第11話 好敵手
鹿の悪霊は、後ろ足で蹴りつけ、跳躍し、角を叩きつけた。
たったそれだけの行動で、体は宙を舞い、地面に叩きつけられた。
なんの能力も行使していない。あえて、何も使わなかったように思える。
(単純な力比べは、6対4で相手が優勢……。やるな……)
ベクターは好敵手を前に、静かに心が躍っていた。
言葉が通じなくとも分かる。こいつは、似た者同士。
相手の力量を確かめるために、フィジカル勝負に出た。
能力であっさりと決着をつけるのが、惜しいと判断した。
今のはほんの小手調べ。拳を軽く合わせただけに過ぎない。
(だが、
ベクターは、紺碧の腕輪に意思を込め、姿を消す。
着地点にいた他の一行など、もはや、眼中になかった。
◇◇◇
サーラは、目の前の光景の一部始終を見ていた。
ベクターと鹿の悪霊が現れ、拳と角を合わせていた。
戦いに巻き込まれた。その事実を、どうにか受け入れた。
それなのに、おかしなことが起こった。思わず感覚を疑った。
(移動したわけでも、隠れたわけでもない……)
人の気配を察知することは、人並み以上に得意だった。
気配を完璧に遮断したとしても、感じ取れるだけの自信はある。
でも、感じるのは、鹿の悪霊と、自分と同僚を含めた四人分の気配だけ。
(気配が完全に消えた……。突然、目の前からいなくなった……)
いない。感じない。姿が見えない。
戦っていたベクターの気配を感知できない。
最初から、そこに存在しなかったようにさえ思える。
「――――」
すると、鹿の悪霊の敵意はこちらに向いた。
第一目標がいなくなった以上、第二目標に切り替えた。
(そうか……。あいつの目的は、他の王子と門番の共倒れ……っ!)
すぐにベクターの思惑を理解する。
門番をぶつけて、王候補を間引きする。
それが狙い。王になれる確率を増やす方法。
能力は分からないけど、それ以外考えられない。
むしろ、そう考えれば、姿を隠したのに辻褄が合う。
「…………」
ジリジリと、鹿の悪霊は足で間合いを計る。
他の同僚には眼中にない。こちらだけを見ている。
恐らく、あいつには、優先順位がプログラムされている。
第一優先は王子。第二優先はそれ以外。近い方から順番に処理。
つまり、あの鹿も、ベクターを見失った。だから、標的が移ったんだ。
(……使うしかない)
サーラは懐から、王霊守護符を取り出す。
威力は絶大。呼べば、恐らく、一撃で祓える。
その分、センスの消費量がエグイけど、仕方ない。
また気絶するかもだけど、他に手はないように思えた。
「やるんだな」
パオロが意図を察し、確認してくる。
アレの威力は広範囲。巻き込む可能性もある。
当初の予定通り、王子のサポートに徹しようとしていた。
「……」
サーラは、こくりと頷いた。
察しがいい人材は、やっぱり使える。
安心して、気絶した後を任せられそうだった。
(面倒だけど、これで準備は整った。後は――)
サーラは王霊守護符を構え、白光を纏う。
狙いを定め、短い語句を唱えるだけで、放てる。
「……
それなのに、空気を読まず、鹿に突っ込む存在がいた。
銀色のセンスを右拳に集中して、猛進する命知らずがいた。
(あんの馬鹿……っ)
サーラの目の前には、ジェノがいた。
予期しない光景を前に、体が固まってしまう。
察しが悪いのは、想定内。連携が取れないのも分かる。
だけど、突っ込むのは想定外。あまりにもタイミングが悪すぎる。
(射線に入るな……っ!!!)
その主な原因は、守護霊の有効射程にある。
味方を外し、敵だけに当てる。そんな繊細な動きは不可能。
数百メートル級の直剣を振るい、殲滅。そんな大雑把な動きしかできない。
「
そうこう考えている間にも、ジェノは接敵しようとしている。
任せれば勝てる可能性もある。だけど、センスを使わせるのはまずい。
(症状の悪化……。今は味方でも、今度は……)
嫌な方向に思考は及ぶ。
どう考えても見守るだけはない。
何か別のアクションを起こす必要があった。
(あぁ、もう……っ! めんどいなぁ……っ!)
プラン変更を余儀なくされ、サーラは王霊守護符を懐にしまう。
そして、意思の力を高め、右手を掲げ、狙いを定めて、言い放つ。
「色触是空」
サーラから生じるのは、一本の黒い手。
精神に触れる空触是色とは、対になる能力。
不得意分野だから、出力は劣るけど、仕方ない。
「…………っ!?」
直後、ジェノの動きはピタリと止まる。
黒い手に体を拘束され、身動きを取れないでいる。
(間に合った……。ひとまずは、振り出しか……)
色触是空。それは、黒い手で物体に触れる能力。
威力は大したことないけど、使い勝手は良かった。
そのまま、ぐいっと引っ張り、馬鹿を回収していく。
(さて、どうするか――)
すぐに、視線を前に向け、鹿の悪霊を視認しようとする。
感覚頼りの察知ではなく、反射的に目視に頼ろうとしてしまう。
「……っ!!?」
そこに、鹿の悪霊の姿はない。
どさくさにまぎれ、姿を消している。
だけど、気配は分かる。位置を感じ取れる。
(くっ……。気を取られた……っ!!!)
不得意なことには、普段以上に意識が割かれる。
失敗できなかったから、余計に集中力を持ってかれた。
「――――」
鹿の悪霊が発する気配は、背後。
尖った角を突き出しているのが分かった。
「「…………っ」」
同時にパオロとルーカスは動き出す。
助けに入るために、ようやく行動を開始する。
だけど、間に合わない。とてもじゃないけど遅すぎる。
(どうしよう……このままじゃ……)
ここからだと、召喚は間に合わない。
回避するにしても、敵との距離が近すぎる。
色触是空を使うにしても、時間差で敵の方が早い。
どの手段を用いても、致命傷は避けられそうになかった。
(受けるなら、せめて……っ!)
サーラは地面を横に蹴って、回避を選択。
負傷する部位を減らし、次の一撃に望みをかける。
「――――」
同時に、鹿の悪霊の鋭利な角先が、サーラに迫っていた。
(……なに、この感じ)
接触するまでのわずかな間。
感じ取れたのは、些細な違和感。
感覚が混線していて、分かりにくい。
だけど、確かに人が現れた気配を感じた。
鹿の悪霊の側面に位置付けている存在がいた。
「横っ腹が、ガラ空きだ……っ!」
ベクターの声が響き、突如、拳が振るわれる。
渾身のボディブロー。吸い込まれるように脇腹を捉える。
「――――ッッ!!!!」
否応なく直撃。鹿の悪霊は、体ごと吹き飛ばされる。
おかげで角は逸れ、幸運にも致命傷は避けられた形になった。
(能力で存在を消し、意識の外からの不意打ち……)
振り返り、ベクターの姿を見て、確信する。
透明能力の上位互換。世界から存在を消す能力。
それが、彼の本域。聞くまでもなく、明らかな事実。
(強い……。王族の血は伊達じゃないか……)
あまりにも当たりな能力に、思わず嫉妬する。
恐らく、芸術系。センスの創造可変に長けるタイプ。
もし、色触是空を彼が扱えたなら、威力も汎用性も段違い。
「――――」
そう考えていると、鹿の悪霊が上空から現れる。
こっちは眼中にない。殴ったベクターだけを見ていた。
(嘘……。今のでなんともないの……?)
倒せるかはともかく、負傷してもおかしくない一撃。
それなのに、外傷はない。見たところピンピンしていた。
「強いなぁ、あんた……。今のは紛れもなく俺の全力だった……」
ベクターは、鹿の悪霊を素直に賞賛する。
まるで、降参する。と言ってしまいそうな勢い。
今度こそ存在を消す能力を使い、逃げるかもしれない。
(諦めるか……。同じ立場ならそうするかも……)
ただ、気持ちは分かる。
全力の一撃が通用しなかった。
それなら、無理して戦う必要はない。
他の王子が、倒すのを待てば済む話だった。
「だが、強すぎるがゆえに、ある条件を満たした……」
ただ、話の流れが変わった。
まだ手の内があるとでも言わんばかり。
(あり得ない……。存在を消す能力だけで相当な容量を食うはず……)
センスは、湯水のように溢れる力じゃない。
人には限界があるように、センスにも限界がある。
センスの総量を超える能力は、身につかないはずだった。
(ここから、何をやらかすつもり……?)
だけど、不思議と心が躍る。
同じ血を引く者の可能性を感じる。
期待以上の何かをやってのける気がした。
「独創世界【
ベクターは拳を構え、どこからともなくゴングの鐘が鳴る。
その次の瞬間、ベクターと鹿の悪霊は、世界から消えていた。
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