集中させた。
「…………」
「…………」
現れたのは、ボロボロのベクターと門番。
お互いに着ている白スーツや、金鎧はボロボロ。
表情はうつむいて、地面に倒れ込んでいくのが見える。
(まさか、相打ち……?)
状況から見て、一方的な戦いじゃなかったのは分かる。
力量は拮抗し、互いの全力を引き出し合った上での決着。
王子と門番の共倒れ。継承戦のルール上、有利とも思えた。
(結局、あいつは何がしたかったんだろう……)
ただ、不思議と、嬉しくともなんともなかった。
急に現れて、逃げたと思ったら、タイマンに持ち込んだ。
取れた情報はそれだけ。何をしたかったのかが、全く分からない。
(まぁ、いっか。楽できたんだし)
不意に感じた王子への興味を振り払い、状況を受け止める。
ベクターは戦闘不能で継承戦から退場。王子は残すところ四人。
森に残された彼がどうなるかは分からないけど、助ける義理はない。
両者が倒れたところを確認したら、悪いけど、先に進ませてもらうだけ。
「――――っ」
しかし、ベクターは踏みとどまった。
倒れる鹿の悪霊をよそに、立ち止まっていた。
(ふーん。思ったよりやるじゃん……)
戦いの一部始終を見ていたわけじゃない。
ただ、容易な相手じゃなかったのは、見て取れる。
それにベクターは打ち勝った。敬意を払うべき結果だった。
「……」
サーラは雄姿を見届け、前に進む。
他の同僚も空気を読んで、付き従った。
すぐ横には、満身創痍のベクターが見える。
体はぶるぶると震えて、勝利を噛みしめていた。
(声をかけるのは、なんか違うな。余韻に浸らせてあげるか)
一瞬、健闘を讃えようかと血迷った。
だけど、自分らしくないと気付いて、やめた。
できるとすれば、ここでベクターを奇襲しないぐらいだ。
「にげ、ろ……」
不意に聞こえてきたのは、思ってもない言葉。
自己陶酔に浸った臭い台詞じゃなく、危機感を煽るもの。
(え……? 門番は倒れたし、敵の気配は……)
ベクターに言われ、改めて気配を探ってみる。
だけど、何も感じない。身内の気配すら分からない。
近くに確かにいる。それなのに、なぜか伝わってこなかった。
(おかしい……。感覚が麻痺してる……)
ベクターが戻ってくる前に感じた、違和感。
それが今になって、膨れ上がっているような気がする。
サーラは違和感の正体を突き止めるため、似た現象を脳内で探った。
(センスの電波妨害……。チャフグレネード……?)
引っ張り出したのは、意味記憶。
知識や事実に対しての情報の読み取り。
それにまつわる、エピソード記憶はなかった。
だけど、これ以上ないと思えるほどしっくりきてる。
(チャフは金属片を散布し、レーダー探知を妨害させるもの。センスの場合は……)
自分を納得させるために、事実を羅列する。
それをセンスに置き換えて、現象を推測していく。
すると、すぐに浮かんだ。状況を理解できてしまった。
(超広範囲に及ぶ、センスの感覚妨害……)
その瞬間、目の前が黒く濁っているように見えた。
暗闇に、黒い絵の具を塗り潰したような、奇妙な感覚。
「――――」
吐息が聞こえる。飢えた獣のような、荒い呼吸。
空気が張り詰め、戦慄が走る。この場にいる全員が理解した。
(敵がいる……。すぐ目の前に……っ)
当然ながら、サーラも察する。異常事態に気付く。
戦わないといけない。頭の中で状況は理解している。
だけど、体が動かない。その場にいる誰もが動けない。
心が拒絶する。本能が拒否する。遺伝子が嫌悪感を示す。
(こいつに……誰が勝てるの……?)
敵の力量は、ある程度、察することができる。
だけど、察知できない相手は生まれて初めてだった。
人の理から外れている。鹿の悪霊ぐらいなら可愛く見えた。
「……」
だけど、足音がした。立ち向かう、意思を感じた。
銀光が満ちた。感知できない敵の正体を明かして見せた。
「――――」
目の前には、黒い鎧を纏った亡霊の姿。
その右手には、黒く禍々しい斧を持っている。
臨戦時の獣のように前屈みで、理性は感じられない。
まるで、狂戦士。鎧の中には血に飢えた獣がいる気がした。
それに物怖じせず、歩みを進めて、勇敢に立ち向かう存在がいた。
「
ジェノ・アンダーソン。記憶を失う前の兄。
放とうとするのは、先ほど寸止めを食らった必殺。
リスク承知の上でセンスを込めた、ただの右ストレート。
実力差は明らか、誰もが諦めかけた状況で、先陣を切っていた。
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